「地蔵が多く密集する地区」考察から提言へ | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


前回、4半世紀前の拙稿によって
懸案の「地蔵が多く密集する地区」を
考察しようと述べました。


拙稿とは大阪市西区九条地区の調査に基づく
「井戸端のお地蔵さん-裏長屋の民俗誌」
(名著出版『月刊歴史手帖』1988年4月号)の
記事です。

下に載せます。

●井戸端祭祀組織の将来や如何。
 間違いなく、井戸端-隣組祭祀は崩れつつある。
 井戸のある裏長屋には、老朽化したところもある。
 裏長屋は、都市の再開発の波の中で
 中小のマンションや建売住宅に建て替えられ、
 路地も塞がれ、消えゆくところもある。
 隣組はとなると、
 宿替えによる構成員の異動、
 世話役の老齢化に伴い、
 全世帯加入が崩れつつある。
 一本一本、櫛の歯が抜けるようにして、
 隣組は崩れてゆく。
 早晩、町内近所の有志組織に切り替えないと、
 共同で祭祀を維持しきれなくなるだろう。
 隣組といった地縁に基づくだけの組織は、
 住人全体にその地縁性が薄らいだ時、
 保存会・地蔵講といった
 単目的の約縁集団によるアソシェーション型の組織に
 脱皮する他はないのである。
 さもなくば路上から消え去るばかりだろう。


先ず、断っておきますが、
ここに挙げました「隣組」とは
聞き書き調査時に書きとめた語でありまして
戦時期に組織された隣保組織の残存形態、
あるいは、「昔の隣組」に住民によって
比定される隣保組織を指します。
ちなみに「隣組」の意味につきましては
以下の記述が
「デジタル大辞泉の解説」【@コトバンク】に見えます。
●となり‐ぐみ 【隣組】
第二次大戦下、国民統制のためにつくられた地域組織。
 町内会・部落会の下に属し、
 近隣数軒が一単位となって、互助・自警・配給などにあたった。
 昭和22年(1947)廃止。


拙稿において26年前、述べましたことは
地蔵密集地域の衰退であり、将来の予言でありました。

このような記事を書いていた自分が
今、「消えゆく地蔵」や「静かな地蔵ブーム」やら
人前で話しているのです。
今日の自分は、
いかにもノスタルジックにも
崩れ去った「井戸端-隣組祭祀」を喧伝しているのであります。


ところで
今日の少子高齢化社会は人口構成から定義づけますと
「少子超高齢社会」と称するのが正しいようです。
単身高齢者が増える一方、子供人口が減り続けております。
そのような状況下、地域振興の一環として
「コミュニティ」の重要性が提唱されて久しい。
以前、本ブログでは「地蔵堂は記憶遺産」と述べました。


前号で挙げました高津レポートの云う
「どの街にもない暖かさを感じさせる野田の街」について
もとより、野田地区は
地区の7個所の地蔵尊をめぐる風習
「ななとこまいり」を顕彰した先進地区であります。

今回、地元の人たちによる地蔵信仰調査によって
知られざる地域史が明らかにされ、
さらに地域のアイデンティティ確立に
多少なりとも寄与されることを期待しております。


近世にあって
マチ周辺の農村であった地域が
近代に至り
急激な市街地化が進行したのが
今日の福島区です。
幸いなことに戦災被害は他区と比較して
小さかったとも聞きます。

福島区歴史研究会によって
福島区域全域にわたる
地蔵信仰調査が一斉に行われることを
願ってやみません。

将来の区民のためにも
高齢者から歴史を聞き書きするのに
時間の猶予はあまりないようです。


究会代表 田野 登