被告人質問3日目 裁判所からの質問

<裁判員①女性>

中川さんから品川で運搬を頼まれた時のやり取りについて覚えていることは?

「記憶としてやり取りで残っていることがほとんどない。上着の下に、脇に薬品を挟んで運んだら…?とのくだりしか覚えていません。試薬を運ぶことを頼まれた、そのくらいしか覚えていません」

なぜ運搬にご自身が選ばれたと思いますか?

「やはり頼みやすかったんじゃないかと思います。陸上部の時からの部下だったので、彼にとって」

頼まれて、すぐできます、とイメージできた?

「明確に覚えていないんですけど、おそらく答えたんだと思います。躊躇したという記憶が残っていないので。大丈夫、と思って返事したのでは」

指示された試薬がきちんと探し出せるか?という不安はなかったのですか?

「あー、探し出せるかですか?その記憶が特にないので、思わなかったんじゃないかと思います」

ほかに適任者がいたのでは?とは思いませんでしたか?

「適任者としては、Mさんの方が試薬の場所は知っていたかもしれないです。ただその時点で彼女が部署異動でいなかったので、最悪は問い合わせて聞けばいいと思いました」


<裁判員左②若い男性>

西所沢の隠れ家で教団に思いをつづった手紙を、一部処分しきれなかったとのことですが、その処分方法がハサミだったと。どうしてハサミで切って処分しようと思ったのですか?

「言葉ひとつ残るのも嫌だったので。つなぎあわせて解読できるようにされたくなかったからです」

それってハサミじゃなくてもできるんじゃないですか?燃やしたりとかしても残らないですよね。

「あー、なぜかハサミでしたね。燃やし場所がなかったと思います」

ルミエールセゾンで、菊地さん本人は新聞は買わなかったとのことですが、それは明確にですか?

「はい、それは確かです」

他のことは覚えていないのに、なぜそれは明確になのですか?

「あ、それは、ルミエールセゾンに新聞があることをものすごく意識してたんです。情報ですよね。教団内では得られない。意識していたので、冤罪だと思っていたので見たくないんですね。でも見たくないけど気になってるんです。で、新聞記事で見たこと、例えばキヨスクとかで、見出しとか覚えているのがあって、もし自分で買っていればその分の見出しも覚えているのではないかと思います」

薬を運ぶ上で新幹線に乗ったり、公の場に出ていたじゃないですか。事件に関して見聞きしましたか?

「多分、見たのは、吊り広告の見出し、キヨスクの新聞の見出し、新幹線の待合室のテレビ、ホテルに泊まるようになってからはテレビを少し見てますので、情報は増えてます」

そういうテレビは今は普通に見てますよね。

「あ、今は見てないです」

あ、逃走中。

「はい」

いつ頃から普通に見られるようになったんですか?

「テレビは、移動が多い時は持ち運びができなかったので…」

テレビとか、マスメディアを普通に見るきっかけとかは?

「林さんと一緒に行動することになってからは、普通に見るようになりました」

なぜですか?

「彼が見ていて、新聞も「はい」と渡してくれたので、見ていいのかなって思うようになりました」

それだけ新聞に敏感になっていて、教団で、貼り紙とかもありましたよね?

「あ、松本の事件のですよね。新聞で貼ってあった記憶がなぜかないんです」


<裁判員③男性>

化学式の書いてあるレポート用紙について。

菊地さんが書いたのではない部分に丸をしてもらいましたが、左の列の薬品名の右の数字については?

「自分が書いたようにも思えるし、ひょっとしたら違うようにも取れるというか…。細かく言うと、11.7mlと10mlのこの所は私の字ですが、0.175mol、このモルのところは違うかなと思いいます」

こういう、配合表というか数量表は普段から書かれていましたか?

「いや、それは」

じゃ、判断は筆跡だけから?

「あ、そうですね。間違いなく思うのは、この実験はやってないんじゃないかというところです」

このような計算をすることはできましたか?

