大阪の十日戎(1) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

1月10日、難波で新いちょう大学校の講座
「大阪の夕陽信仰」を終えた帰り、
十日戎を大阪市内の四社を巡ってきました。

大阪のエベッサンといえば
今宮戎が筆頭格に挙げられます。

 

そんな訳で
OCATのある浪速区湊町から
今宮戎神社(浪速区恵美須西)まで歩きました。
南海電鉄のガードを東へ出たあたりから
日頃は難なく通れる街路が参拝客で
ごった返していました。

続く露天商の店の中に
ようやくエベッサンらしい光景を見つけました。
熊手を商う店です。
写真図1 熊手を商う店

拙著2007年『水都大阪の民俗誌』和泉書院に
次のように記しました。
◇川崎人魚童「大阪の目無し達磨」(『上方』67号)に、
  昭和11(1936)年当時、
  関東から移住した人の商う目無し達磨をとりあげている。
  そのように関東からもたらされた縁起物があったことは、
  「大阪の郷土玩具」の繭玉・熊手もそうである。

 

熊手は、もともと大阪の縁起物ではありませんでした。
縁起物も伝播するモノです。
境内の賑わいは、今更云うまでもありません。
あの「商売繁昌で笹持って来い」の躍動感溢れる

囃し立ては
今回四社を巡って
改めて今宮特有の音であることに気づきました。
福笹を授ける「福娘」はどうでしょう。

写真図2  福笹を授ける福娘

拙著に「福娘回礼行事」を取り上げました。
◇今宮戎神社は、ウジチを持たない「崇敬神社」である。
「福笹を授けるのに若い方が良かろう」ということで、
「福娘」は、昭和25(1950)年から始まったという。
リーフレットには、
「毎年、約6000名の応募者の中から選ばれた
50名の福娘が、
美しく着飾って「十日戎」のお手伝いをします。」とある。

 

さすがに商売の神様です。
戦後に創出された民俗だったのです。
もともとは例祭の時のウジガミによるウジチへの巡幸を模して
「崇敬神社」であることから
神社が出向く形の行事が創出されたのです。

 

境内には霊験譚が看板に描かれています。
まるで芝居小屋の宣伝のようです。
写真図3  看板に描かれている霊験譚

この日は、人混みから逃れるようにして
南海線の高架沿いに出ました。
茶店を露天商は「ヤチャ」と逆さ言葉で言います。
ヤチャは親分筋が開いていると聞いたものです。
写真図4 南海線の高架沿いのヤチャ

この日の次のエベッサンは堀川戎です。
地下鉄堺筋線の恵美須町まで
大勢の参拝客に圧倒されながら
遠回りをしました。

 

究会代表   田野 登