◎サッカーチームができて、ふるさとができた | サッカーとジャンクの日々

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私の街にはこれが足りない ブログネタ:私の街にはこれが足りない 参加中


昔横浜に住んでいて、親が浦和を気に入って家を建てた。子供心に「なんで埼玉に・・・」と思ったけど、駅から家に歩くのが普通だったり、駅と駅の間隔が短く、その線路沿いには旧中山道がずーっと横に通っていて場合によっては歩けたり、と非常に街の作りがコンパクトで便利だった。

でも、全く特徴が無く、横浜の友人に「どういうところ?」と聞かれても何も答えられず。横浜は海はあるし中華街はあるし山も近いし外人墓地はあるし・・・とランドマークにはことかかない。そんなところから来て、余計に「何もない」を感じたわけです。本当はウナギの蒲焼き発祥の地説もあって、あちこちにウナギ屋があったり、何かにつけお客さんにはウナギだったり、といった名物もあるけど、あんまり子供には関係ない。

その後、色々と浦和を離れて生活していて、一つだけ特徴があった。それは、「友人がいる」ということ。どの時代もいるけど、やっぱり中学・高校の時代を過ごした場所が、「地元」になるみたい。

加えて、Jリーグが始まった。

ここから全てが変わった。(プロジェクトX風の声で)

関西にいたときは、「浦和ってどこにあるの?」と聞かれれば、面倒くさいので「東京の方から」みたいな、消火器売るサギみたいなことを言ってた。あと、浦安と間違えられてディズニーランドが近いみたいな間違いも。まあ関西から較べればはるかに近いですよ。

それが。「ああ、『あの』浦和レッズがあるところ」に変わった。問題はあって、なぜか『あの』と言われる。何かと言えば、試合後に選手を叱咤激励しているシーンとか、相手チームにエールを送っているシーンとか(脳内変換してください)が、TV等にも受けて、あちこちで露出したコトによります。

そもそもJ以前からサッカー好きだったから、プロ化はもううれしくて。しかも、自分の町にある犬の散歩もしたスタジアムがホーム。しかし!自分はなんと関西にいる。(当時)

知恵を絞りまくって、東京勤務を取り付け、さらに本社に戻りにくくするために、と家も買い。でも、無情にも数年後は戻ってこい命令が出たので、その会社はやめました。手元にある駒場のシーチケを見ていたら、とてもスタジアムと離れた場所では生活できないな、と。

ここで、自分の中で「自分の町に足らない物」が一つ埋まったわけです。そもそも『自分の町』と呼べるようになった。

職場に町田から通ってる人がいるけど、町田も浦和とはまた違うベクトルながら、似たような見え方をしていたみたいです。でも、ゼルビアがJリーグ入りしたこと(既にその挑戦の途中でも)で、やっぱり『オラが街のチーム』的な愛着を持ち始め、自分の町を再確認した、といったこともありました。サッカーに限らず、街の名前を冠して戦う集団がいると、帰属意識は高まります。

これで十分か?というとそうでもない。ささいなことですが、靴屋さんとラーメン屋さんプリーズ。