大正ウチナーンチュを訪ねて 中篇 | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

このいつまで続くかわからない不況の中、
風切り地蔵尊は、無事でいらっしゃっいました。


写真図1 風切り地蔵堂:8189


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お堂を開けて、
例のオンカカビサンマエイソワカを三遍唱え
尊像に手を合わせました。
りっぱな自然石が、昔のまま祀られていました。
「平成二十五年八月二十四日 UM二十三歳」と
書かれた真新しい袈裟が
掛けられていました。
上原さん一族の方が、
この地蔵盆に奉納されたのでしょう。


ああ、よかった。
風切り地蔵尊を再拝できてよかった。
上原和子さまのお宅を訪ね、ご無沙汰の
ご挨拶をしよう。
何度、インターフォンを鳴らしても
返事がありません。
エイサーにでも、家族揃って
出かけられて留守なのでしょうか?
今思えば、
なぜか、お茶湯の湯飲みが伏せられてありました。

道行く人に尋ねても仕方あるまい。

しょうことなしに、エイサーの見物に
千島のグラウンドに向かいました。
グラウンドは、さっきの雨でぬかるんでいて
はたして、エイサーをやっているのだろうか?
あの太鼓の音が聞こえてきません。
世話方のテントに向かいました。

「千島の風切り地蔵のUさんは、
どうなさっているのでしょうか?
今、お宅を訪ねてもお留守のようでしたが・・・」
実行委員をされている方の返事は明快でした。
「ご家庭に不幸がございまして帰っておられます」


それにしても、これだけの人出の中で
よくもまあ、「千島の風切り地蔵のUさん」で
通じるものです。
その時は、まだお茶湯の湯飲みが伏せられてあったことに
気づいてはいませんでした。
これ以上、詮索しても仕方があるまい。
「N先生は?」とまで尋ねましたが、
その方は、ご存じありませんでした。

写真図2 大正子どもエイサー:8206


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グラウンドでは、大正子どもエイサーが始まりました。
これだけの人出の中で
「NT先生をご存じの方はいらっしゃいませんか」と
尋ねて歩いても仕方があるまい。
ボクの知っているウチナーンチュは、他にはいません。
ひょっとすれば、市岡の卒業生から声をかけられるかも知れない。


グラウンドでは、大正子どもエイサー団による
親子エイサーが演じられていました。
親が子に継ぐべきものが、この人たちにはあるのです。
かわいいパーランクーが軽快な音を響かせます。
あるいは、親であるウチナーンチュ二世は、
今や、父母の地の文化を知らずに生まれ育ち、
三世である子どもたちと一緒に、
沖縄の伝統を学習しているのかも知れません。


西成でいごの会による
親子エイサーの時にはハプニングがありました。
エイサーの衣装を一人前に身にまとった
まだ3歳ほどの幼児が
締太鼓を叩きながら踊る女性の前に飛び出しました。
一緒に踊ろうとしているようにも見えるのです。
演技終了後、その女性に抱かれて坊やが
退場するのをみまして、
あぁ、やっぱり親子やったんやぁと
思わずほほえみました。


本来の神事から離れた民俗芸能であると
たとえ、批判されようとも、
ハレの場で、溌剌とアイデンティティを主張できる
今日のウチナーンチュが羨ましくも、思えてきました。


写真図3 昭和山を背景に繰り広げられるエイサー祭り:8230


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空が明るくなってきました。
千島グラウンドの背景に控える昭和山の
木立に陽が差してきました。
この山は、大阪万博を前に
大阪地下鉄延伸のために市内を掘った時の
残土でできた人工の山です。


お弁当を開いて、声援を送る一家をみかけました。
ビールや焼酎も開けて上機嫌です。
ああ、この大運動会は
ムーアシビ(野遊び)なんやと納得しました。

ウチナーンチュは、昭和山でムーアシビをすると
かつてNT先生から聞きました。
この山にはツツジやソテツが植わり
亜熱帯の木々に覆われています。

祖先の生まれた彼方を偲ぶ、
近場での行楽に格好の場所が
ここなのかも知れません。
国見をする山なのかも知れません。
昭和山にかかる雲に望郷の念など抱く
ウチナーンチュもおられるのだろうかと
勇壮なエイサーの太鼓の音に聞き痴れながら
一人のヤマトゥンチュは空想に耽っておりました。


その時、携帯電話が鳴り出しました。
港区南市岡の方から波切地蔵尊の情報です。
先達てから南市岡の波切地蔵尊が気がかりで、
尋ねていたことへの返答です。
今、大正区におりますので、
すぐ、そちらに参りますと答えました。


また携帯電話が鳴り出しました。
今度は、此花区の村尾清一郎さんからで、
今から、エイサーを見に、そちらへ行きますとのこと。

エイサー見物を切り上げて南市岡へと
思っていた矢先の電話です。
さあこれからが大変です。
せっかくのお出ましに無碍にもできまい。


以下、次回に続きます。
これから先、風切り地蔵で23年ぶりの対面がありますとは、
夢にも思っていませんでした。