[自分のやりたいことや
自分の発言に責任を持つ]

昨日、私は遠吠えをしておりまして
自分の言葉にハッとなりました。

『責任を持て!』と
人から言われると、
なんだか厳しさを伴う音に聞こえます。

日本語での『責任』の語源とは

''責'': とげのある。責める。積み上げる

''任'' :人偏に武士の士。役割に仕える

おぉ、

責任には
二宮金次郎を代表とする
日本人の苦行や修行を美徳とする
武士道的な匂いがします。
(本当の武士道ではないです。)

Mのような縛りすら感じます。

重い。ひたすら、重い。

結果を出さないと殺されそうだ。

日本人はずっとこれに参ってきたんじゃないか?



責任をね、英語で言うと

''Responsiblity''

解体すると

''Response'' + ''Able''



''反応する''  + ''能力(できる)''



自分のやりたいことに
反応してあげれること

本来、
責任とはそういうことじゃないかな

自分の気持ちに
反応さえしてあげればいい。

そこにはまだ
結果とか出てこなくていい。

『こう思った!』私に反応する。

それだけ。



人はね、他人のことに関しては
想像を絶するくらい無力なんだ。

自分の人生は
自分がスクリプト書き
自分が主人公になって
自分の役目を
生きていかなきゃいけない。

誰も他人のスクリプトを書けないし、
誰か他人の人生の主人公になれやしない。

色んな所に同時に出没できる
ミッキーマウスじゃないから

『いま、ここに』いなきゃならない



他人が無力な存在なのだと知ったら
自分の人生のストーリーは
自分で展開していくしかない

そうするとね、周りが脇役として
協力しやすくなるんだ。

周りとは人だけでなく
小さな自分を囲んでいる
大きな周りの存在

協力してもらうためには
自分をまず生きることから
始めることなんだ。

それはただ、

自分の心の声を無視しないで、
反応してあげること
答えてあげること

そういうことかもしれない

生きていくことは
苦行じゃないんだ。
楽しいことなんだ。