前回は二宮金次郎の話を書きましたが、今回は大人になった二宮尊徳のことも書きたいと思います。彼は幼少期の体験をもとに天地人三才の徳に報いることを説く報徳思想を形成し、農村復興に大きく貢献しました。

 特に印象的なエピソードとしては、生家の再興を果たした手腕を買われて文政5年(1822)に小田原藩に登用されて以降はじめての事業となった、下野国の三荒廃村の復興が挙げられます。

 荒廃しきっていた村々に対し、尊徳は「仁術」をもって対応しました。援助でもって復興するのでなく、村民一人ひとりが道徳心を復活させ、自らの力で自らの村を復興させることが最も大切と考えていたのです。そして、彼は『至誠の感ずる所、天地も之が為に動く』という言葉を残しています。貧しい村民に臨んだ最も困難な運命を尊徳自身は、誰よりも率先して引き受けました。その姿勢が村民を大きく変えたのです。かくして荒廃村は復興に成功し、大きな富を得るに至りました。

 東北の復興もこれからが正念場です。国民一人ひとりが物量の援助だけでなく、尊徳の持っていた精神を忘れずに復興に携われば、今は困難だろうとも必ず成功すると信じています。
(『いどばた稲毛』2011年10月号掲載)


千葉から、日本維新! 日本維新の会・田沼たかしの挑戦-二ノ宮尊徳像