種まく旅人〜おさむ編

種まく旅人〜おさむ編

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学生ラスト記事は、やはり自分が大分に作った学生団体:学生団体BTG大分 について。

東京に憧れ、そこでもまれつつもなんとか自分の場所にした僕にとって、医学部(医師を目指す)とはいえようやく手に入れた東京という環境を捨て大分に戻るのは大きな決意だった。

しかも今回、確実にもうずっと大分に住むという意味を持っていた。



だったら、自分で住みやすい大分にしちゃえ!!!



最初は、東京のマネゴトから始めた。


大分に学生団体を!


学生団体BTG大分の設立だ。


BTG

※ロゴは、立ち上げ当初のメンバーが考えてくれました



大分に、東京を輸入した



でも、途中(竹田を知ったあたりから)からちょっと待て、東京よりも大分にあるもので大分は十分元気になるんじゃないか??と思うようになった


ちょうどその頃、東京で師匠だった仲間が徳島の地域活性化コンテストを学生主催で立ち上げていた。


東京で活動してきただけに、学生団体というネームブランドにはプライドがあった。


インカレサークルでも、仲良しクラブでもない。BTGは学生団体だ!!


その学生団体のブランドを汚さぬよう、またそれを標榜している以上 学生団体が取り組むべき社会問題もいくつかあった。

中には自分が興味無かったりやりたくないものもたくさんあった。


でも、学生団体を名乗っている以上、また、『やりたいけど何をやっていいか分からない、やりたいけどやり方がわからない メンバーに成長を!』とキャッチコピーにしてメンバーを集めている以上、自分がやりたいことだけをやっていいという訳にはいかない。メンバーが、『これ(成長につながるので)やりたいです!』と言ってきたら、マジかよ∑(゚Д゚) やりたくねーよ!!ってのも、やらなきゃいけなかった。


そんなのも、やってみると見えてきたものがある


そして、苦手だったものと自分が得意なものをコラボして新しいものも生まれたりした。


後半期になって、学生活動が大分でも活発になる中でいくつかの派閥しがらみが学生の中に生じてきた。また、学生という存在を勘違いして、ただのマリオネット扱いする迷惑な大人たち社会貢献というマヤカシをぶら下げて学生に近づいてくる良からぬ動きも見えてきた。そういう怪しいオトナは、僕は一切受け入れなかった。それが、団体代表としてメンバーを守る責任。


3月18日、BTG代表引退式を行った。

そこで僕が最後にプレゼンさせていただいたのはシンプルに学生力


しがらみなく、また、学問を追求する学ぶ権利を持ち、それを通行手形としてなんでも学べる それが学生。


オトナの思想に同調する必要はなく、時に常識に疑問を投げかけ議論をする。自分なりの論理を構築し、自分の意見として発信する。それが学生。

しかも、学生にしかできません。

社会人にはできないことが、学生はできます

そういった意味で、社会人って つまんねーー です。


そんな つまんねーー 社会人に、僕も明日からなります。


失う力は凄く大きい。

でもその一方で得る力もものすごく大きい。


その、社会人になって得た力で、引き続きカタチは違えど地域に貢献していきます。


学生と社会人、社会の中で上手に正しく役割分担を正しくやれば、世の中は変わると思います。

正しい方向に導かれると思います。


その、学生力を社会に正しく発揮するために、学生団体という存在は必要です。




学生団体BTG大分。

BTGとは、Bungo Think Growの略。

大分という地方の学生が、地方にいながら東京に負けないくらい成長する策を実行する団体。

その活動理念は、学生団体の名に恥じぬよう、学問力・学生力を阻害されることなく最大限発揮することにある。学生の力で、社会にある問題を分析し、時に打ち手を構築し問題解決を行う。

もっともっと、学生団体、学生の力が正しく社会でコンセンサスを得られると僕は嬉しいです。

<おことわり>

実は、あまり話題にしてはいませんでしたが、後半期に学生の方から「こういう(迷惑な)社会人の方が近づいてきたんですけど、どうすればいいですかね?」「ちょっとこの人で困っています」という相談を受けることが非常に増え、社会人と学生の間をフォローするという非常にだるくめんどくせーーーことを僕がしないといけなくなっていました。

