「摂食の記憶」 シリーズです。


前回、時間軸が前に戻る

イレギュラーな記事を書いてしまったので、

その前の記事を貼っつけておきます。


本 Vol.23 摂食の記憶。 ~友人との関係



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2度の入院を経て迎えた、高校生活。


この頃の私は、相変わらず食事制限をしていたので、

過度の運動などを行わずとも、ただ学校に通うだけで、

自分の許容範囲の体重(身長157センチ、体重たぶん35キロ前後)を

保てている状態でした。



自分を見ても、

他の回復に向かった子たちを見てても、


病気から回復に向かう過程って、あるタイミングで

目からウロコが落ちるように、劇的な変化が訪れるというより、


薄皮を剥ぐように、徐々に変化が訪れるのだと

そんな風に感じています。


けれども、その時には気付かなかったとしても

振り返った時に、「ああここが一つのターニングポイントだったな」

と思える、分岐点が必ずある。



私の場合は、最初のそのターニングポイントが、

2度目の入院から、母が連れ戻してくれた時 で、


その次が、

高校1年の冬に経験した、バイト だったと思うのです。




高1の冬、私は、郵便局郵便局で、年末年始の期間限定の

年賀状の仕分けバイトをしました。


我ながら、今の私からは想像もつかない

なんて地味で堅実なバイトだったんだろう汗2

(銃数年後には、対極の銀座の蝶蝶々greenにいったからね(;´▽`A``)


でも、この歳で出来るバイトなんて、

当時はそのくらいしかなかったんだよね。



なぜ、バイトを始めたかというと、

一番大きな理由は、年末年始ヒマだったからだと思います。


摂食障害者にとって、ヒマは大敵

ヒマでゴロゴロしていると、ぶくぶく太るだけだからねDASH!(と、思っている)

常にしゃかしゃかと身体を動かしていなきゃ、気が済まない。


身体を動かして、それでお金も稼げるなら一石二鳥!

そう思っていました。


まだ、そうとう枯れ木枝のような細さだったけれど、

自分にバイトに耐え得る体力があるかとか

そんなことはちっとも考えなかった。


なんせ、常に体力を気力でカバーして

その事実にすら気づいていない頃だったので。



そしていざ、バイトが始まりました。


何マスも区切られた棚の前で、

山のように届いた年賀状を

ただただ郵便番号で振り分けるというだけの、単純な仕事だったのですが、


このバイトが、意外にもとても楽しかったのです。





※ 目次作りました! 前回までの記事はこちらでチェック!人差し指

「摂食の記憶」目次 → メモ本






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