「当時、この計算を一人ですることはできなかったと思うんです。molという単位は高校で習ったと思うんですけど、そんなにスラスラできる状態じゃなかったと思うんですよ。これを一人でやるということはちょっと考えにくいです」

左の11.7mlとかはご自分では、ということですが、これはどういう状態で書かれたと思いますか?

「私としては、土谷さんと話しながらなんかやったのではと思うんです。ご本人が絶対に違う、とおっしゃってたのですけど。ちょっと他に想像がつかないというか…」


<裁判員⑥>

劇薬の瓶は、どのように注意して運びましたか?

「多分、ひびが割れないようにとか、そういう点は気を配ったんじゃないかと思います」

新幹線の中では薬品は足元に置きました?抱えていましたか?

「多分、網棚にはおいていないです。足元に置いたと思います」

ルミエールセゾンに薬品を運んだ時、タッパーが置いてあったと。見た記憶はあるんですか?

「見た記憶もないです」

和室の押し入れに入れた、と中川さんがおっしゃってましたが、見た記憶は?

「ないです」


<裁判員⑤男性>

中川さんに指示された時、「この薬品は絶対に必要だ」と言われたりしましたか?

「絶対に必要…そのようなニュアンスではなかったように思います」

なぜ検問では隠して偽装したのですか?

「隠して持ってくるようにとの指示がありましたし、警察に見られたら取り上げられる可能性があるので、指示を遂行できなくなると。ひょっとしたら言いがかりをつけられて、ま、ひょっとして不当逮捕もありうるのかなと」

もし失敗したら、という気持ちはありましたか?

「や、多分、なかったと思います。自信があったと思います。何回も検問は通っているので大丈夫だと」


<裁判員④男性>

土谷さんが買ってきたテキストの件ですが、2回読んだと。もう少し具体的にどのように読んだか教えていただけますか?

「なんか、問題があって、解いて、ノートに答え合わせをした記憶があるんですけども、それしか記憶にありません」

通読してそれから解いたとか、ある程度読んでそれからあきらめたとか…

「順番に読み進めて、多分問題じゃないところも読んだと思います。そしてチェック問題をやったかなと」

最後まで通読しましたか?

「それはしていないです」

尊敬できる上司である土谷さんのプレゼントですよね。それを最後まで読まずにいたのは何故ですか?

「ワークの一環ではないと思ったのはありました。そのほかの、洗い物とかの方が優先順位が高いのかなと」


<裁判官 左陪審>

薬の運搬は最低3回運んだ、とのことですが、3回というのは具体的にどういう記憶からですか?

「それが、カバンなんですけども、持ち出した直後に中川さんと連絡を取って、カバンを買って入れて、新横浜の駅で男の人に渡して、と言われたんです。それが一回目。
2回目は、指示されたのかよく覚えてないんですが、またカバンを買ったんです。カバンを買った記憶がありまして、それをルミエールセゾンに2回目の薬を届けたときにカバンごと置いてきてしまったんです。それで帰りの途中で気づいた。しまった、と思ってまた3つ目のカバンを買ったんです。
そういう記憶があるので最低3回です」

日付とか、何を運んでいたかの記憶は?

「ないです」

中川さんが言うなら5回の運搬があるだろうと。具体的に何を運んだかは記憶がない?

「ないです」

1回目はTさんに渡してますね。

「はい」

2回目以降はルミエールセゾンに行ったという記憶が?

「はい」

ルミエールセゾン以外で渡していたのは1回目のみということですね。

「はい」

2回目以降Tさん経由でなく自分が行かなくてはいけないのにはどういう理由が?

「行かなくてはいけないというわけではなかったです。案内されて、2回目以降は自分で行きました」

ルミエールセゾンで自分が何かしたというわけではない?

