犬を飼い始めて9ヶ月が経とうとしている。

 長かったようにも感じるのは、我が犬の成長振りを写真などで感じることが出来、ようやく犬との暮らし方も一段落というか、目処が立ってきたからであろうと考える。

 犬を飼い始めた頃は特にしつけや社会性について調べ、ネットで知りえた情報を元にそれなり躾けてこれたつもりもあるし、一方ではまだまだ十分では無いと感じることもあり、これらを今後の課題と楽しみと捕らえ、生活のエッセンスとして、犬を可愛がっていくつもりである。


 さて、最近ネットの掲示板で見かけた内容で、日本の犬は肩身の狭い思いをしているのではないかと感じる書き込みがあった。

  スーパーに連れてこられた犬の鳴き声で迷惑しています 
 
 トピックを立ち上げた人の言い分は、近所のスーパーマーケットに買い物に来た客が2匹の犬を連れており、スーパーの前に犬を待機させ買い物をするということである。ここで問題視されているのは、2匹の犬はどうやら待つのに慣れておらず、飼い主の姿が見えなくなると30分以上鳴き続けるということらしい。近所の住民として我慢ならない騒音であり、対処方法について相談を持ちかけている。

 なるほど、確かに数分ならまだしも、30分以上鳴き続けられたら、犬の好きな人間であっても我慢できたものではない。
 
 大げさかも知れないが、定期的に買い物に来るのであれば、近所の人間にとっては騒音であり甚だ迷惑な話である。誰かが勇気をもって飼い主に一度意見するべきと思われるが、なぜか昨今のご時世では逆ギレなんぞ恐ろしい話もあり、正しいことであっても声高に言えたものでもない。逆に悪者扱いされることさえある。


 まったく、日本はどうしてしまったのか。

 私の子供の頃は常に大人というのは権威であった。そして大人の言うことやることは白が黒であっても正しいことであり、子供はただ従えばよかった時代でもあった。

 時代の流れというか、いつのまにかその大人たちが実は悪いこともしており、信用に耐えうるべき存在から変化してしまったのである。学校の先生、医者の先生、政治化の先生、悲しいことに尊敬のシンボルといういうべき先生というイニシャルが驚くような事件を起こしていたりする。一部の不心得者が聖職という名に隠れ汚職や醜悪な事件を巻き起こしたりしているのは今更説明の必要も無い。

 信用できる存在や道徳が揺らぐと、自然に自分のことは自分で面倒を見なくてはいけなくなり、他人からの意見も受け付けなくなる。そして我侭な振る舞いが当たり前の社会と繋がっていき、結局自分のことだけが大事、また面倒をみるのも自分のことだけで精一杯という世智辛い世の中へと変わっていき、他人への思いやりなどを持ち合わせない人間へと育っていくのではないか。

 マクドナルドの価格表にスマイル0円と書かれているのがあった。もちろん商店としてサービスを謳い文句とするのに異論は無いが、実はそのスマイルに中身が無いことに誰も気が付いていない。
 笑顔で対応する店員のスマイルには、客に対する愛情や感謝は込められておらず、単にアルバイトの仕事として求められており、作り笑顔をしないと店長に怒られるからしょうがなくやっているだけなんである。
 要するに愛想笑い。グラビアに出てくるタレントの愛想笑いが可愛くないと思ったことがある人はいるだろうか。いつのまにかその愛想笑いとやらが当たり前になっている気持ち悪さ。実は笑っている相手は自分の心に対してである。


 話を戻すと、この問題は犬の飼い主である。要するに犬の言い分としては飼い主が居なくなり不安があるので鳴く訳で、飼い主との信頼関係が確立し、かつ成犬で落ち着きがあり、待つような指示が理解できているなら鳴く必要も無い。
 また、どうやら飼い主は犬が泣き続けている事実も了解しているみたいで、戻ってきてから「鳴いてちゃダメでしょ」などとなだめているのも目撃されている。よって、周りの人にどれだけ迷惑をかけているか理解しておらず、いや、しているかもしれない。そして他人の嫌がる行為を行うことに対して抵抗が無いのではないか。

 この掲示板にいろいろな意見が寄せられていたが、犬が可哀想という意見はもっともであると思われるが、そもそも犬は飼い主だけが可愛いと思っているだけで、他人は思っていないという事実を理解して欲しい。
 もちろん犬が好きな人は多く沢山いる。しかし、その一方で犬が嫌いだったり苦手な人も沢山居るという事実も忘れてはいけないのである。

 犬好きという自分の価値観は一般的ではない。むしろマイノリティーであるかもしれない価値観を公共の場で置き去りにしてもいけない。
 なぜなら、犬と上手に付き合い、いつまでも犬との生活を楽しみたい人は、犬に社会性をもたらすことにより上手に自分と犬の生活とその世界を守らなくてはいけないからである。

 はたしてその犬の社会性とはなんであろうか。簡単に言えば、人間が住む世界に犬が人間が不快に思う行為を行わせず、更に飼い主の都合に良い振る舞いが出来るよう調教することである。
 更に飼い主もその犬が幸せに暮らせるよう努力することでもある。散歩先での糞の処理や尿の洗い流しなど、けして楽なものばかりではない。

 日ごろから犬の社会性に対し努力している人がいる以上、一部のモラルの無い人間のために、全ての犬の飼い主が同じモラルの持ち主であるように扱われ、犬たちの幸せが損なわれるのだけは避けなくてはならない。

 どんな社会になろうとも飼われる犬達には一切の責任も無いのだから。

 

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