2015年2月5日(木) 第13回公判(仮谷事件) 

証人 林郁夫

 

「林郁夫です」

「耳が遠いのでなるべく大きな声でお願いします」

 

<検察側主尋問>

 

現在、オウム真理教との関係は?

「退会しています」

 

入信はいつですか?

「平成元年2月です」

 

出家したのは?

「平成2年5月です」

 

出家当時の職業は?

「医師です」

 

医師になったのはいつですか?

「昭和46年です」

 

専門分野は。

「心臓外科です」

 

出家後も教団内で医師を?

「ワークとしてやってました」

 

省庁制が発足してからの役職は。

「菩師長です」

 

(同じ質問)

「治療省の大臣です」

 

(次の質問に移る前に、証人自ら口を開いて)

「ちょっと、ひと言いいですか。……私と麻原と仲間たちで、亡くなられてしまった人達、心や体を傷つけてしまった方たち、後遺症に苦しまれている方たち、日々看護なさっている……、ご家族の方達に心からお詫びします」

(眼鏡を外し、ハンカチで涙をぬぐう証人)

 

被告のことを知っていましたか?

「知っていました」

 

どのような関係?

「ほとんど接点はありません」

 

では、仮谷事件についてお聞きします。

あなたがこの事件に関与することになったきっかけは?

「平成7年2月28日、時間は午後10時から10時半ごろ。中川智正が、…証言の都合上敬称略にさせてもらいますが、私に麻原から指示を得て、ナルコを手伝ってもらいたい人がいるので協力して欲しい、第2サティアンにいるから一緒に来てくださいと言いに来ました」

 

場所はどこですか?

「私の居住している第6サティアンの3階です」

 

証人はそれまでにナルコをやったことがありましたか?

「あります」

 

何件くらい?

「数としては言えないくらい、かなりの人数にやりました」

 

ナルコとは何ですか?

「正式にはナルコインタビューというのですが、精神分野ではイソメタルインタビューと言います。精神科の分析に使われる方法です。麻原のアイデアで私たちにやって見せたことからはじまり、主旨も最初は同じでした。教団の生活とはすなわち修業、ワークのことですから、そこへの引っ掛かりがある人に麻酔剤を打って普段は意識に出てきていない煩悩を出して、会話して納得させて、生活をしやすくするというものです。

人が亡くなったあとの転生を決めるバルドーの意識状態と同じようになることから、バルドーの悟りのイニシエーションと名付けられました」

 

第6サティアンで中川さんに頼まれてからどうしましたか?

「私の車で第2サティアンに向かいました。必要な道具と薬、ナルコですからチオペンタール、当時教団で作っていましたからそれを1バイアルと点滴なども用意していきました」

 

第6サティアンから第2サティアンまではどれくらいかかる?

「車で約5分です」

 

向かう道中で中川さんから何か事情説明はあった?

「なかったです」

 

第2サティアンに着いてからは?

「中川がなにか車を探しているようにしていて、麻原の車庫のシャッターを開けたら白い乗用車が見えて、車の中にH田の顔が見えました。ですからそれを探していたんだと思いました」

 

証人はどうしていた?

「私は訳が分からなくって中川にくっついて歩いていました」

 

そしてどうなりましたか?

「中川は車を第2サティアン入口の旧麻原の自宅の前に誘導しました」

 

そして?

「彼ら3人は後部座席から意識がなくて自分では動けないスーツを着た男性を……(涙してうつむく)。えーと……手足を持って、まあ、歩けないから、運び出しました」

 

彼ら3人とは?

「中川、H田、あとはその時は名前は分かりませんでしたが高橋克也被告です」

 

そしてどうした?

「私は彼らが旧自宅にその人を入れるんだと思って扉を開けて、私たちが"広間"と呼んでいたところに入れました。

想像していた事情と全然違ったので、何も道具がなくて、まず診察しなくてはいけないですから、2階にイニシエーションの管理のために聴診器などの道具を揃えていた部屋があったので、そこへ行って道具を持ってきて診察することにしました」

 

運ばれてきた男性はどこに入れられましたか?

「入って左側の部屋に、上着を脱いでワイシャツ姿で横たえられていました」

<第2サティアン1階の図面が示される。仮谷さんが入れられたのは瞑想室①>

 

そしてどうした?

「とにかくその人を診断しなきゃなんないんで、診察をしました」

 

意識がない理由は何だと?