学生と付き合うコツについては、学生の説明書でブログに書いているので、まずそれを読んでいただき、それでもうまくいかない、やりにくいという時は申し訳ありませんが学生と何かをやるということを諦めていただけないでしょうか

よろしくお願い致します。


あっぁ~~、結局最後もグチで終わったorz
昨晩、引越し完了記念(謎)で学生勉強会をこっそり開きました。

そこで、まぁ組織運営云々の話もしたんだけど、過去BTGが行って映像が残っている講演会の内容をすべて見せました。ま、参加した学生がまだ高校生の頃だったんで知らないのも無理は無い。

具体的には、秋本祥治・内藤佐和子の講演会。

改めて思うのだが、BTG4年やってるけど、BTGはなんたるや、その果たすべきミッションの極意は全てこの2講演に凝縮されていたなぁと振り返った。


そんな中、秋本祥治さんの講演にあった学生生活を充実させる最強の法則わらしべ長者ランチの法則を改めて振り返った。

この法則、講演会に参加(行動)した人の特権とすべき最高の法則で、その内容をここに書くのはアンフェアーだと思います。ですが、とても大切なことでそれだけはお伝えしたいので一部以下に抜粋します。


<学生だけど素晴らしい人に紹介して頂いて会う話>

とは言うものの、貴重な時間を頂戴して人にお会いする以上、下調べしとかなあかん。

とりあえずGoogleで検索してこれまでの経歴とかWebページあれば調べとくブログやってたらその内容も読んでどういう考え方をしている人なのか予習する。その中で、聞きたいことをリストアップしておく。

そうして会いに行く。


貴重な時間を頂戴しているわけやから、相手に気持ちよくなってもらわなあかん







この、予習ならびに相手に気持ちよくなってもらうというそもそもの発想が大切。


僕が、大人の方に誘われたり食事に連れて行っていただく時、時間を僕にくれているという意識でいる。

はっきり言って、僕が話したい内容は4割も話せていないと思う。

残り6割以上は、その場で相手方の反応を見ながら話したそうなことや、とにかく1時間程度の短い間かもしれないが僕と一緒にいてよかったと思っていただけるように心がけている。

あれ?そんなんじゃ自分の聞きたい話聞けないから意味無いじゃん

と思った方いませんか?

2つの点で間違っています


1,年上の方と関わって、ある目的のため時間を使うとして、その目的が達成されなかったからといって意味ないと思うその発想がそもそも間違っています。

僕の方から『お会いさせていただけないでしょうか』と話を振っておきながら、まず自分の目的(何らかの問題解決)を達成するため(自分中心)を目的にしてはいけなくて、とにかく自分という人間を気に入っていただけるように心がける

細かい能力や仕事抜きに、人間的に気に入っていただけると、自分が人生の中いざ困ったときに必ず助けていただける 仲間 になります

これが、ビジネス的な付き合い程度だったら、案外人って冷たいものです。

いや、恩ないし』『いきなり連絡してきたと思ったら何や!!』ってなります。


実際僕も、過去にあった。基本的に後輩は大切にするんですが、僕を頼っていただける分はたしかにうれしいんですが、あまりにも(僕が出ると)簡単に問題解決できてしまうため、二つ返事で『分かった』といえなかったことがありました。

2,答えは自分で見つける


今の自分に何らかの問題が生じていて、その解決のために大人の方にお会いするとして、でも上の法則だと自分の話(今発生している問題の件)はできないことになります(※)。

でもいいんです。話していくうちに、『もしかしたら答えこうなんじゃないか?』というのが浮かんできます。っていうか見えてきます


この世って不思議なもんで、神様でもいるんじゃないかって思うことがある。

その神様は、今の自分に最も最適な課題とご縁をくれる

つまり、地に足つけて課題に向き合い、ご縁をフル活用すれば何か問題が発生した時点でそれは必ず乗り越えられる証なのです。


以上、2点を守って、人に合う時は気をつけていただきたいと思います。

※ちなみに、先方にできるだけ自分のしたい話をしていただけるように事前にアポ取る際の要件などは伝えておくといいと思います。
先日、無事に大分大学を卒業(最終学歴)し、その前にですが学生団体BTG大分の代表も引退しました。

