通過部隊のサイパン戦 その2 | 太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し

通過部隊のサイパン戦 その2

南方方面に派遣された関東軍は第1派遣隊から第9派遣隊まで行われ、徹底的に防衛圏を死守し米軍を粉砕できると信ずる大本営の方針命令に、制海権のない米潜水艦が待ち受ける太平洋を輸送船団を組んで次々進出していった


☆第14野戦航空修理隊123名生還者11名

隊長:浜口恒明中尉 主に中部地方出身


☆船舶工兵第16連隊1035名生還者81名

隊長:恒川政市少佐


☆第23野戦飛行場設定680名生還者25名

隊長:石座登少佐


☆船舶通信第2大隊160名生還者125名

隊長:道野四郎少佐


☆第59碇泊場司令部49名生還者29名

隊長:松村昶大佐


☆第60碇泊場司令部131名生還者10名

隊長:斉藤肇大佐

この部隊は南方方面の島々の碇泊する船舶の修理や港及び飛行場の設営をするための部隊ですが、南洋の島々が米軍に侵攻されたために移動した部隊やこれからパラオ・ヤップに移動準備中の部隊であったようだ



☆歩兵第24旅団司令部196名生還者9名

旅団長:有馬純彦大佐 主に北海道出身

☆独立守備歩兵第14大隊631名生還者22名

大隊長:後藤十郎中佐 後任に宮下亀冶大尉 主に山梨・神奈川出身

☆独立守備歩兵第28大隊625名生還者31名

大隊長:森竜之輔大佐 主に千葉・埼玉

☆独立守備歩兵第12大隊103名生還者7名

1944年5月13日第9派遣隊でヤップ島に向かう途中サイパンに寄港し1、6日に出発したがグアム北西にて魚雷命中沈没し救助されてサイパンに上陸

上陸後、47旅団独立歩兵318大隊を編成しタロホホに陣地構築した

6.16上陸地点総攻撃に出撃命令を受け突撃するも、海難兵1500名には5人に1挺の銃と一人2個の手榴弾が与えられただけだった