通過部隊のサイパン戦 その1 | 太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し

通過部隊のサイパン戦 その1

絶対国防圏の強化に伴い中国満州の関東軍は南方方面に派遣されました

制海権が無い中での輸送は困難を極めましたが、大本営は大規模な輸送船団を送り続けました


ヤップ・グアム・トラック・パラオなどへの輸送は一時サイパンに寄航することが多かったようです

しかし太平洋の米潜水艦による攻撃は恐ろしく、標的になった船団は後を絶ちませんでした


☆歩兵第150連隊牛山隊806名生還者35名:西山集成隊として31軍司令部守備

隊長:牛山一良大尉 主に長野出身

第150連隊の補充員としてトラック島に向かう途中、4.23サイパンに到着

トラック島へ向かう待機期間にアスリート飛行場作業や軍需品の陸揚作業に従事し、6.3工兵1個中隊がトラック島に出発したが米機動隊接近のためサイパンに引き揚げた


☆独立臼砲第17大隊634名生還者38名

隊長:松波甫大尉 主に北九州出身


☆独立臼砲第14大隊649名生還者20名

隊長:陣内辰雄大尉 主に北九州出身

☆独立戦車第3中隊94名生還者1名

隊長:宇山福一中尉 主に近畿・関東出身

☆独立戦車第4中隊80名生還者3名

隊長:竹内年之助大尉 主に近畿・関東出身

☆第29師団海上輸送隊360名生還者33名

隊長:鷲尾三郎大尉 主に愛知・岐阜・静岡出身

☆第115飛行場大隊480名生還者10名

隊長:佐竹留吉大尉 主に関東地方出身

☆第9独立整備隊112名生還者12名
以上6部隊は1944年5月30日パラオに派遣されるため第43師団118連隊が乗るサイパン行きの船に便乗することになった

言うまでもなく運命は118連隊と同じく米軍潜水艦の魚雷により海没し、護衛艦に救助された兵のみ6.7にサイパンに上陸した

3分の1は戦車や兵器と共に海没し、上陸した兵士は武器も持ってなかった

3人に1挺の銃を割り当てられ守備軍の支援に従事したが、上陸して4日後には米軍の上陸作戦が開始された


☆歩兵第15連隊の一部610名生還者13名

主力はパラオに出発したがこの部隊は残置部隊です


☆歩兵第18連隊第1大隊 人数・生還者不明

連隊長:門間健太郎大佐 後に大橋彦四郎大佐 主に愛知・静岡出身

第1大隊長:久保正男大尉

1944年2月29日4000名の連隊を乗せた輸送船が魚雷により海没し1800名がサイパンに救助された

600名ほどは負傷であったが連隊本隊はグアムに移動し約200名の第1大隊はサイパンに残置された

米軍上陸時はオレアイ海岸守備隊の支援にてよく戦いヒナシス付近で壊滅している