2009年に、当時大分になかったちゃんとした学生団体を作ろうということで学生団体BTG大分を設立し、とにかく全部やっか!!で、東京とかで学生団体が扱うような多くの活動を一手に引き受けて行ってきました。

その成果かどうかはわかりませんが、その当時と比べて多くの学生が社会に出て活動を行うようになりましたし、社会の方も学生を有効活用していただけているような風潮になってきました。


とてもいいことです。


でも、これもまたここ最近の活動屋さんの中でのトレンドなんですが



後発はどうも、真意を理解しないままカタチだけで突っ走る


要は、一人歩きというやつ。

典型的には、地域活性化という言葉。ここ最近ホットなことで言うと、意識高いという言葉。また、起業家(アントレプレナー)もそうです。

何かを始めた人と違い、それに乗っかった若しくは半端に真似した人は、創設者の精神(理念)を組み込まずカタチだけで走ってしまうので、なんちゃって意識高い系やなんちゃって起業家が増えちゃっています。

僕も、はじめた者の責任というのを実は感じています。

特にその中で2つの罪について懺悔したいと思います。

(1)社会人を勘違いさせてしまった


社会人に、学生という存在を勘違いさせてしまった

学生は、都合の良いボランティアや、もっと言うと社会人のマリオネットなんかじゃない。

若者支援次世代育成...聞こえはいいですが、社会人の言いなりになるのが若者や次世代ではありません。

『若いうちはボランティアすべき』

たしかにそうです。でも、ここで言うボランティアの本質は、させられるボランティア・優越感に浸るボランティアなんかじゃありません。根本にあるボランティア精神=奉仕の心 なしに、ボランティアなんてできない。

なのに、就活に有利だ、自己アピールだという見返りを前提としたボランティア、それをしなきゃいけないというのは絶対にオカシイ。

実は社会活動だってそうです。

社会にでるべきだ。たしかにそうかもしれませんが、いやいややるくらいならやんなくていいです。大学に行って所定の単位を取得し。レールにのった就職活動を無難にこなせば行きていけないことはない。少なくとも、大学にいけているような社会の上位層の人間はそうです。(大学生は、自分が社会の上位層にいる自覚を持ってくださいね。別に優越感に浸れとかそういうんじゃなくて、上位層が社会に果たすべき義務を背負ってるって意味ですよ。)


学生は、◯◯べきだ


といって近づいてくる社会人が多くなりましたが、違います。学生にべきはありません

学生は自由なんです。何の自由か。それは、思考の自由であり、学ぶ自由です。

その自由を、しばりつけてはいけない。


そこを、社会人の方々に勘違いさせてしまったかなぁと申し訳なく思っています。


また、学生団体の代表として、そういう良からぬことに学生(の人生)を巻き込んではならないと、僕はそういう方とは一切組みませんでした。生意気な学生で大変申し訳ありません。また、バレないよう(に見せかけて)メンバーを代表である僕を通さす横抜きしなきゃいけないような労力を強いてしまい大変失礼いたしました。残念ながら、バレていますよ。張り合いなかったです。できればもう少しばれないように知的に駆け引きしていただけると僕も燃えたのですが...。

(2)学生を勘違いさせてしまった

これもまた、学生活動という表面しかみていない人が真似て勘違いしてしまったみたい。


これに最初に気づいたのは、某まちなかイベント。アドバイザーとして入らせていただいたのですが、予算表を見て愕然としました



ナンダコレハΣ(゚д゚lll)ガーン


学生は、イベントをしたら大人からお金がもらえると思っている

学生は、大人からお金がもらえると思っている



仕送りは、親からだけにしてください▄█▀█●ガーン


僕も実際、◯◯事業の支援を得ようとプレゼンをしたこともあります。が、僕の営業は一貫して以下の様な姿勢でした。

本事業は、貴社の支援なくても遂行は可能です。ただ、貴社の支援を得ることで効果が◯◯円(人?)ほどあげることが可能です。また、本事業を支援したということで貴社の株も上がります。もしよろしければ組みませんか?