「それはもう何かの薬、麻酔がかかっていた状態でしたから、麻酔剤で眠らされて連れてこられたんだなと。状態は安定していたので、事情を聴くために一度広間に出ていきました」

 

広間にはだれが?

「H田と中川がいて、ゴミ出しに使うようなビニール2つに、仮谷さんの上着から出した所持品を何か分類して入れているようでした」

 

被告もいましたか?

「いました」

 

そして?

「何でこの人はここにいるのか、どんな人なのか事情を聴きました。H田がこの人の名前は仮谷さんというと。妹さんがオウムに出家を希望していて土地をお布施することになっていた。その土地は元々この方にあげるようになっていた。それでこの人が妹をどこかに隠してしまった、と。それでこの状態はこの人からナルコをして妹の居所を聞き出すためだ、と言っていました」

 

中川からは?

「この人をどんなふうに拉致してきたのか説明しました。道路上で無理やり車に乗せた。その時にタイヤかなにかで怪我をして血が出た。ケタラールを筋肉注射をして意識を失わせた。その後チオペンタールを打った。そうしたら呼吸が停止したんであわててマウストゥマウスをした。どういう管理をしていてどれだけの薬を使ってここまで運んできた、というような話を受けました」

 

それまでに投与されていた薬の量は?

「私が供述を最初にした時もですが、”大量”という意識でした。逮捕後の取り調べで、中川の供述を検事が読み上げたんですが、私が「どれだけの量使ったんですか?」と聞くと、中川が「すこし多かったですかね」と。そして私が少し考えてから「そんなもんじゃないですか」と言ったと。そういうやりとりをした記憶があるか?と検事に聞かれました」

 

どう思いましたか?

「当時の私と中川の関係性ではきわめてよくある話だと思い、肯定しました」

 

その時の中川さんとのやり取りで覚えていることは?

「薬の種類と量。量については当時の私の感覚でも"大量に使ったな"と。私だったらそんな大量には使わない、と思った記憶があります」

 

中川さんとの当時の関係はどうだった?

「教団での人間関係というのはワークの場なんですね。そして出家の順番と霊的ステージがとにかく最優先されます。中川はそのふたつで常に私より上だったので、彼が私を使うという関係がありました。省庁制度発足後もそのようなつもりで彼と接していました」

 

仮谷さんの管理を引き継いでまずしたことは?

「第一義に考えることは死なせないこと。この麻酔状態を覚まさなきゃいけない。そこに集中していました。診察して必要だと思う医療器具や医薬品を2階に取りに行きました。で、戻って、布団を敷いて、呼吸するのに一番いい体位を試して、結局仰向けにして、毛布を掛けたりして保温のセッティングをしました。その他にも尿道留置、バルーンだとかの処置を施し、ひたすら管理していました」

 

何か気が付いたことはありましたか?

「仮谷さんの上着の胸ポケットの中に持薬と思われる薬を見つけました。十二指腸潰瘍の薬で、心臓の虚血性発作の予防の薬だと判断しました。

それを確かめようと思って中川とH田に事情を尋ねましたが、分からなかったので、あるもんだと思ってそのための薬も2階から持ってきて、必要だと思われる点滴もして、皮膚に薬を貼りました」

 

ナルコを始めたのは何時ごろですか?

「3月1日の午前3時頃です」

 

それまでにチオペンタールの投与はしましたか?

「していません」

 

午前3時頃に何がありましたか?

「井上と中村昇が入ってきて、妹さんからI田E子に電話があって「もう出家しない」と言ってきたという話を聞きました。それならもうナルコはしないのかな?と思っていたら、井上が「それでもいいからやってください」と言うので、午前2時にはもう覚醒している兆候があったので、やりました。

 

最初に覚醒の兆候が表れたのは?

「3月1日の午前0時。でも到着してから少なくとも6時間はあけたいと思い、まだですか?と聞かれても、まだ覚めてませんよ、と周りの人には言っていました」

 

「仮谷さんの体を揺さぶると「オウムがやった、オウムがやった」と答えることができた。会話できて答えられるので大脳皮質のかなりの部分が麻酔から解放されているのではないかと思いました」

 

その時の仮谷さんの状態は、起き上がったり歩いたりできる状態?

「一応医学的には"覚醒"と言いますが、肩を貸せば体は起こせるけど、自分で起き上がるとか周りを見るとかそういう意味の覚醒状態ではありません」

 

ナルコをするためにまずしたことは?

