ディラン受賞のこと。プラッサ35周年記念。 | 片岡大志Official Blog

片岡大志Official Blog

シンガーソングライター 音楽プロデューサー 片岡大志のオフィシャルブログです。

タクシーに乗り込むと、後部座席に

「この街に一台しか走っていない

黄色いタクシー、幸運を運びます」

そう書いてあった。どんな幸運が

この身に舞い降りてきたのか。

今夜も美味な一杯を呑ってるわけで

これがひとまず、幸運ってことね。

 

 

ボブ・ディランが

「ノーベル文学賞」に選ばれた。

これを書いている今日の段階では、

ディランは行方をくらましている。

だから受賞と書いていいのかどうか

それはさておき、ディランの栄誉が

ものすごく嬉しい。この嬉しさは、

まるで自分自身を褒められてるような

気分だ。ノーベル賞という雲上が

とても身近なことに感じられる。

 

中学生のときの母親からもらった

ディランのベスト盤カセットテープ。

このカセットを何千回再生したのか。

 

 

ディランの音楽は、ロック勃興期の

歴史そのものだ。ディランの音楽が

擦り込まれた耳は、当時のロックを

聴くときの物差しとして、精密な

機能を発揮する。多くの偉大な

アーティストの作品に含まれている

ディランの影を気配を、この耳は

敏感に聴き取ることができる。

 

ディランを軸に、どれだけの枝葉の

アーティストを聴き漁っただろう。

このカセットテープは、僕にとって

教則本で、その仲間達を紹介して

くれるアドレスブックだった。

Princeの「Take me with U」に

「モザンビーク」を見つけたときの

驚愕は忘れない。Princeでさえも!

 

ディランの功績は、シンプルな

コード進行で、誰にでもギターを

かき鳴らして歌える点にもある。

高校生のとき、何もなかった僕に

「お前でも歌えるし、お前も声を

上げてみたらいい」と背中を押して

くれたのはボブ・ディランだった。

 

そして僕は、ディランの素晴らしさを

日本語の音楽でも再現できることを

友部正人さんの音楽から教わった。

友部さんが日本語歌詞で歌った

この曲は、いまも僕の音楽の原点だ。

 

「I shall be released」

 

君が言うようにはならいね

近づいたとはとても思えない

思えばおれがここまでやってきたのも

みんな君のおかげなのさ

 

おれのひかりを見つけたよ

西から東へと広がってゆく

あんな風にいつか

おれも自由になれるのさ

 

君を守ってくれる壁はどこだい

君はとっても落ち込んでいるのさ

でもおれはどんな守りの壁よりも

高いところにいる自分が見たいんだ

 

おれのひかりを見つけたよ

西から東へと広がってゆく

あんな風にいつか

おれも自由になれるのさ

 

悲しい群衆の中におれといて

自分じゃないと叫ぶやつ

おれははめられたんだという

あの声が一日中耳からはなれない

 

おれのひかりを見つけたよ

西から東へと広がってゆく

あんな風にいつか

おれも自由になれるのさ

(日本語対訳歌詞 友部正人)

 

 

週末毎、色んな街へと呼ばれます。

最近は「歌手」として、だけでなく

「講師」であることも多くなった。

 

仙台の「夢メッセ」はとても大きな

会場だった。東北六県の高校生が、

全国から参加した150もの大学の

デモンストレーション講義を聴きに

集まりました。動員は2万人。

 

 

僕はこの一連のイベントで

「ポップス・ソングライティングの

ススメ」という講義をしています。

会場では実際の音楽を鳴らすことが

規制されてるので、楽器もドレミも

用いないで講義を行います。それって

「どうやって?」説明が難しいけど、

作詞論を用いて「歌」の成り立ちを

ひも解いてゆきます。これからの

音楽を担う新しい世代には、言葉を

大切にした「歌」を作ってほしい、

そんなことをお話することにしてます。

 

 

御褒美は仙台名物の牛タンね。

仙台なのにお店の名前は「山梨」。

カウンター目の前で、網焼きして

くれる一皿。これは絶品でした。

 

10月のとある週末は、

「埼玉県高等学校軽音楽連盟・

技術講習会」にお呼ばれました。

軽音楽部でバンド活動をしている

高校生に、バンド演奏するときの

「コツ」を教えるという仕事です。

 

YAMAHA、Gibson、Pearl、

山野楽器、リットーミュージック等

大手音楽系企業も参加してることに

驚きました。昔ながらの廊下に並ぶ

教室では各パートのセミナー行われ

僕は、大きな視聴覚室に集まった

200人以上の高校生バンドマンの

キラキラした眼差しに注目される中

軽音楽部の演奏の「コツ」について

様々なお話をしてきました。

最後は200人でセッション大会!