まぁそんな感じです。

この、支援がなくてもやれます=やりますというのが大きな違いと自分では思っています。

学生向けにお金を配る事業として毎年いくつか事業があるのですが、一昔前までは応募者が少なかったもののここ数年増えてきているとのこと。ものすごくいい傾向だと思う。だが、応募者が増えてきたということは落選者が必然的に増えることになる。

その落選者(お金がもらえなかった人)はどうしてるかというと、力不足至りませんでしたとか甘かったとか適当な(下手な)言い訳を残して、去っていく


僕にも苦い思い出がある


東京のビジコンで、僕が最後のプレゼンターで、審査員からの『この事業、もしこのコンテストで優勝できなかったとしても実行する気ありますか?』の質問に、即答でYES!と言えなかった。結果としてチームは敗退。今でもその責任の重さは教訓にしている。


なにかやったらお金をもらえると思っている


違う



なにかやったら、それがお金に変わる仕組みがある


それが仕事起業であり、社会


ましてや学生なんだから、お金に変える仕組み(ビジネスプラン)を考えないでどうすんの。考える=勉強は学生の本分です。

まぁもちろん、その金のバラマキがそもそもビジネスプランを求めずにお金をいかに使うかにのみ集中しているので、学生だけが悪いのではなく社会人が決めた決まりそのものが間違ってるっちゃ間違ってるんですけどね



以上の2つ


勘違いさせてしまい大変申し訳ありませんでした。←一応謝る


じゃあ、そのままやりっぱなしにするかってそんな無責任なこと僕はしません。


先日の、BTG引退式できちんとこの精神は後輩に残してきたつもりです。


つまり、BTG大分ではこんなことなく活動をすることが可能な唯一の団体のして、後輩に託しました。ここにいる限り守られます。



最近何度も言うことですが、そばに居てくれる限り全力で守ります


ですが、離れられると守れません。さすがに...。

どこにいるかは、自由ですもちろん。


僕が正しいとは言いません

ただ、僕は、自分が正しいと思ったことしかやっていきませんので



後輩たちを、信頼しています
昨日、知人より医学部の社会人入学についての問い合わせがありました。

僕自身、その一である学士編入試験を経て医学生になり、この度無事医師国家試験に合格し医師になれることになりましたので、その経験を言っておきたいと思います。

まずは、医学部の門戸について。

一般入試推薦入試AO入試等、他学部同様の入り方もありますし、今でもなお主流です。

ストレートで行くこともあるでしょうし、1流2流はしてまでも医学部医学科(以下医学部と表記します)に関してはその価値がありますし、1、2年程度の遅れなんて気になりません(入学してから1年ないし2年の留年はザラですorz)

少し特殊なのは、他の大学他学部に入学しておきながら上記試験勉強(主に一般入試でしょうが)をして医学部に合格したら退学する。いわゆる仮面浪人というやつです。たまに見かけます。

また、東京大学に関しては、理科三類こそが東大医学部への道と言われています(ゆえに偏差値が高い)が、東大には進振りという制度があって2年生の夏学期までは教養をやってそれ以降すきな学科にすすめるという制度があります。とてもいい制度だと思います。高校生に自分の進路を決めるというのは酷なものですしね。その進振り制度を利用して、実は理科三類以外からも医学部に進むことは可能ですが、はっきり言ってオカシイ人です東京大学1年次2年次の成績で上位に立てるそのくらいの能力あるなら最初から理三に受かるだろってくらい...。自分の能力の高価さを誇示したいがために、あえてこのコースを取る人もいるようですが・・・なのでこのケースはレア中のレア。


さて、少し広めて、一旦他大学を卒業した方向けの医学部の門戸について。

1.再入学
2.編入学


の2種類があると思います。

まずは、再入学について。

これは至ってシンプルです。大卒後、またセンター試験から受け直して合格すること。

今、多くの医学部では面接試験もあるのでそこで有利不利等色々言われてるとは思いますが、とは言っても結局点数勝負です。がんばって勉強して下さい。実際、再入学の人も100人の学年に数名ですがいらっしゃいます。


