戦史調査をするにあたって | 太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し

戦史調査をするにあたって

サイパンを中心に戦場調査をやっております。


なぜか・・・


当初はサイパン島にて戦没者の供養をしてただけでした。

供養を20年近く続けているうちに

サイパンでもいろんな部隊が派遣されていることがわかりました


そして


その部隊というのは連隊・師団・軍というものがあり

特に連隊とは日本の各地にて編成されるために言わば出身地部隊が殆んどであります


サイパンには315連隊・316連隊・318連隊とそれぞれ愛知・岐阜・静岡の部隊であるとわかったのです

これが私には衝撃的でした


私は三重県ですが

毎年サイパンに一緒に供養に参加する人達の多くは、まさしくその地域の人達が多かったのです。


そこでその人達はどの様に戦って玉砕まで至ったのかを知りたくなったのです

その後、調べるうちに満州から派遣された精鋭軍も守備に任命されていたこともわかりました

満州の精鋭軍といえば関東軍です

私はその勇ましい陸戦力は映画や本にて知っていたので驚きました。


このようにしてどんどんはまっていったのです


調べるうちに、全ては大本営からの命令であり、行動に関しては軍国主義に則った行動すするように教育されていて、最後には玉砕まで至ったのだとわかりました。


靖国神社にも行き、サイパンではいつもは行かないジャングルの奥地まで細かい戦地を探検し、ついには今年の4月に遺骨がコンテナに安置したまま何年も保管されている姿を発見しました。

遺骨収集は政府主催で昭和の時代に毎年行われており、平成に入ってからは遺族会や戦友会主催にて政府協力もあり平成7年まで行われていたということです。


サイパンでの遺骨収集は平成7年までで約27,000柱が掘り出されて日本に帰っておりますが、亡くなられた人数は約55,000人であります。

まだ半数の遺骨はサイパンの土に眠ったままです。

今では私有地となっているところも多くあり以前のようには行かないとは思いますが、コンテナに安置されてる状態が何年も続くのは理解できません。


このように大本営時代の政策に不快感がありますが、今の政府にも当然不快感が積もります。

私は今後もサイパンには行き続けます。そして供養を一層心を込めてして行きます。

そしてもっともっと詳細まで調べて、わかったことを語り続けたいと思います。


これが下手な文章を書くことになりブログという慣れないものに首を突っ込んだ理由です。


名前の通り、更新はまちまちですが調べたことを書き残します。

ご意見・付け加えなどの情報があればコメントをお願いします。


初日は超真面目でしたね