「行っても長居せずすぐ戻ったということなので、それはないです」

すりつぶし作業をした記憶は。

「記憶にないです。もししたとすれば、5回目のあとにやったかな?という程度です」

ルミエールセゾンに行ったのは朝とか昼とかいう記憶は?

「えーと大体昼間だったと思うんですが、一度だけ帰るのがすごく遅い時間で、新富士についたのが夜23時でした」

ルミエールセゾンに泊まったことはない?

「なかったと思っております」

5月12、13日にルミエールセゾンに行ったと。なぜ行ったか覚えていますか?

「いや私はちょっと覚えていないので…。あ、多分、え~と、14日?14日にHさんと会ってますので、その指示は13日に出たんじゃないかと思っているんですけど。あとはまあ、状況として上九の様子を聞かれたりはしてたんだろうなと思っています。推測ですが」

5月1日から4日まではルミエールセゾンに行っていた記憶は?

「行っていないと思います」

そう断言できる理由は?

弁護士「断言はしていないし、行っていないと思いますという言い方です」

裁判長「絶対行っていないという趣旨ではないですか?」

「そうですね、はい」

5月に入って中川さんから、教団はもうだめだとか出頭した方がいいとかいう話を聞いた覚えは?

「覚えていないです。ただ出頭した方がいいというのは心当たりがありまして、中川さんと最後に会ったのが西荻から永福への移動中、私がホテルに泊まっている時何回か電話をしています。内容は覚えてないですが、その時そういう話をされたんじゃないかな?と思っております」

麻原から全サマナに「一週間以内に何が起きてもおかしくない」とお触れがあった?

「覚えていないです」

中川さんから『一緒に行くか?上九に戻るか?』と聞かれた?

「行くというのは西荻に一緒にということですか?西荻に、とは言われていないと思います」

なぜルミエールセゾンから西荻に移動するかは聞いていましたか?

「覚えていません。もしかしたら聞いてたかもしれないですけど」

毒ガス攻撃というのは誰から?

「公安ですとか、内閣調査室?さらにその後ろにCIAがついていると言われてました」

毒ガス攻撃の主体と、捜査している主体は同じということですか?

「まったく同じではないですが、権力という大枠では同じです」

地下鉄サリン事件は教団による犯行ではないと主張するために、中川さんが実験をしていると思った、と言っていましたが、そこが繋がらない。どういう実験をしていたと?

「サリンを作ることは教団では不可能なんだとビデオで言われていました。上祐さんと村井さんが化学的な話をテレビかなにかで言っていて、私には理解はできなかったですけどそういうことの裏付けなのかな?と思っていたんですけど」

実験をすることで強制捜査をやめさせると?

「というよりは、疑いを晴らすためにというのがしっくりきます」

教団内でテレビや新聞は自由に見られなかったんでうよね。

「はい」

波野村のあとにテレビ出演が増えたということですが、なぜそれを知っていたんですか?

「教団関係者がテレビに出るとそのビデオが教団内で流れたんです。機関誌にも載りました」

ジクロ生成の折は防毒マスクをつけていたということは、吸ってはいけないものだと?

「はい」

なぜそのようなものを教団が作っていると?

「体に悪くても生命を脅かすような危険なものという認識がありませんでした。程度の認識だと思うんですけど」

麻原氏の説法の中に出てくる毒ガス攻撃からの防御だとは?

「あー、思ってなかったです」


<裁判官 右陪審>

Tさんのことはもともとご存知でした?

「知りません」

Tさんと新横浜で待ち合わせて、中川さんの言う人だとはすぐ分かった?

「あの、彼の方が私を知っていたみたいでした。私は何色のスーツを着ている人だからと言われてウロウロしたんですけども。私はマラソンをやっていたので顔をよく知られていました」

中川さんを遠ざけてほしい、と土谷さんに頼んだ時期はいつですか?

「12月8日の夜から9日の朝に話しました」

対処は?来なくなりました?