「点滴のラインに三方コック(※三方活栓のこと)がついていますので、チオペンタール1バイアルを20ccで溶いて、注射器で吸ってセットしました」

 

1バイアルに500㎎入っているチオペンタールを20ccで溶く濃度は一般的?

「一般的です」

 

証人はこの時の点滴状況について以前図にしていますね?

「そうです」

 

<平成7年5月8日付 証人が描いた点滴ラインの状況の図が示される。「ソリタ」と書かれた点滴パックのラインの途中に三方活栓がつけられ、注射器がセットされている。ラインは仮谷さんの手の甲に繋がれている>

 

ナルコは計何回実施されましたか?

「2回です」

 

1回目のナルコの時には他に誰がいましたか?

「中川です」

 

1回目のナルコでのチオペンタールの使用量は?

「4cc使いました」

 

どのように開始しましたか?

「体を揺さぶって意識がどのくらい回復したのか確認し、受け答えができる意識状態と判断して質問を始めました」

 

その後追加でチオペンタールを投与しましたか?

「しました」

 

仮谷さんの瞼は1回目のナルコの間どうなっていましたか?

「閉じていました」

 

どんなことを質問しましたか?

「"妹さんはどこですか?"と。質問の角度を変えて何回か聞きました」

 

何と答えましたか?

「私は耳が悪いので、声は聞こえていましたが中川に何と言っているか聞いたところ「オウムがやった、オウムがやった」と。そして「私には分からない、誰にも分からない」と」

 

1回目のナルコはどれくらいの時間やっていましたか?

「10分弱です」

 

妹さんの居場所はわかりましたか?

「分かりませんでした」

 

1回目のナルコを終えてどうしましたか?

「広間に出ました」

 

広間には誰がいましたか?

「井上がいて、仮谷さんの所持品の手帳を見て「妹さんは友だちのところか旅行に行っているのではないか?」と言っていた。もう私はやりたくないので「それならご自分でやってください」と言いました。

あと先ほどの三人は確実にいました」

 

その後どうしましたか?

「井上と中川と三人で2回目のナルコインタビューをしました」

 

2回目のナルコでのチオペンタールの入れ方は?

「ちょっと覚えていないのですが、2回やってトータルで13~14cc使っています」

 

2回目のナルコでのやり取りで覚えていることは?

「井上が仮谷さんの手帳の住所録に従ってひとりひとリ聞いていき、妹さんの居場所はどこですか?と聞いていました」

 

居場所は聞き出せましたか?

「聞き出せませんでした」

 

2回目のナルコの所要時間は。

「10分くらいです」

 

1回目のナルコと2回目のナルコの間は何分くらい開いていましたか?

「5分もなかったと思います」

 

2回目のナルコの後、井上さんはどうしましたか?

「外に出て行ったと思います」

 

ナルコを終えた後?

「通常ナルコでは30分見ていればわかります。ですから30分は仮谷さんの様を見ていました。状態は安定していました。ナルコをやる前とほぼ同じ状態に戻っていました」

 

2回目のナルコが終わった時点で点滴にセットしたチオペンタールの溶液は残っていた?

「残っていました。仮谷さんを教団内で管理するために、生理食塩水100ccのパックにチオペンタールのバイアルから500mgを溶いて三方コックに繋ぎました。繋いだだけで、落としたり注入したわけではありません」

 

教団内で管理するためとは?

「教団内に留め置くため、それと、もし起き上ったらこの人を帰せなくなると思い、セットしておきました」

 

2回目のナルコの後30分ほど様子を見ている間、チオペンタールを投与しましたか?

「していません」

 

その後どうなりましたか?

「そのあと、私の知識と経験からひとまず状況を把握できる状態になったので、部屋を出て、広間の椅子に腰かけました」

 

どういう気持ちでしたか。

「ものすごく緊張していたので、ほっとしました」

 

その後、何時ごろまで第2サティアンにいましたか?

「中川に引き継ぐ午前9時~9時半頃までいました」

 

その間はどこに?

「中川やH田が出入りしていたので、旧自宅の戸口が見えるところに座っていましたが、その後はずっと仮谷さんのそばにいました」

 

なぜ仮谷さんの部屋にいた?

「管理しなきゃなんない。心配だったから」

 

その時に聞こえた声として覚えているのは?