次に、編入学について。これは門戸が限られておりしかも情報ソースがかなり限られています。

編入学、いわゆる学士編入学というのは、医学以外の学問を修めたもの(学士程度で学問を修めたといえるかどうかは疑問ではあるが)にも門戸を広げ、より多様性をもった医師を養成するための大学の制度だと僕は思っています。それに、世間的には医学生(医者)の世界は視野が狭くなりがちで、世の中を知らない。そんな医師でいいものかという批判がよくなされます。学士編入学は、国立大学で30校、私立も合わせて35校以上の大学で行われており、その募集要項及び目的は各大学に問合せてください。というのも、学士編入枠で、研究者を求めているのか臨床医を求めているのかは各大学によって様々だからです。

なお、このような特殊な業界であるがゆえに、医学部学士編入予備校というものもあります。最大手は河合塾KALSで、僕も利用していました。おかげで1年で合格することができました。もちろん、KALSに行かずに合格できる人もいるでしょうが、いかんせん情報が限られているのでここは予備校に通うことを僕はおすすめします。なお、あまり世間的に言われていませんがこのKALSの存在は少なくとも医学部業界に影響を及ぼしていると考えていて、この予備校は本校は東京にあります。ですので、受験的に強い受験生は東京に集中することが多く、そういう人たちは医学部に合格してその後医師免許を取得しても母校に残らないなどの傾向もあります。その対策として地域枠のような制度も設けられたのではないかと僕は考えています。まぁそれは普通の一般入試でも言えることですけどね。予備校、ノウハウの蓄積というのは受験業界ではものすごく強い力になります。

とは言いつつも、やはり狭き門です。僕が受験した時も出願者倍率で30倍でした。もちろん、記念受験に近い学力で出願する人も多いのでこの倍率の評価はムズカシイところではありますが、KALSの中でも2年目3年目というのは珍しいことではなく、学士編入に3年かけるくらいなら再受験でセンター試験を受けたほうが早いという考え方もあるのでよく考える必要があります。


さて、ストレートで医学部に入った学生に対し、多様な価値観や視点を持った社会人ないし人生の先輩のような人を、いっしょに混ぜて医学部で学ばせることは、実は全国医学部長病院会議等でも賛否分かれております。賛成意見は改めてここで述べるまでもないと思いますので、批判的な意見について。

そういう枠で入った人は、確かに人生の先輩でもありますが、人生の先輩ぶるという他の人から見たら少し迷惑な同級生になってしまいがち。また、その人が考えたことが実際の大学のクラスのニーズに合っていないこともある。

言うまでもないが、医学部は医師国家試験合格が全てである。

一度中に入ると、たとえその人がノーベル賞受賞者だろうが国民栄誉賞を持っていようが、一様に医師国家試験合格を目指すことになる。医師国家試験受験資格を得るためには医学部卒業見込みでないといけないのだが、当然ながらほぼ毎月やってくる定期試験すべてに合格する必要がある。他大学で経験したキャンパスライフと、医学部というキャンパスライフとはものすごい差がある。さらに、医学部の試験というのは量がとてつもなく多く、工学部とか経済学部では通用した学習法が一切通用しない。僕もそれで悩まされた。でもそういう時に、素直に方向転換できるかどうか。で、社会人など人生の先輩属はその素直さが非常に乏しい。(自戒)

もちろん、自分を貫くことも大切である。しかし、医学部の目的は何かというのを見失ってはいけない。目的達成のためであれば、手段は問わない。問うてはいけない。僕は、特に国試直前期は特に(卒試もそうだが)自分がこれまで長年守ってきたものをすべてとことん折りまくった。全ては国試合格のために。自分が頑固であった時期の在学中の成績と、要領(?)を得だした時期の成績には大きな差が実際出た。ってか、試験に落ちなくなった(ガチで)。


その融通さ

融通さこそ、社会人が欠いていることが実は各所で問題視されており、なので学士編入生度はなかなか広がっていかないし、類例ではあるがメディカルスクール構想も日本ではなかなか議論が進まない。


多分、編入学試験の目的と言われている多様性等のことは、医学生の間は一切関係なく、卒業後医師になってこそ本領が発揮されるものだと思っています。一旦、4~5年くらいは医師免許取得に向かって融通を利かせ、晴れて医師になってからご自身の本領を発揮させてください。その我慢(?)ができる人でないと、多分この制度は生きてこないと思います。