「いえ、変わらなかったので、土谷さんが上にあげたけど却下されたのかなと。土谷さんがそれを報告しないということは性格からしてありえないと思いました。確かめたかったけど話ができなかったです」

その後も中川さんは出入りしていた?

「はい」

その後、3月までに中川さんが来なくなる時期はなかった?

「来なくなった…。来ないというより、来た時の記憶がないんですけれども。阪神大震災の時に来たんです。1月17日ですか。その時来たのは覚えています。来なくなったというか、かなり後になってから、修業に入っているのを一度だけ見かけたことがあります」

どこで?

「第6サティアン2階の道場です」

修業されててクシティガルバ棟には来ないということ?

「んー、その修行も24時間入っていたわけではなかったみたいなので、来ている可能性もあるんではと思います」

その後、サリン事件で土谷さん中川さんがいなくなった。

「あ、中川さんがいなくなったのは知らないです」

はっきり、中川さんが外にいると思ったのはいつ?

「呼び出された時です」

久しぶりに連絡があったということ?

「はい、そうだと思います」

どんな要件という記憶は?

「電話ですか?んー…記憶にないです。出てきてくれということを言われたと思いますが、用件は…」

いやなとこに踏み込みますけどね。しばらく会っていない中川さんと久しぶりに話すことがあったわけでしょ。何か思うこととかなかったんですかね?

「もしかしたら、電話連絡くらいは以前からあったかもしれません」

土谷さんがいなくなったことはいつ知った?

「出ていった時です」

連絡をする時はどうしたら?

「記憶がありません。土谷さんの証言では「ポケベルを持っていた」ということでしたが、記憶にありません」

土谷さんから頻繁に電話していたという話でしたが。

「記憶があいまいです」

あなただけが土谷さんの連絡先を把握していた?

「私だけかということは分からないです」

中川さんがそういう前提で話していたでしょ?

「推測ですが、会った時に「土谷さんと連絡とれますよ」と言ったからそう思ったのかなと思いますが、分からないです」

実際に中川さんと土谷さんとの連絡を取り持った記憶は?

「覚えていないです」

ルミエールセゾンにはどれくらいいましたか?井上さんが「連日来たこともあれば、しばらく開いたり、泊まったこともあった」と証言していましたが。記憶と違う?

「泊まったというところが違うんじゃないかと思います」

ルミエールセゾンに長くいた記憶がない?

「あの、長くいたとしたらMさんが作った食事をしたことがあるので、その時はちょっと長くいたかなと思います」

午前に入ってお昼食べて出るとか?それくらいの感覚?

「えっと、それくらい、です」

ルミエールセゾンに出入りしている写真、正確だとすれば、5月2日に出入りしていると。その頃は新宿青酸事件で忙しかったと中川さんが証言してました。そういう何かの準備であわただしかった記憶は?

「んー、ないです」


入信のきっかけは、体験とか修行の仕方が具体的だったと。具体的だとなんで入信しようと思った?

「んー…………」

ご自分でそこに書いてある修行法とかやってみた?

「したかもしれません」

入信前後、神秘体験をしたことは?

「あ、はい」

それは信仰に影響を与えていました?

「あると思います」

ちなみにどんな体験ですか?

「あ、すみません、あまり話したくないです……」

ホーリーネームが付くときにイニシエーションを受けたと。何か飲んで密室に入ったんですよね。密室で何をしろと?

「瞑想しろと言われたと思うんですけれども…」

何か得られたものはありました?

「寝てしまったと思います。体験談を書けと言われたけど、ほとんど書けなかった記憶です」

それは一人で受けた?

「一斉です」

何人くらい?

「何十人とかの単位だと思います」

そのほかに受けたイニシエーションはありますか?

「はい」

どんなものですか?

「えっとー、五大エレメントのイニシエーションとか、それはあの、そういう個室に入るとかはなくてエネルギーを頭から入れてもらうっていう儀式的なものです」

井上さんが言っていた「バルドーのイニシエーション」、ああいったものは?

