人の生きる意味は何か | 3年前のしこうの楽しみ

3年前のしこうの楽しみ

ブログの説明を入力します。

より客観的な生きる意味を探ることに意識を向けつづけました。
これを明確にする必要を感じるということは、認識のブラッシュアップのために重要なことであると考えたためです。
それとともに、人は何のために生きているのかというテーマに対して、自分なりの見解を明確にすることにもつながるでしょう。

自分の能力を最大限生かして楽しみながら社会の健全な発展に貢献するために生きる、というだけでも十分かもしれませんが、これはあくまで個人的であり、人間という存在全体にまで広げることは難しそうです。
どちらかというと、この価値観はマイノリティーである可能性もなくはありません。
より客観性の高い価値観はないのでしょうか。

そう考えていて、あやふやになった原因が分かりました。
それは、多くの人と接する中で、社会貢献や自分の能力を生かすことや楽しむことに対して、自分の命をかけてでも本気に向き合うことを誰もが選択するわけではないことが実感できたことです。
つまり、自分とは違う人がたくさんいるということが認識できたということです。

もちろんそれは悪いことではなく、自分の世界観を広げて社会に対する正しい認識を持つ上で重要でした。
また、人はある精神的段階なれば同じようなことを考えるということも分かりました。
ただ、自分の生きる意味が人間全体の生きる意味ではなかったことを潜在意識に突きつけたようでした。

それを知覚できていなかったためにあやふやになったのでしょう。
そこが明確になると、より広い視野でとらえられるようになったのか、自分のより深い目的が顕在化しました。
それは、自分という存在の定点観測という生きる意味です。

つまり、自分という存在が何者であり、この世界のどこに存在しているのかを全人的に知ろうとする欲求です。
このようにとらえると自分も含め、より多くの人も包含できそうな気がします。
また、自分の様々な活動の目的も一つに括られる度合いが上がりそうです。

ひとまず、生きる意味をこれに認識し直して、様子をみようと思います。

谷孝祐
2014.8.11 9:06