確かに、このご時世医師という職業は恵まれている特殊な業界であり、その医師への道である医学部、いつまでも再チャレンジできるという考えから医学部編入学はとても魅力である。だが、このブログを読んでいただいている方はお分かりかと思うが、医師国家試験はそれなりに大変です。合格の報告をこれまでお世話になった人にしていると『中西くんががんばった、勉強したっていうんだからよっぽどなんだね』と言ってくださる。確かに、頑張らなきゃいけないし、勉強もしないといけない。

そのことを、十分理解・覚悟した上で目指していただける分には応援しますし、問合せいただければ支援も致します。



ですが、中途半端なキモチで乗り越えられる道ではない。しかも、後になればなるほど壁が大きくなるので、気がつけば貴重な時間を浪費してしまった結果にもなりかねない。


それでも・・・と覚悟できるのであれば、ようこそこの世界へ!!歓迎いたします。
昨日は、大学の卒業式でした。

諸事情により、卒業式という式典に出席するのは高校ぶりという...


僕の中の在学中の1つのテーマとして、母校愛がありました。


というのも、それを僕は早稲田ならびに東大という大学でものすごく感じました。



で、結果として大分大学愛を抱くことができたか・・・・




微妙っ~~!!!


というのも、在学中何度もバトルを繰り広げたからです。


母校愛度


大分大学→×

大分大学医学部→◎

大分医大→◎

といった感じでしょうか。


要は、本学(旦野原キャンパス)が、やっぱ僕はどうしても嫌いです。

がんばって好きになろうとしましたが、僕にだって譲れないところはあります。


中に入らないと変えられないと思い、中から変えようとしましたが、無理でした。

どうも、旦野原キャンパスと挾間キャンパスは元々別の大学だったこともあり統合されてないですね。


がんばったけど、無理でした。

ある意味で外だったんです。外からは変えられないよなぁ~~。。。



一方で、医学部キャンパスは大好きです♡

これは、特に医師という縦・横社会における繋がりの強さ、同じ苦労を経験したからこそ通じ合えるものもある意識。



卒業式では、はじめて聞く学歌に戸惑う。



早稲田の校歌なんて、早大生だけでなく早大に憧れるミーハーな人でも歌えるテッパンソング。


歌詞もすごくいいです。

進取の精神 学の独立

大なる使命を 担ひてたてる

集り散じて 人は変れど

仰ぐは同じき 理想の光


ちなみに、早大の同期と飲みに行くとこの歌詞一つ一つの考察だけで2時間飲み屋で語ったことあります(笑)

東大の学歌(諸説ありますが)の「ただ一つ」が好きです。



そんなんだから、比して大分大学に母校愛を持てない。



医学部の卒業証書・学位授与式はよかった。


ま、学士(医学)なんてほんとど~~~でもいい学位なんですけどねwwww


学科長もおっしゃっていました


皆さんにとっては、医師免許証のほうが大切で卒業証書は雑に扱われますが、大切にして下さい

(と言いつつ本人もどこに保管されているか不明www)





そんなこんなで、結局最終学歴は大分大学卒で落ち着きました。


無事、医師免許も取得出来ました。


長かった学生生活、やり残したことは正直ありません。


十分でしょう!!!


そして、僕の長い学生生活の集大成でもある学生団体をこの大分に残すことができたので、僕は十分満足しています。



もうこれ以上ここでやることはなく、次に行けます。





医師という職業は、この不況のご時世にもかかわらず就職はありえないほどの売り手市場。


初期臨床研修医とはいえ、いきなり企業係長級の月収はある。

でもこれって意味があると思っていて、だからこそ多少のリスクあることに挑戦しても、食っていくことはできる。



だから、挑戦をし続けなければならない。



これは、医師という職業についたものの使命だと思っています。



幸いにして、学生団体の活動で地域活動のノウハウはたくさんためてきました。


それを今度は、起業家精神とともに医療の世界でまずは自己研鑚からはじめ社会貢献へとつなげていきたいと考えています。