阿部君、コメントの返事を書いたら、どうも言い足りなくて、追伸を一気に書いたら大長文になっちゃった。かつ、メールアドレスを知らないんだった。内容も公的だし、ブログに載せます。


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「義務・責任を果たすかっこよさ」を、国民は全員思い出さねばならないと思う。



権利ばかり求める人間は、私的。極端になると自分勝手とすら言える。かっこ悪い。



黙々と義務を果たす男(あえて男と言おう)を、男性も女性も、尊敬するべきと思う。だって、そういう人がいるからこそ、義務が果たされてこそ、日本がなんとか生き延びているんだから。
日本はそんなに磐石で頑丈じゃないんだ。ピンチでいっぱいなんだよ。今も。そこへの感性が、私的な人と公的な人との間で、一番意識の差がある。


かつてのピンチは、実際の軍事的脅威だった。敵が迫っているとき、兵役の義務を果たさない人間は、尊敬できるだろうか? 人権だ、選択の自由だと権利を主張する人間ばかりで、国家国民は、愛する人は、守れるだろうか? 考えるまでもない。


いまも100年に一度の経済危機と言われるが、それならば我々国民は、国の無策を糾弾するのではなく、一肌脱いで高額納税をしたりできないだろうか? なんでもいい、仲間内で危機への対処を考えるだけでもいい、ともに危機に立ち向かうべきではないだろうか? 危機への対応は全部麻生さんの仕事で、我々国民は守ってもらっていればよいのだろうか? オレはそういう、自分勝手で視線が低く、無責任で甘えてばかりいるやつを見ると、年配者でも若者でも政党でも、非常に腹が立つ。オレは、他人の無策を糾弾する資格のある人は、まず自分で何らかの行動をした人だと思う。(マスメディアにはそれがない。自分が身を切っていない。だから品格が低くなる)

麻生さんだって今回の経済危機は、被害者だ。日本人は誰も悪くない。でも対処する責任は麻生さんだけなんだろうか? 家に泥棒が近づいているとき、「泥棒対策はお父さんね」とおしつけ、自分は何も協力しない家族がいたら、その家族は頭がおかしいのではないだろうか? いまは「麻生さんの危機」ではない。「日本の危機」なんだよ。

麻生さんよりもよい対処ができる人がいるなら、その人に変ってもらってもいい。でも基本的には、現在のリーダーを支えて、日本の危機を解決するのが、当り前だけど最重要だ。アメリカでは共和党員だって民主党出身のオバマを支持する。選挙があるなら戦うが、選挙が終わったらその勝者を中心に国全体が一丸となって、国家の危機に立ち向かうべきとわかっているからだ。政党の戦いしか興味の無い民主党(日本の)に、オレが腹が立つのは、そのためです(もちろん期待しているからこそ腹が立つんだけどね)。


いまこそ、国民全員が、公共心、公の心を、フルパワーで発揮すべきときではないだろうか。少なくとも大東亜戦争のとき、方向が正しかったかは置いておいても、ほとんどの国民は兵役を受け容れた。そういう公共心を発揮してくれた。だからオレは先人に深く感謝と尊敬をしている。翻っていまの国民は何か、公共心を発揮しているだろうか? 消費税を受け容れるくらいは必要ではないだろうか?


会社でも組織でも、自分がこの会社や組織を「どうするか」と思っている人間が、必ず伸びていくし、認められる。なぜかといえば、頼りになるからだ。国家や行政だってそうでなくちゃいけない。視線、志の高いヤツ、その共同体を自分のことのように思っているヤツこそが、認められ尊敬され力を与えられる社会でなくてはならない。


選挙はその一つの仕組みなんだけど、うまく行っているかはわからないね。本当に日本が自分のことのように心配だ、という人が選ばれているのか、疑問も多い。伊藤博文は日露戦争のとき、日本が負けてピンチになれば、一兵卒となって戦うと言った。明治天皇は、日本を思うあまり、その心労が原因で亡くなっている。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog048.html
そういう人たちの本当に貴重な犠牲を、莫大に払いながら、なんとか日本が生き残り、発展し、今日がある。まず我々は、「今がある」ことに、感謝しなければならないんだよ。そして先人と同じように、日本のことを「どうするか」と思わなくてはいけない、そうオレは思っているよ。



落合信彦は、自分が高額納税者ランキングに載ったとき、それを「誇りだ」と言い切った。いまの世相では、高い税金を払った人への敬意はないし、だから人々も払おうとしない。

生活が苦しいから払えないのはわかる。しかし払えない人は、払えなくていいけれども、その分誰かに甘えているわけだから、申し訳なさをもつべきだ。それもいまの価値観では薄れている。

そして誰もが、高額納税者には、感謝と尊敬の念を抱くべきではなかろうか。

はっきり言って、税金を納めていない人間は、国家国民に貢献せず、お世話になっている側なのだから、大きな顔はしてはいけない。お世話をしている側の人がいることを、思い出さなくてはいけない。二十歳未満の若者は、大人に感謝しなくちゃ。



和田中の元校長、藤原和博さんは「日本の公民教育は失敗した」と言い切ったけど、全く同感です。「義務」「公」などの価値が、あまりに低い。教育と、教育期間が終わったあとによく触れるメディアが、最大の戦犯でしょう。


義務を果たすというのは、誰かのために働くということで、それは公ということだと思う。いま、日本で最も致命的なのは、公共心、公の心が失われ、日本という国に誰も責任を持たなくなりつつあることだと思う。

この先の日本が、オレは本当に心配です。



義務を果たす、そのために自己犠牲をする、その美しさを、なんとしてもオレは日本国民の中に復活させたい、と思っています。




※もちろんこれは阿部君がこれができていないと言っているんじゃ全くない。オレもできていないし(低所得者だから納税も低いし)、理想論として言っています。ただ、こういう、基本が全然メディアや教育界では忘れられてしまっている気がして、どうにも納得がいかず、自分ができているかを恥かしながら棚上げして、野暮だけどあえて正論を書きました。