「摂食の記憶」 シリーズです。
前回、時間軸が前に戻る
イレギュラーな記事を書いてしまったので、
その前の記事を貼っつけておきます。
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2度の入院を経て迎えた、高校生活。
この頃の私は、相変わらず食事制限をしていたので、
過度の運動などを行わずとも、ただ学校に通うだけで、
自分の許容範囲の体重(身長157センチ、体重たぶん35キロ前後)を
保てている状態でした。
自分を見ても、
他の回復に向かった子たちを見てても、
病気から回復に向かう過程って、あるタイミングで
目からウロコが落ちるように、劇的な変化が訪れるというより、
薄皮を剥ぐように、徐々に変化が訪れるのだと
そんな風に感じています。
けれども、その時には気付かなかったとしても
振り返った時に、「ああここが一つのターニングポイントだったな」
と思える、分岐点が必ずある。
私の場合は、最初のそのターニングポイントが、
その次が、
高校1年の冬に経験した、バイト だったと思うのです。
高1の冬、私は、郵便局で、年末年始の期間限定の
年賀状の仕分けバイトをしました。
我ながら、今の私からは想像もつかない
なんて地味で堅実なバイトだったんだろう
(銃数年後には、対極の銀座の蝶にいったからね(;´▽`A``)
でも、この歳で出来るバイトなんて、
当時はそのくらいしかなかったんだよね。
なぜ、バイトを始めたかというと、
一番大きな理由は、年末年始ヒマだったからだと思います。
摂食障害者にとって、ヒマは大敵。
ヒマでゴロゴロしていると、ぶくぶく太るだけだからね(と、思っている)
常にしゃかしゃかと身体を動かしていなきゃ、気が済まない。
身体を動かして、それでお金も稼げるなら一石二鳥!
そう思っていました。
まだ、そうとう枯れ木のような細さだったけれど、
自分にバイトに耐え得る体力があるかとか
そんなことはちっとも考えなかった。
なんせ、常に体力を気力でカバーして
その事実にすら気づいていない頃だったので。
そしていざ、バイトが始まりました。
何マスも区切られた棚の前で、
山のように届いた年賀状を
ただただ郵便番号で振り分けるというだけの、単純な仕事だったのですが、
このバイトが、意外にもとても楽しかったのです。
※ 目次作りました! 前回までの記事はこちらでチェック! |
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