「あ」号作戦 その2 | 太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し

「あ」号作戦 その2

マリアナにて空襲が始まったとき、連合艦隊は直ちに「あ」号作戦を発動しようとしたが、大本営の同意を得るのに3日を要した。貴重な3日間だった。

6月15日米軍のサイパン上陸を開始の報告を聞いた連合艦隊司令部は「あ」号作戦決戦発令を下令し、マリアナ方面の米機動部隊撃滅を命じた

優勢な米機動部隊と連合艦隊では戦力差が大きく、勝ち目は少なかったため、基地航空兵力の攻撃を加えながら、第1機動艦隊の進出と八幡部隊の一部を加え全兵力一体となって撃滅する戦略と採った

すなわち全兵力の同時攻撃が必要であった

6月15日ようやく日本の第1機動艦隊はギマラスを出撃した

これまで各航空基地の飛行隊はサイパンに迫った米機動部隊に再三にわたり攻撃を繰り返した

しかし、その攻撃に向った小部隊はことごとく未帰還が続き、基地航空兵力はわずかしか残っていなかった

サイパンに司令部を置いていた第6艦隊司令長官高木中将は、「あ」号作戦における全潜水艦を指揮していた

潜水艦の戦力はニューギニア方面6隻・マーシャル方面6隻・トラック方面3隻・サイパン方面3隻の状況で米軍とは比べるものではなかった

報告には戦艦1隻撃破、空母撃破と入っては来ていたが米軍資料には確認できない

サイパン上陸作戦に伴い、高木司令長官は連絡通信が思うようにならず、トラック所在の潜水隊に指揮を任せた

日本連合艦隊はマリアナ方面に向っった

6月18日には全攻撃態勢が整い、決戦態勢をもって前進

6月19日 索敵機は迎え撃つために西進してきた米艦隊を発見

第1航空戦隊128機・第2航空戦隊から49機・第3航空戦隊から69機の第1次攻撃隊が発進した

午前7時半から8時半に発進し作戦通りの米軍攻撃圏外からの発進だった

約2時間後、第2攻撃隊が発進した

第1航空戦隊18機・第2航空戦隊64機である

一方、米軍は10時にレーダーにて日本機を捕捉し、直ちに450機の戦闘機と爆撃機を発艦させた

第1攻撃隊128機10時40分に艦隊を発見し80機の爆撃機は攻撃開始した

戦闘機48機は米戦闘機と空中戦を開始したが20分ほどで全滅した

生存者の話では、発見したのは戦艦船団であり空母はいなかった

日本軍は爆撃機65機・零戦33機が帰って来なかった

米軍は空母バンカーヒルが1発命中し火災を生じただけである

第1攻撃隊が出撃したのち、潜水艦の魚雷を受け空母大鳳が沈没

その後、空母翔鶴も魚雷を受けて沈没

母艦大鳳を含む2隻の空母が沈没させられた

第2攻撃隊は戦艦船団を攻撃せずに空母を探したが発見できず

敵戦闘機と遭遇して被害を受けた

決戦初日は日本艦隊は空母機315機を失ったが米軍機は30機だった

どこからどれだけ攻めてくるかが把握していた米軍は、完全に突撃してくる日本軍を待ち受けて戦った

レーダーの技術が明暗を分けた

しかも、敵艦隊に爆撃するところまで届いても、VT信管の砲撃の威力により簡単に撃墜された

小沢司令長官は、初日の戦果は上々で大部分は陸地航空基地に降り立っているであろうと考えており、一時は北上を命じたものだが、その後の確かな報告を受け、一時退避の命令を下した

残存機は100機ほどであった

6月20日 日本軍も米軍も索敵を頻繁に行い、共に敵を発見すべく態勢を整えていた

米軍の索敵が日本軍艦隊を発見し、戦闘機85機・爆撃機77機・雷撃機54機の計216機を発進させた

日本艦隊は襲撃を受け、空母飛鷹が沈没し油送船2隻も沈没した

この日の米軍の216機のうち20機は戦闘による墜落だったが、無事に帰還できたのは116機だった

のこりの80機は燃料不足のため、暗黒の海面に着陸をしたり艦上で炎上するなど被害は大きかった

これらの状況を確認した連合艦隊司令長官豊田大将は、「追撃戦は延期、戦況に応じ再興の予定。機動部隊の全般的状況承知し度い。」と発電した

この「あ」号作戦は航空兵力の大部分を消耗し、機動部隊としての戦力をほとんど喪失するに至った

残存機61機である

6月22日沖縄に退避してこの作戦は終了した

6月24日 陸海軍両総長は、サイパン放棄のやむない事情について上奏

6月25日 元帥会議を召集して特別な論議もなく決定

米軍上陸後10日めにして中部太平洋の最も重要なサイパンは実質的に放棄された