海軍 中部太平洋連合艦隊 | 太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し

海軍 中部太平洋連合艦隊

1944年2月25日大本営は中部太平洋方面作戦に関する陸海軍中央協定を指示しました

これによると陸海軍共同作戦にて要域の確保が目的としますが、陸軍第三十一軍小畑司令長官は連合艦隊の指揮下にはいると決定しました

陸軍の大部隊を海軍の指揮下に入れたことは例を見ないことであって画期的なことでした

しかし、各島においては、陸上作戦は所在陸上部隊を統一指揮とするとありますが陸上戦においては陸軍が指揮するとあります

また、補給系統は陸軍の派遣輸送は陸軍担当、後の常続補給は海軍担当とか陸軍の軍需品・資材の整備補給は海軍担当ただし陸軍特有の軍需品は陸軍担当と、とにかく複雑です


☆中部太平洋連合艦隊司令部210名

司令長官:南雲忠一中将

参謀長:矢野英雄少将 参謀副長:岸川覚雄大佐

参謀:葦名三郎大佐・野村徹大佐・斉藤孝吉中佐・松浦五郎中佐・内田友志中佐・伊藤泰介中佐・小野寛治郎少佐


☆第6艦隊司令部

司令長官:高木武雄中将

参謀長:仁科宏造少将


☆第五根拠地隊1170名:ガラパンからタポチョ西側

司令官:辻村武久少将


☆第五五警備隊1760名:ガラパン周辺

司令:高島三治大佐

第五根拠地隊の指揮下となる


☆第四一警備隊1030名

司令:


☆横須賀鎮守府第1特別陸戦隊900名:ガラパン東の灯台山

司令:唐島辰男中佐

1943年9月よりサイパン駐留しタナパグ周辺の砲台建築・陣地構築に従事

陸軍上陸後、ガラパン周辺を守備

6.16米軍上陸地オレアイに向けてガラパンより出撃命令が出た

この部隊は落下傘部隊でその時の武装は、二つに分解できる自動小銃・腰に拳銃2挺・二つ折に出来る槍を1本という少しかわっていた

そして戦車に向けて投げると吸盤で磁石で吸着し5秒後に爆破する破甲爆雷1個を携行した

予定時刻になっても突撃するはずの陸軍が来ないため17日2時半に突撃開始

米軍防御線を突破して明け方まで何度も何度も前進したが、朝になり戦車が出てきたため後退した

部隊は100名ほどになっていた



☆第三水雷戦隊 司令官:中川浩少将

☆第一連合通信隊 司令官:伊藤安之進少将

☆第五通信隊 司令:宮崎新作少佐

☆南東方面航空廠 廠長:佐藤源蔵中将


☆虎第261海軍航空隊630名

司令:上田猛虎中佐


☆雷第265海軍航空隊

司令:浦田輝次郎中佐


☆第207設営隊2500名:飛行場建設

隊長:高橋三治大佐

1944年3月より飛行場建設に従事