「中川とH田が、着ているものを焼きに行くだとか、着替えを取りに行くだとか、お弁当を買いに行くだとか…。戸口に村井が来て、中川とH田と話しているのを見ました」

 

戸口とは?

「北東側の出入り口です」

<図面で示す。"旧麻原の自宅"も赤ペンで囲む>

 

何を話しているか聞こえましたか?

「話は聞こえなかったです」

 

ニューナルコについての話を聞いた?

「聞いていません」

 

その頃の被告について何か覚えていることは。

「彼は私が腰かけていた椅子、2つ並んでいたんですが、そこに彼がパンツ一丁で座ったり立ったりしていました」

 

それはいつの話?

「ナルコを終えて広間に出た時の事です」

 

2回目のナルコの後、点滴にセットしたチオペンタールは使いましたか?

「2回使いました」

 

何故使った?

「兆候を調べたときに、胸骨を圧迫して反応を調べたんですが、それに反応して起き上がりそうになったので使いました」

 

1回目はどのように投与しましたか。

「三方コックを切り替えてチオペンタールが流れるようにして、滴数を全開にして流しました」

 

仮谷さんの状態はどうなりましたか。

「起き上がることなく眠った状態になりました」

 

2回目は?

「1回目と同様ですが、滴数をある程度決めて落としたはずですが、詳しいことは覚えていません」

 

中川に管理を引き継いだ後はどうしましたか?

「第6サティアンに戻りました」

 

なぜ第2サティアンを出ることができた?

「6時~6時半には仮谷さんの状態が私でなくても見ていられる状態になっていたので、帰りたいと言ったら中川が「10時から10時半に麻原に会うのでそれまでいてください」と言った。それで9時から9時半には中川が戻ってきて「あとは私がやります」と」

 

交代する際、中川さんに引き継いだことは?

「仮谷さんの管理状況、薬液の濃度などを話しました。それで私が強調したのは、状態が安定しているけど呼吸状態に気を付けてくださいと言いました」

 

チオペンタールをどういうときに投与するかの引継ぎもした?

「それは当然しています」

 

どういうときに投与すると?

「麻酔状態にするために入れるのと、起き上がりそうになったら入れるということです」

 

投与量としてはどちらが多い?

「麻酔状態にするときの方が多くなります」

 

中川さんに引き継ぐまでに使用したチオペンタールはまだ体内に残っていた?

「残っているものとして心配して管理をしていました」

 

その日の別の時間に、中川さんに会いましたか?

「午後3時~4時ごろに第2サティアンの入り口で出くわしました」

 

何か会話した?

「私が「あの人どうしたんですか?」と聞くと、中川は「麻原に会ってポアするように指示が出た。麻原が、新しくこの事件に参画させる人にやらせると。方法は塩化カリウムを静脈注射すると。連れて行ったら仮谷さんがすでに亡くなっていた」と言ってました」

 

どういうことだと理解した?

「要するに新しく入った人を教団から離れられなくする口止めだと。それがすごく嫌だなと思いました」

 

塩化カリウムでポアするとはどういうことだと?

「ポアということは殺害するということ。オウムの用語として分かっていました」

 

中川さんがその後仮谷さんをどう管理していたかは分かった?

「分からなかった。私が管理したまま管理していれば亡くなるはずはないんだが、と思いました」

 

他に何か中川さんに聞いた?

「聞いていないと思います」

 

薬物の効果を確かめようとした、とは聞いていない?

「新聞か何かで読んだんですけど、井上がそういう証言をしていると知っています。でもそれはあり得ないと思っています。例えば塩化カリウムという話を聞いたと思うんですけど、薬液のことを知らないからそういう解釈をしたんだと思います」

 

チオペンタールの濃度についてですが、500mgを20ccで溶くということは、1ccあたり25mgということですね。

「そうですね」

 

(溶液の量や濃度についての質問)

 

ナルコの後2回チオペンタールを投与した時はどれくらい投与した?

「10~20mgくらいです」

 

出家前、病院でチオペンタールを医師として使ったことはある?

「あります。外科医ですから、麻酔の訓練を受けます。気管挿管の際に使うチオペンタールはいつも使っていました。それと手術合併症の空気塞栓で脳の細胞を保護するために…(書き取れず)、その際は基準量より圧倒的に多く使用します。それは2例だけ経験しています」

 

気管挿管の際に使うというのは?

