「阪神北大阪線沿線・源光寺における行基伝承-『摂津国南浜村源光寺文書』を軸に-」 | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

昭和50(1975)年まで、阪神北大阪線という路面電車が大阪市内北西部を走っていました。

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《写真図1》阪神北大阪線

野田阪神から中津を経て天神橋六丁目(天六)に達する路線で、
沿線の工場労働者のアシとして親しまれていました。
その沿線の社寺に奈良時代の高僧・行基および、その祖先と伝わる王仁博士の伝承がみられます。
現在は阪神バスの路線が代行しています。

今回の「晴耕雨読」は、天六から西へ「南浜」でおります。
JRのガードの東側、路線の北側に地蔵堂があります。
「道引地蔵堂」です。このお堂の門柱には「行基菩薩開基南浜墓所」と書かれております。


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《写真図2》道引地蔵堂
地蔵堂の裏手は、行基開基の墓所と伝わります。墓地内には、近世大阪の災害史を語る、
供養碑が安置されていたりもします。
この墓地は、元禄の頃、「浪花七墓参り」の一つで盂蘭盆会に賑わった所でもあります。


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《写真図3》南浜墓地
JRのガードを抜けますと、円光大師(法然)ゆかりの浄土宗・源光寺があります。
境内の道標には「はまのはか」といった文字が刻まれております。


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《写真図4》源光寺境内の道標
平成14年(2002)に、*このお寺の古文書が翻刻されました。

*このお寺の古文書:平裕史・西本幸嗣編著2002年『摂津国南浜村源光寺文書』
佛教大学文学部史学科平裕史研究室

この古文書を読めば、源光寺には、幾多の伝承が重なり合っていることが明らかになります。

同書「源光寺の概要-源光寺文書の研究」Ⅲには、浄土宗に属するようになったのは、
明治10年(1877)とあります。そんなに昔のことではありません。
むしろ、近世においては融通念仏の一拠点であったとも記されております。

同書翻刻の冒頭に挙げられている《(1)摂州西成郡南中嶋融通大念仏宗由緒書/
*1天和三年六月》にある「中嶋大念仏宗由緒書之覚」には、次の記事があります。
*1天和三年:1683年

(1)一摂州西成郡南中嶋融通大念仏宗之儀、中興開山同国東成郡深江村法明上人より相続 仕候、尤法明上人より相伝之本尊三百余歳已来崇敬候御事/
 一法明上人より代々上人之名帳記録等、乱世之節、紛失仕、漸*明応年中より以来百九 拾歳余迄之間、証文寄付状少々相残什物目録仕、別紙ニ差上ケ申候御事 (1頁)
  *明応年中:1492~1501年 
 源光寺の由緒を記すのに、法然上人でも、行基菩薩でもなく、鎌倉末期の法明上人による「中興開山」から書き起こしていることは、注目すべきです。法明上人は、融通念仏宗
再興の祖とされます。「河内七墓」の一つである長瀬墓地(東大阪市長瀬町)にも祀られています。「法明上人有馬御廟」がそれです。

 この文書に「行基」の名が頻繁に見られるようになるのは、寛保三(1743)年からです。

(2)*寛保三癸亥年行基堂焼香場願之控/乍恐/渡辺民部様御代官所/聖 清兵衛/同  与兵衛/一右墓所/焼香場梁行弐間、桁行四間半並南角屋梁行弐間半、桁行三間半、建修 履之願、/行基堂梁行弐間半、桁行弐間建修履/本山源光寺(以下略)*寛保三癸亥年: 1743年(同書39頁)
 寛保三(1743)年に聖から代官への墓所・焼香場・行基堂等建修理の願いが出されているのです。「聖」とは、墓所を職場とする三昧聖を自称する墓守のことです。この文書では、「行基堂」の「建修履」が記載されておりますが、彼ら三昧聖にとっての「行基」とは、いかなる存在だったのでしょうか。次の文書は、その翌年の口上書です。

(3)口上書を以奉申上候/一御下摂州西成郡南浜村領大念仏宗源光寺ハ、行基菩薩開基退 転なく有来候、往古之御宮様方御記録・御領主御書物等御座候、境内ハ御除地ニ而御座候 /*延享元歳子七月(以下略) *延享元歳:1744年 (同書39頁)
 注目すべきは、「行基菩薩開基退転なく有来」とあることです。当山の「行基開基」には昔からの記録や書物と云った証拠もあると申し立てているのです。(1)の天和三(1683)年由緒書においては、「中興開山」から書き起こし、書状もようやく明応年中(1492~1501年)以来の目録を記し始めたとありました。それが、この段に至って、起点を奈良時代の「行基菩薩開基」にまで遡っているのです。このような「行基菩薩開基」伝承が急浮上するのは、この時代の三昧聖集団の動静に呼応するもののようです。