「それだろうなと思うイニシエーションは受けてます。半分眠ったような状態になって教義の内容を聞かれて質問に答える。潜在意識にアプローチしてそこに何が根付いているか、その人の問題点を探るイニシエーションだと思います」

それを受けたのはクシティガルバ棟に配属される前ですか?

「クシティガルバ棟にいる最中です」

修業したりイニシエーションを受けたりという中でクシティガルバ棟に行くと全然やることが変わりますよね。それってそういう指示を受けてどう思いました?

「えーと、やることが突然変わるのはいつものことなんです。子供班にいた時も、突然、世界記録達成部に今からいけ、とか。いきなり今からこの部署に3日間手伝いに来てくれと言われたり」

クシティガルバ棟って実験してるじゃないですか。異動先で実験するということで何か感想は?

「CMI棟が実験してるらしいと既に知っていたので、研究機関かなと思っていました」

オウムがやっている実験はどういう実験だと想像していましたか?

「なんかいろいろな部署があって、何でもかんでも自分たちが自給自足していたので、化学部門があってもおかしくないだろうなと」

え、なんでおかしくないと?

「あ、違和感はなかったです」

治療省は何をやっていると?

「病院です」

治療省がイニシエーション開発をするのはなんでだと?

「それはもうハッキリわかってました。受けたからというか注射をしましたので、それで分かりました」

チオペンタールの製造をして、治療省で使われるとはご存じだった?

「記憶として残っているのは、分注で小分けにした瓶があるんですけど、それが治療省からドサッと返ってきたことがあって、それを考えると間違いなく分かっていたと思います」

治療省でイニシエーションをしている。そこでチオペンタールを使っている。全部分かった時期ありますよね。分かってどう思われた?

「イニシエーションというのは私たちにとってはとても神聖なものだったので、むしろそういうワークに携われて光栄だと、作ることが違法だとは思っていなかったです」

いや、そうじゃなくて、神聖なはずのイニシエーションに薬が使われているってこと。

「本来はヨガや呼吸法によって潜在意識にアプローチする、到達するプロセスです。変化していったというのは私のイメージとしては、そういうものの力を借りて、邪道だけども潜在意識に到達する方法として手段は違うけどそういうものを使ったと」

急ぐためにはしょうがないやと?

「んー、まあそうなってしまうんですけど」

それでも帰依には影響なかったと。

「あー、はい」

強制捜査は宗教弾圧だと受け取っていた。

「はい」

戦争だと受け取っていた?

「や、宗教弾圧が戦争だとは思ってないです」

将来来るはずのハルマゲドンに備える、そのためにはこの教団を維持しなきゃいけないですよね。なのに教団が弾圧受けてたんでしょ。守るためにどうしようと?

「強制捜査が始まったころは、すぐおさまると思ってました。でもおさまらなくて、どんどんひどくなっていって…うーん…どのようにして守るか…」

指示とかはなかった?

「はい、ないです。ビラ配りとかその程度です」

村井さんが刺殺されたことについて何か思ったことはありますか?

「んー………、思ったこと……。あの、びっくりはしましたけど、それで、うーん…ま、刺されたわけですから、大変なことになったなと。教団の人間だということで命を狙われることもあるのかと。そういうようなことを思ったんじゃないでしょうか」

教団の中では大事な人ですよね?

「あー、はい」

そんな人が亡くなったことに感想はなかったんですか。

「ダメージがあったかとかそういうことですかね」

尊敬すべき正大師でしょ?

「あーはい。あったんじゃないかと思うんですが、えっと…。あのー、私が気にしたのはMさん。元奥さんだったからMさんは大丈夫だったかなと気にした記憶は残っております」

昨日も聞かれてましたけど、その前後にも運搬してたじゃないですか。

「はい」

大事な人が亡くなってたのに、薬の運搬。何だと思ってたんですか?