「長時間の手術に及ぶときは吸入麻酔をします。その際に気管挿管が必要で、短時間で覚めるチオペンタールを使ってまず挿管をします」

 

合併症の空気塞栓という方は。

「こちらは圧倒的に多い量を使用します。呼吸中枢が麻痺し呼吸が停止するため、血圧などをモニター管理しなければならない。ICUのみの治療法です」

 

通常は短時間麻酔として使うと。

「10分とか20分とかの短い時間で使います」

 

成人男性の全身麻酔の気管挿管の時に使うチオペンタールの量はどれくらい?

「体重1kgあたり4~5mgです」

 

チオペンタールがすぐ効いてすぐ覚めるのは何故ですか?

「脳の血流量は普通は多いためすぐ流れる。脂溶性のため脂肪組織に蓄積されるので……(説明続く)」

 

麻酔が覚めてもチオペンタールは体内に残っている?

「そういうことです」

 

チオペンタールの副作用は何がある?

「まず特徴的なのは呼吸抑制。中枢が麻痺すれば呼吸が停止する。ですからそれはまず一義的に管理しなくてはなりません。他には生体防御をする反応。器官痙攣、舌根沈下、嘔吐……言い出したらきりがありません」

 

チオペンタール麻酔の深さと投与スピードの関係はありますか?

「すごく密接に関係あります。多めでもゆっくりなら麻酔の震度は浅く保てる」

 

使用量の危険の目安は?

「それはもう説明書にも書いてあるけど、1g。私は尊重してやっていたけど…(説明続く)」

 

教団では麻酔薬として何を使用していた?

「最初はイソフルラン(?)、次がチオペンタール。チオペンタールを石川たち法皇官房が大量に使用したので手に入らなくなり、教団で作るようになりました」

 

仮谷さんのナルコに使用したのは教団で作ったチオペンタール?

「そうです」

 

バルドーのイニシエーションというのはいつから始まったのですか?

「麻原の作った純粋なやつ、という言い方をしますが、それは平成6年5月の終わり。それが平成6年の6月以降は石川が信徒に向けてやった数々のイニシエーションで信者に広められていきました」

 

バルドーのイニシエーションの周知度は?

「決意の1~4の詞章を中心として、他のイニシエーションもひっくるめて麻原の思わせたいことを刷り込むものに石川がしあげた。意識の深い時にテレビを見させて○○を唱えさせる。ナルコと同じ手法で確かめるというようなものです」

 

CHSから麻酔薬を使用したイニシエーションを依頼されたことは?

「あります」

 

この事件に関わったことについて今思うことは。

「何と言ったらいいのか…表現のしようがないですけど…。色々な人にね、育てられて医師としてもやってきましたけど……そういう知識や経験こういうことに使って、仮谷さんを亡くならせてしまって…。本当に表現できない、辛い悲しい思いを味わせ続けている。本当に申し訳ありません」

(泣きながら。座ったまま仮谷実さんに深く一礼。ハンカチで涙をぬぐう)

 

<質問者交代>

 

3月1日に中川さんに管理を引き継ぎ、「安定しているけど呼吸状態には気を付けてください」と言ったんですね。どういうことを想定して言ったのですか?

「呼吸抑制、停止ということも含めて言いました。中川も当然知っているという認識で、舌根沈下ということも含めています」

 

舌根沈下は防げる?

「医師がついていれば、例えば一つの操作、顎を上げる、それだけで取れます」

 

舌根沈下が起きると窒息状態になるわけですね?

「舌根沈下というのは通常の状態でもありますけど、この場合麻酔を使ってますから本当に注意しないと。医師がついていないと」

 

呼吸抑制になると、その後心臓が止まると。その時に死亡したと判断していい?

「そうです」

 

呼吸が止まって、心臓が止まる仕組み?

「呼吸が止まるとすでに血液中に酸素が取り込まれない低酸素状態になります。徐々に心臓が収縮し、動けなくなる」

 

それを心不全と呼ぶ?

「いろんな概念がありますから。まあ、心臓の不全ですね」

 

麻酔が効いているかどうか確認する時に睫毛反応を見ることはありますか?

「はい、あります」

 

睫毛反応とは?

「こうやって(自分のまつげを触って)、まつげを触って反応を見ます」

 

3月1日の午後3~4時、中川さんと話をしたと。「塩化カリウムを静脈注射してポアする」、その話の中で「新しい人に首を絞めさせる」という指示があったとか、実際に締めたとかいう話は?