(4)乍恐書付を以御願申上候/一渡辺民部殿御代官所摂州西成郡南浜村浄土大念仏宗本山 源光寺開山行基菩薩*1来ル辰年千年忌相当り申候、依(40頁)之、為供養、来丑三月十九 日より同廿五日迄、取越法事執行仕/度奉願候、右御許容被成下候ハゝ、難有可奉存候、 以上/摂州西成郡南浜村本山源光寺 印 *1来ル辰年:延享5年(1748)。(同書39~40 頁)
 源光寺は、行基菩薩千年忌供養のための法事執行願いを御奉行所に提出しているのです。
行基菩薩千年忌は、近畿地方の墓所各地で営まれていたと想像されます。大阪府南河内郡美原町大保の*浄土寺墓地の墓碑銘に「(本体正面)行基大菩薩塔/(本体右側)正當戊辰歳(注:延享5年1748年)二月二日/(台座正面)一千年忌為報恩立(中略)」とあります。*浄土寺墓地の墓碑銘:吉井克信1998年6月「近世畿内三昧聖の宗教的側面と信仰」『紀要 部落問題研究』144特別号、部落問題研究所発行、17頁
 この墓碑は、行基一千年忌の営まれた延享5年1748年)二月二日に、行基への報恩のために建立されたものであります。いったい、誰が建立したのでしょう。もちろん、三昧聖でしょう。
 大阪市東住吉区公園南矢田三丁目の矢田墓地には行基を祀る墓があります。剥落が著しく墓碑銘の判読が困難につき、*『中河内郡誌』に紹介された銘文のうち関連部分だけを抄出します。

(5)南無行基大菩薩(正面)/時 延享五年歳次戊辰二月二日奉修一千年御忌者也(以上左  側)/河州丹北郡矢田部邑/弥明寺三昧聖中(以上裏面)
*『中河内郡誌』:*中河内郡役所1923年『中河内郡誌』(名著出版1972年)406頁
 矢田墓地にある行基一千年忌供養墓碑を建立したのは「三昧聖」です。大保の浄土寺墓地もそのように考えてよいでしょう。三昧聖の行基讃仰の頂点は、延享5(1748)年の行基一千年忌に迎えます。このような文脈の許で源光寺における行基に関連する記事を読みますと、行基伝承の歴史的展開がはっきりと見えてきます。


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《写真図5》「浜村 源光寺」『摂津名所図会』

源光寺文書には、諸々の縁起も翻刻されております。行基の登場する*「当山荼毘所開闢の濫觴」もその一つです。

(6)抑当所浜の墓所と申は、行基菩薩の開闢にて、我朝葬所の初めなり、行基菩薩と申奉 ルハ、泉州大鳥郡高志氏の苗裔にて、根本の姓ハ諸越百済王の後胤なり、出生以来一代 の霊異凡人にあらす、委ハ彼師の伝文に具なれば繁を恐れて是を略す、(以下略)(同書167 頁)
 興味深いのは、行基を「諸越百済王の後胤」と語る点です。行基を王仁博士の末裔とする伝承があります。王仁博士は、『論語』『千字文』を伝えたとされる伝説上の人物です。
この《王仁→行基》伝承には享保19(1734)年序『行基菩薩草創記』(京都大学所蔵本)の冒頭との関連が考えられます。

(7)本朝人皇四十五代を御す。聖武天皇の帰依渇仰まします。釈の行基の高蹤を尋奉るに御父 ハ高志の貞知とて。先祖ハ百済国王の苗裔にして。王仁が末孫なり。
 『行基菩薩草創記』では、父を「高志の貞知」とした上で、「王仁が末孫」と記しています。この『行基菩薩草創記』を読み進めば、南天竺からの渡来僧・広願が志阿弥法師と命名され、行基の舎弟となり、和泉国に共に三昧を草創することになります。その志阿弥法師こそ三昧聖の祖であると語られます。この書物は職人がその起源を語るある種の偽文書です。源光寺の墓地を職場とする三昧聖もまた、『行基菩薩草創記』にある世界観を共有しました。彼ら三昧聖が行基開基伝説を浪花七墓や河内七墓を参る人たちに広めていったのです。「道引地蔵」の由来には、このような経緯が秘められているのです。
 今回、『摂津国南浜村源光寺文書』を通覧することによって、それまでから抱いていた源光寺は三昧聖が携わった「墓の寺」といった側面に焦点を当ててみました。

 ボクは全国大学人権教育交流会において「三昧聖の墓をめぐる行基の伝承」を発表します。
一般からの発表聴講もできるそうです。興味のある方は下記まで。

全国大学人権教育交流会
研究発表会・研究報告会のお知らせ
○開催日時:2013年3月31日(日)
<第一部>10時45分~12時00分 <第二部>13時00分~16時30分
○場  所:関西学院大学大阪梅田キャンパス K.G.ハブスクエア 1405教室
大阪市北区茶屋町19-19 アプローズタワー内 Tel:06-6485-5611
(阪急梅田駅茶屋町口から5分)
○参 加 費:1,500円  学生他1,000円(当日頂きます)
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-11482494546.html


なお「大阪あそ歩」の2013年春が発表されました。
前回紹介しました市岡コースは、4月20日(土)午後にガイドをします。
申し込みは「大阪あそ歩」ホームページ http://www.osaka-asobo.jp
ご参加をお待ちしております。