音楽には人々をひとつに結びつける

魔法があるって皆、確信したよね!

 

 

「青山プラッサオンゼ35周年」

記念イベントが催されました。

35年間、お店が継続してきたこと。

それはお客様に、ミュージシャン達に

音楽の神様に愛され続けてきたことの

証しに他ならない。記念すべき催しの

末席に加えて頂けて本当に光栄です。

 

 

初めてプラッサで歌ったのは2006年。

ホームグランドにしてた渋谷の店が

閉店してしまい、途方に暮れてたとき

女将のクラウヂアは、話しを聞くなり

「ウチで歌えばいいじゃないの」と。

 

プラッサ・オンゼは、南米音楽専門の

トウキョー最前線、老舗中の老舗。

「オレなんかが、歌っていいの?」

そう訊ねると、クラウヂアは

「ジャンルとかって問題じゃないのよ」

「アタシはあんたの歌う、あの歌」

「表参道の坂道を歩く歌、好きなのよ」

 

あのとき、僕らが交わした言葉は短い。

あれから十年。十年の月日は短くない。

沢山のことが、意図して、意図せずに

変わった。十年前と同じことを見つけ

出すことの方がはるかに難しいだろう。

 

時間は川のように流れて、僕らは少し

づつ現在地から離れてく、その事実は

経験なくして理解出来ないことだろう。

 

その十年後のいま、プラッサオンゼで

歌ってる、それだけが変わっていない。

 

35周年ウィーク、十月三連休の初日は

「片岡大志・ひとり唄会」でした。

馴染みの方々の顔ぶれを見渡して

自分が、はぐれ雲のように歌ってきた

つもりでも実際には、この十年の間

見守られてきたんだと実感しました。

 

「ひとり唄会」は年に二回。

本当の意味で自由に歌える場は、

この「唄会」だけ。とても個人的な

楽曲から、実験的な楽曲まで。

シンガーソングライターとして、

こんな場があること。恵まれてます。

ダブルアンコールをもらって、女将の

クラウヂアと記念撮影。嬉しい。

 

 

さて。

ライブ日程がふたつ加わりました。

ひとつは九州は佐賀県でのライブ。

考えてみると佐賀は電車で通り過ぎる

ばかりで、ライブで歌ったことがない。

鳥栖市のとっても素敵なお店から

オファーを頂いて、迷わず即決定!

 

2016年11月19日(Sat)

龍吉Presents

『招宴~呑めや唄えや大騒ぎ~Vol.1

 Guest・片岡大志』

Open 17:30/Start 18:00

Music Charge 予約:2000yen+Order

当日:2300yen+Order

https://www.facebook.com/events/1747302922153862/

 

もうひとつ吉報があります。

2016年12月14日(Wed)

「Come Back!オートモ!Vol.1」

出演・大友マサノリ(Gt)山本研(Key)

山守拓人(Bs)合原晋平(Dr)

Guest・片岡大志(Vo/Gt)

Open 18:00 Start 19:00

Music Charge 3000yen(+Order)

 

リハビリ療養中のオートモは、現状

歌声の筋肉がまだ不完全な状況です。

とにかくこの夜を目標に、まずは

ギターを復活させようという作戦です。

オートモの盟友の合原晋平(Dr)が

仕切っています。僕は後援会長的登板。

オートモの復活を是非応援してほしい。

 

 

おまけ。

東京の美味しいラーメン@四谷三丁目

「一条流がんこラーメン総本家」

http://ganko1joh.hatenablog.jp/

その家元のお姿の写真をご紹介。

 

 

リンクのブログは家元がガラケーで

ポチポチっと更新し続けています。

文面には「悪魔」とか「ヒロポン」と

怪しい専門用語が列挙されてますが、

そのラーメンは驚愕の創作一品料理。

 

僕が注文する「百」は調味料を一切

使っていないのに、どうしていつも

同じ味わいを再現でき得るのか。

 

 

巷には数多のグルメ料理が溢れてる。

各々に類い稀な技術があるのだろう。

しかしどう考えても家元の「技」は

常人を越えた領域に達してるとしか

思えない。家元は「来年はもう作れ

ないかもしれない」と時々ブログに

綴っているけど、最後の最後まで

通い続けます。この豪華なルックスで

700円。ラーメンはいつも大衆のもの

家元の心意気が伝わってくる絶品。