「ありませんでした」

 

井上さんの薬物に関する証言を新聞で読んで「ありえないことだ」と思ったと、そこを詳しく教えてくれますか?

弁護人「異議あり。井上証人の証言を評価するのは裁判員や裁判官であって、林さんではない」

裁判長「異議を認めます」

 

証人がナルコを終えて30分様子見をしたと。ソファにいるとき被告を見たとのことですが、その時の場所を図で示せますか?

「はい」

<瞑想室⑥に近い位置の椅子を指し示す>

 

被告がパンツ一丁で立っていて、その時の被告人の様子は?

「ええと…、パンツ一丁です」

 

<検察側主尋問 終了>

高橋克也 第12回公判傍聴記【仮谷事件 証人 中川智正 (1)】の続きです。

 

<弁護側反対尋問>

 

※書き取れなかったところは概要でまとめています。

 

▽2月28日の午前、今川の家

・高橋被告がいなかったことの確認

・こたつの部屋で地図を広げて話をした時、誰がどのようにして拉致するのかという役割の話は出ていないのでは?→正確に覚えていない

 

▽拉致現場 デリカ内

・高橋被告、平田信、Iについてはいたかどうか記憶があやふや

・デリカ内で高橋被告が発言した記憶→ない

・中川が注射をうつという話→改めて確認するような話ではなかった

・H田はもともとはギャランの運転手役だった?→そうです

 

▽ナルコ

・中川が自発的に提案した?→麻原がやってみろと提案

・ナルコの手法は精神科の本にも出ている。「麻酔面接」という。医学部生が使うようなテキストにも載っている。

・この方法は命に危険があるものではない?→一般的には安全なものだと思う

・中川がこれまでに関わったスパイチェックのためのナルコの回数→数件。5件よりも少ないと思う

・ナルコができた人→林郁夫、林郁夫の部下

・中川はそれまでナルコがなかなかうまくできなかった。麻酔のコントロールがうまくいかなかった。

・中川自身は実際にナルコを実施して秘密を聞き出せたことは一回もなかった

 

 

ある時期からナルコはあまりやっていなかったと。いつ頃からいつ頃まで秘密を聞き出すためのナルコは実施されていましたか?

「93年の年末くらいから、94年の2~3月くらいまでだと思います」

 

仮谷さん事件の頃にはやっていなかった。

「はい」

 

2月28日に井上さんが第6サティアンの自室に来て「お布施をしようとした妹を…」と説明した時、「ナルコ」「薬を使って半覚醒状態にして秘密を聞き出せ」ということは言われた?

「言われていないです」

 

上九に仮谷さんを連れて行った後どうする、という話ではなかった。

「そうです」

 

ナルコするとは思っていなかった。

「思っていません。もし思っていたら、しばらくやってないんで、この時点で林郁夫さんに声をかけます。

この当時しばしば教団では麻酔薬で信徒の家族を連れてくるパターンがあったので、そのパターンなんだろうなと思いました。多少手荒にしても家族の問題なのでおおっぴらにはならなかった。しっかり信徒さんであれば、変な言い方ですが、問題にはならないだろうと思いました」

 

用意した麻酔薬はケタラールとチオペンタール、これはお兄さんを上九まで連れてくることを想定してですね。

「はい」

 

ナルコを想定しての用意ではないですね。

「はい」

 

ケタラールは筋肉注射。チオペンタールは静脈に入れる麻酔薬。暴れている人に対して静脈注射をすることは難しい。

「その通りです」

 

暴れている人にはまず筋肉注射をしてから、と思った。

「はい」

 

ケタラールの方が打つのが簡単だと。

「はい」

 

チオペンタールは点滴で入れる静脈注射ですね。量を調整できるメリットがあった?

「そうです」

 

上九まで行くということでチオペンタールを選択したのではないですか?

「はい、そうですね」

 

もともとナルコをするためにチオペンタールを持って行ったわけではないと。

「そうですね」

 

28日午前の今川での話ですが、井上さん、中村さん、中川さんの三人で話した時、「ナルコ」「麻酔薬で秘密を聞き出す」という提案はあった?

