禅寺で梅田墓周辺の話が聴けます | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


禅寺で梅田墓周辺の話が聴けます。
住職からのハガキが先ほど届きました。
6月の浦江塾のご案内です。
写真図  浦江塾のご案内のハガキ



文面は以下のとおりです。
郷土誌を見直す『浦江塾』のご案内
前回は旧大淀地区の大淀を見ましたが、今回は中津地区を
探訪します。この地区は今も雨季にはカニがほうている
所のようです。以前には寺社が多かったようで、七墓や
「浜の墓」に纏わる火葬発祥の地として行基菩薩の伝説が
残っています。地域の隠れた面白い情報がありそうです。
    
 日時 6月4日(土曜日)午後7時より9時迄
 場所 妙壽寺(福島区鷺洲2-15-10)駐車可
 テーマ 「梅田墓とその周辺の話」
地域情報サイト「梅田の北っかわ!」管理人
平井 裕三先生
終了後、情報交換等の雑談を行います。ご参加下さい。


以下、田野による書き込み。
お寺でお墓の話?
「何の不思議もない」
てなもんや、おまへん。
会場のお寺から徒歩、15分程の所に
かつて大きなお墓がありました。
「梅田三昧」「梅田火屋」とも
絵地図に描かれた梅田墓が
明治の初めまでありました。
今で云うと
「うめきた」「グランフロント大阪」の西あたりです。


どなたかや言えまへんが、
「墓場があったからマチが栄えたんや」とか?
ホンマかいな?
もともと「梅田」は
低湿地「埋田」で寂しい場所でした。
くれぐれも死骸を埋めたや、おまへん。


今回、地域情報サイト「梅田の北っかわ!」に
ひと味違った切り口で
都会の裏側を発信し続けられている
平井裕三さんに
前回の「北区から見た大淀(浦江・大仁)」とは
異なる視点で
「梅田墓とその周辺の話」をしていただくこになりました。


平井裕三さんは、いったい何故「梅田の北っかわ!」を
立ち上げられたのでしょう?
キタの繁華街「梅田」と「梅田の北っかわ」とは
どない違うのでしょう?

大阪通の方でも
知っているようで知らない問題です。

打合せの段階で平井さんから送られてきた
PowerPointにキーワードとして
「行基」「萩」「日本初の火葬場」が挙げられていました。

これは、おもしろいと住職に持ちかけ
今回、実現の運びとなりました。

ボク的な関心では
なぜ「梅田の北っかわ」に大坂七墓が集中するのでしょうか?
なぜ行基菩薩が開いたとされる寺社が散在するのでしょうか?
行基菩薩の遠祖とされる王仁博士との関連は?
この浦江・大仁には王仁塚の伝承があり
王仁神社が鎮座します。


そのあたりの話を
都心周縁の民俗としての関心で
聴いてみたいのです。

福島区、北区にお住まいの方でなくても
昔のお墓・火葬場に関心のある方、歓迎します。


いつものように参加手続き、参加費不要です。
記名もありません。
30名程度しか資料は用意しません。
お早めにお越しください。


究会代表 田野 登