大分の活性化のためには学生起業家が必要である | 種まく旅人〜おさむ編

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※先に断っておきますが、タイトルに『活性化』を使っているのは本望ではありませんが、この言葉を使ったほうが何かと“釣れる”のであえて使わせていただきました。

私が『活性化』という言葉を使いたくないのは、こちらの記事を参照して下さい


今年度に入ってから極端に活動の露出とそもそもの量を落としています(というか医学部6年生っての分かってる?)。し、これから殆どゼロになります。やっていないものがあーだこーだ言うのは不本意ではありますが、今までやってたものの意見として捉えていただけるとありがたいです。2005年に東大でアントレプレナーシップ論講座を受講し、大分にもあればいいなとその頃から学生と連絡を取るなどしてはいたものの、どうも外から帰るのは厳しくて、2009年に戻ってきて今まで活動してきた私なりの最新の考えです。


大分は、とてもいいところです。かつては大分には何もなくて、東京のキラキラしたものに憧れ大分を捨てた自分ですが、こんなにたくさんいいものがあるとは思いませんでした。

医学部受験で大分に戻ってくる決意をして、一生大分で生きていくのなら、心の底から大分のことを好きでいられないといけない自分が住みたくなる大分をみつける(つくる)つもりでいろいろやってきました。赤猫根性という大分の県民性は、そんな僕をとことん出る杭として打ってきましたが、右頬を殴られたら左頬を差し出せ。それができた時に僕は『ここまでされてもそれでも...本当に大分のことが好きなんだ』と改めて認識することが出来ました。まぁ、その差し出した左頬もガッツリ殴られて、もう差し出すものがないんですけどね、ボク

2年前から、縁があって東大時代にお世話になった恩師と、今度は講座を開く側の立場として関わり、大分でもアントレプレナーシップ論講座を開くことが出来ました。

先生と生徒という関係だったのが、時を経て僕も自分なりのアントレをやり続けた結果こうして語り合える仲になったというのは、継続は力なりというのを教えてくれます。

僕が、その大学院講義の成績がC(可)であったのは黒歴史として封印ですorz



僕自身も、大分に帰ってからもかつての仲間とのつながりからいろいろ学び、その都度大分にもそのチャンスをまいてきた。残念ながらその芽を収穫にきてくれた人は少なかったが、芽が生えてるのに捕ろうとしないくせに『大分にチャンスがない』なんてよく言えるなぁと思いつつもかつての自分を思い返す。あの時、大分にこういうのがあれば、自分は東京に出なかったかもしれないな。




大分に帰ってきて、当時は現役で動いている団体がゼロだった大分に、学生団体BTG大分(大分で学生団体の名を掲げるのは初!←ちなみに、2番めはおそらく学生団体ほむんくるす【医学部】で、こちらも関わってますww)を立ち上げた。情報発信も怠らず、そこそこメディア露出や、東京の頃の学生団体仲間の間で大分での学生団体として定着した。

その当時なかったが、今大分にはそういう団体がたくさんある。賛否あり、どちらかと言うと僕は否の方なのだが、いずれにせよ元気であるべき学生が元気に何かをしているというのは歓迎すべきことだと思います。
特に、そういう活動の中には大分にある社会問題に取り組む団体も中にはあるので、そういう団体での活動経験は、学生が社会人になってからも十分活かせると思っている。



だが、そこでの経験が実際に社会の問題を解決できているかというの少し疑問が残る。

これは、学生であることの数少ないマイナス因子によるもの


それは、学生にのみ存在する卒業=居なくなるという仕組み。

多くの問題は、短期で解決できるものではない。5年10年スパンでPDCAを回してようやく解決できればいいほう。一歩前進といえるのにすら3年はかかると言っていい。

ところが、大学は多くが4年(修士課程含めて6年、なおとってもなんにもならない大分県内の大学博士課程の期間は最初から期待をしないこととする)、地域で発揮される能力が高いと言われる県立芸文短大なんかたったの2年。就職活動による時間拘束を考えると、4年制大学は実質2年半、短大は1年半しかない。

せっかく能力を鍛えても、地域で身につけた能力が地域に還元(恩返し)されるかというと、非常に低い還元率なのではないか。なぜなら、地域には地域ニーズを満たす職の数が十分にない(枠も)。