「井上君が私のほうを向いて「自白剤を使わなければいけないんだけど、できる?」と言ったのは間違いないですが、それ以上のことは思い出せません。同じ今川の家でも違う場面だった可能性もあります」

 

井上さんは自白剤と。

「教団の医療関係者はナルコと呼んでいましたが、それ以外の人は分かっていなかったと思います。井上君も分かっていなかったくらいなので」

 

その場面に高橋さんがいた記憶は?

「ないです」

「井上君としては使うことをほぼ決めてて私に聞いてきた感じでした」

 

中川さんは何と答えた?

「あれは自白剤じゃなくて麻酔薬なんだよ、と教えました。使うことについては「そりゃできるけどね」と。そこから先の井上君の反応はもう覚えていません」

 

そのやり取りは間違いなく今川の家。

「多分今川の家だろう、と思います」

 

第6サティアンではなかった。

「はい」

 

公証役場の現場ではなかった。

「はい。車の中ではなかったような気がするんです。そうすると今川しかないので」

 

信者、元信者ではない人にナルコをしたことは?

「私はなかったです」

 

見聞きした中では?

「記憶に残っていません」

 

井上さんが自白剤と言った時、対象の人は信者、元信者ではないと理解していましたか?

「してたはずですね」

 

何か抵抗はありましたか?

「家族がこちらの味方であればそういうことをしても問題ないだろうと思ってて、実はあまり抵抗はなかったと思います」

 

ナルコを中川さんがしばらくしていないことを麻原は知っていた?

「知らないんだと思います」

 

中川さんが秘密を聞き出せたという報告を麻原にしたことはなかったわけですね。

「むしろ、できなかったと報告してました」

 

林郁夫さんは成功していたと。

「それは麻原氏も分かってました」

 

デリカの中で井上さんから「上九に行ったらナルコで…」と言われたことはないですね。

「車の中ではなかったと思います」

 

井上さんが他の人に話していた記憶もない?

「そうですね。なかったと思います」

 

蘆花公園で井上さんと話をしていた時、「第2サティアンに運ぶ」、「ナルコはクリちゃんに頼もうと思っている」と話したと。それは二人だけの会話ですね。

「はい」

 

林郁夫さんに頼む話は証人からした?

「そうです」

 

証人が発案、提案したと。

「はい、そうです」

 

証人が言って初めて林郁夫さんは仮谷さんの事件について知ったのですか?

「その日、林さんは遠藤さんと会う約束をしてたんです。それをキャンセルしていた。だから知らなかったと思います。あと、私が話した時にちょっと驚いた顔をしていたので知らなかったはずです」

 

林郁夫さんの参加により、ナルコを実施する条件が整ったと。

「そうですね」

 

もしこの時林郁夫さんが不在、もしくは無理だったらどうしましたか?

「うーん……そういう事態を想定していなかったので……。どうしたか分からないです」

 

他の人という選択肢は?

「ありませんでした。もうかなり騒ぎになっていたので林郁夫さんに頼むしかなかったと思います」

 

証人自身がやることは。

「ダメだったら最終的には私がやるしかなかったかもしれません」

 

H田さん、高橋さんに衣料品を運んでもらったことは。

「記憶にないです」

 

ナルコについて高橋さんに説明をしたことはある?

「多分ないと思います」

 

車の中で高橋さんにこれからやること(ナルコをすること)を説明したことは?

「聞かれなければ説明することではないです。高橋さんがいても居なくてもやるし、これは私の仕事なので」

 

仮谷さんにナルコをするための情報を林郁夫さんとH田さんが話していた時、高橋さんは弁当を買いに行っていていなかったと。

「はい」

 

2人が話していた場所はどこですか?

<図面にタッチペンで書きこむ。瞑想室①の前>

<ガレージのマークⅡの位置を図面に書き込む>

 

仮谷さんを運んでから亡くなるまでの間で、高橋さんがいた時として覚えているのはいつですか?

「仮谷さんを運び込むとき。荷物を瞑想室①に運んでいる時。弁当を第二サティアン入口のところで渡してくれた時。この時は中には入っていない。村井さんに「服を焼け」と言われ、広間でH田君と下着姿になっている場面。Iさんに首を締めさせるときに中に入ってもらっている時。くらいです」

 

車内で投与したチオペンタールの量は2~2.5gということは、林郁夫さんには伝えましたか?

「はい」

 

何時から投与している、と時間も伝えた?

「はい」

 

それを聞いて林郁夫さんは何か言っていた?