「村井さんが亡くなってもなお運ばなければいけないっていうような考えがなかったので、ちょっと…」

ま、そういう受け止め方だったんですね。

「はい…」

いやなんで聞いてるかっていうとね、記憶に残りそうなエピソードなのにあんまり覚えてなさそうだからね。

「あ、でも亡くなったっていうことははっきり覚えております」

採血パットを持って行ったと、中川さんが。それは覚えていないのね。

「あハイ。AHIに持って行ったっていう…それは覚えていないです」


微妙なところに触れますけどね、結局、松本智津夫への帰依がなくなるきっかけって何だったんですか?

「はー…そうですねー…ひとつは判決が確定したことと、ハルマゲドンが来ると言っていたのが来なかったのと…ではないかと思います」

神秘体験なども体験して帰依していたのが、なくなるほどのきっかけだったんですか?

「あのー…その神秘体験はそれとして存在している。否定できないです。一方でこのような事件が起きているのは事実なので、受け止めなくてはいけないと思っています。そこの部分の折り合いはなかなか、つけづらかったですけども、やっぱり、こういう事件が起きたっていう…。
私の中では、事件と自分が内部で見たもののギャップがすごく大きくて、そのギャップを埋めるのがなかなか難しかったんですが、本当は本人の口から「こういう理由で」と言ってくれればスッキリしたんですけど、叶わなかったので…。
自分の中ではしっかり現実を受け止めて、ギャップを埋めなければいけないっていうか…うーん」

そうやって乗り越えるのって結構大変なんじゃないですか?

「あーはい、そうです」

乗り越えたの、いつ頃になります?

「…あの、事件を起こしたとは思っておりますので、そこはちゃんと受け止めてるつもりなんです。ひどい事件ですし、うーん。なので、すいません、本当に、本人の口からききたかったっていうのが残念で…」

いやあのー、そういう信仰を脱するという話はあなたにとっては大きい話だと思うんですけど、本当に時期とか覚えてないの?

「…………」

脱したきっかけとか時期とか、覚えてないんですか?

「うーん…」

言いたくないのかな?

「…そのー、自分の信じてるものが教団に入る前から信じてたものとかぶってる部分がありまして、たとえば虫を殺さない、とか、そういうのがあって、それは仏教の教えだと思っているんですけれども、でも実際事件が起きたことは受け止めているので、そこで信じてるっていうことはないです。
あまり肯定したくはないんですけど、彼の説法は、膨大な仏教の教えに精通しているところがあって…。
彼は、いったい何だったんだろうと思っているんです」

疑問が解消しきれていない?

「はい、疑問はたくさんあります」

最後に何かおっしゃりたいことは?

「…ないです」(小さな声で)


<裁判長>

Zさんが『喫茶店ではどこにコートを置くのか』とあなたに聞かれたと。記憶にあります?

「Zさんにという記憶はないですが、悩んだ記憶は残っています」

Zさんに、とは覚えてないと。

「覚えてないです」

出頭しなかった理由としては、冤罪であると。

「冤罪だとは思ってないです。携わっているので。ただ取り調べとか裁判の過程で知らなかった事実が認められないで進むのが嫌だなと…」

でも司法的に問われるのは爆薬を運んだことだけですよね。自分が悪いことをしたという意識は逃走中にあったんですかね?

「あー、はい」

でも出頭しなかった理由が、自分がしなかったことを理解してもらえないから、ですか?

「それはすごく大きかったです」

自分が本当に悪いことをしたという意識があれば、それはそれとしてきちんと公正な裁判を受けようという考えは?

「自分が一緒に逃げた人たちの方が刑が重いと。もしそれで公正な裁判は受けられなければ由々しきことだなと思いました」

一緒に逃げてる人たちのことを考えてのことだったと。

「はい、それはありました」


【閉廷】