まぁ、無いから作るという発想はいかにも起業家思考なわけだが、そこでもやはり学生力をキーワードにしてほしい。

タイトルにもある、大分の活性化のためには学生が必要なのだ。

大分の活性化のために必要で、社会人にできなくて学生にできること

学生のよさはなにか




しがらみのなさ



これに尽きる。

もっというと、しがらみを毛嫌う思い込み




社会人になってしまうと、できなくなってしまうことがある

これは、実際自分が見ていて『あぁ~、やっぱできないんだなぁ』って思ってしまった。

事業とか、ビジネスでつながってしまうと、そこにお金(多くは広告宣伝費)が発生してしまう。

お金で食っていく以上、そしてお金を媒介させている以上、ここでいうイイモノとはお金があるモノ(お金をたくさんくれる会社、生産者)になってしまう。

もちろん、本当にイイモノ=お金をくれるモノであれば理想だが、そうでないからこそ今の大分の問題が発生している。

とうもろこしを本当は200円で売りたいけど100円で売らないといけない苦労

そんな会社が、たくさんの広告費を支払えるか?どこに払うか?コスパは??



反面、学生はイイモノ=お金をくれるところでは動かない

彼らはまだそこまでお金にシビアではなく、かつお礼(気持ち)として金銭の受取をするのは何となくいけないことという罪悪感勘違いで抱いている。

白い巨塔ではないけど、『お気持ちです』とお金を受け取ることが悪だと何となく思い込んでいる。
でも社会にでるとその『お気持ち』で優越つけていかないといきていけない現実も出てくる。


そのと思っているものが勘違いであると気づくのが、生きていく上で必要なお金を稼ぎだす社会人になってからであるのだが、勘違いしているうちはそれに便乗しない手はない。

学生は、お金ではなく、そのモノ自体に物事のよさの判断基準をおいています
それしか指標がないからです。


となると、学生が広めるものこそ、ほんとうによいモノといえると思います。


この辺、実はそーとーシビアです。よっぽどでないと学生はイイモノ→広めようの段階まで行動しません。だからこそ、この難関をくぐり抜けたモノは本当にイイモノだといえると思います。一度そうなった時も学生の口コミ等による情報拡散力は凄まじいです。

それに広告費はかかりません。し、受け取りませんwww

僕は竹田のとうもろこしすごあまこーんで一切広告費等の金銭の受取はしていませんし、昨年はそれどころか販売会の利益をそのまま竹田市の災害復興に寄付させていただきました。文化会館の再建に使われると、竹田市町から伺っております。



学生の力が、大分の活性化には必要。

だが、その学生は卒業して入れ替わりが激しい

能力や経験、失敗等の蓄積がされない

そういったものを、蓄積していく組織がどうしても必要になる。

しかもそれで食べていかなければならない。



そこで、起業です。


それも、学生起業家が必要だと僕は思います。


確かに、若手の社会人の方が起業するのもいいと思いますが、学生を扱うために本ブログでまとめさせていただいた学生と協力する上での注意点を熟知している必要があります。さらに、これは起業という言葉が持つ必然なのか、大分という地方で起業しようという方の中には東京コンプレックスを抱いて、言葉は悪いですが都落ちしてきてなんとかして六本木ヒルズを巻き返してやろう東京の輸入をしがちです。東京の輸入は大分で絶対うまく行かないのはもう何度も言いました。


より、学生に近い立場ということで学生起業家がでてくれないものか。

そうすることで、大学背の経験がそのまま社会に通用するというのは、大学で学んだことが社会にどう役に立つかわからないと悩む学生(もしくは役に立たないと決めつけている学生)にとって在学中の希望にもなります。

し、もし将来その会社に就職することを目標にするならば、モチベーションはものすごく高いと思います。




別に、起業がすべてとは言いません


ましてや、僕は起業するわけでもありません(多分)



ただ、今の大分の学生にはそのライフプランとして起業という選択肢がないのです。




大分にいるがゆえに、選択肢が少ないというのは、中には仕方ないと割り切る必要もあるものもありますが、起業はその部類には入りません。




大分のためにも、学生の力が必要であり、それを最大限活かすためにも学生起業家は必要なんです。

東京や六本木ヒルズに染まらない、純大分の起業家が・・・。