「ちょっと考えてから、そんなもんじゃないですか、と言っていました」

 

多いとは言われていない。

「いないです」

 

死因について。呼吸抑制というのは脳の中にある延髄の中の呼吸を司る中枢が抑制されることですか?

「それも含まれます」

 

循環抑制、これは心臓の機能が低下して脈が抑制されることですか?

「それはそうです」

 

舌根沈下によって亡くなることは、物理的に気道が閉塞して亡くなることですね。

「はい」

 

仮谷さんのもとを離れる直前、不整脈などの症状はなかった?

「はい」

 

呼吸も通常。

「はい」

 

麻酔の副作用を示すものはなかった。

「はい。私の見た限りではそうだったんですが…」

 

亡くなっている仮谷さんを確認した方法として、瞳孔、脈拍の確認以外には何かしましたか?

「それくらいだと思います」

 

舌根が沈下していることは目で確認した?

「確認はしてないです。死亡すれば舌根は沈下するので、確認してもあまり意味がない」

 

他に確認したことはありますか?

「宗教的な体験がちょっとあったということです。私は人が亡くなった時に光が見えたり声が聞こえたりとかするんですね。今もあるんですけども。そもそもそれで入信しているんです。教団にいた時もそうでした。仮谷さんの上の方が光って見えたので、あーこれは亡くなった、と思ったんです」

 

上の方?

「部屋の上です」

 

身体ではなくて?部屋の上の空間?

「はい、そうです」

 

それも仮谷さんが亡くなったという根拠の一つになりましたか?

「自分としてはそれがすごく大きかったんですが……」

 

この事件に関して麻酔投与、ナルコの補助、など医師としての役割がありましたね。

仮谷さんの生命を積極的に奪おうと思っていたわけではない?

「はい」

 

もともと上九に向かう時に人工呼吸の準備をしていったと。

「はい」

 

麻酔をした時も何かあった時のために静脈路を確保していたと。

「はい」

 

仮谷さんに色々な措置を講じていたと。

「そうです、その通りです」

 

麻酔をする上で一番重要なこと、それは絶え間なく監視し続けることですね?

「その通りです」

 

監視したうえで呼吸の状態とか血圧だとかを見ていることですね。

「その通りです」

 

だから証人と林郁夫さんのどちらかが必ずいるようにしていた。服を処分するときも、証人が離れるので林郁夫さんに待っていてもらったと。

「はい、その通りです」

 

チオペンタールには呼吸循環系に副作用があることは、医師として当然の常識ですね。

「はい」

 

何万件に一件の死亡例はあるが麻酔の死亡は防ぐことができる。防がなくてはいけない。だから証人と林郁夫さんはそばを離れなかった。2月28日午後10時~3月1日午前10時までは、どちらかが常に付き添っている。

3月1日の午前10時にそばを離れた。何故離れたんですか。

「井上君に電話してI君を呼びよせる。H田君にも話をしに行きました」

 

その時、瞑想室の外の広間にはH田さんがいたんですよね。平田さんを呼び寄せることは可能だったのではないですか?

「可能だったといえば可能です」

 

もしくは、Iさんを呼ぶ連絡をH田さんにさせることも可能だったのではないですか?

「それは無理です。これだけ重要な話を彼にさせることはできません」

 

林郁夫さんを呼んで見ていてもらうことはできたのではないですか?

「それはそうですけど、林さんの帰るときの様子を見ていたので、来てくれとは言えなかったです」

 

それまで12時間もずっとそばで見ていたのに、15分も目を離した?

「はい、そうです」

 

目の前に亡くなっているかもしれない人がいたら、まず最初に大声で声をかける、それが救急の基本じゃないですか?

「んー、それはそうとも限らないんじゃないでしょうか(苦笑)」

 

大声で「仮谷さん大丈夫ですか?」と呼びかけるべきなのでは。

「んー。呼吸が止まってる人に反応を確認しても意味がないんじゃないでしょうか」

 

気道の確保はしましたか?

「していません」

 

挿管を試みましたか?

「いえ、試みておりません」

 

人工呼吸や心臓マッサージ、ご存知ですね。

「はい」

 

しましたか?

「いえ」

 

あなたのバッグの中には人工呼吸用のマスクも入っていた。使いましたか?

「使っていません」

 

蘇生措置、何もしてないですね。

「はい」

 

仮にね、舌根沈下による窒息だとしてもこの時すぐに蘇生すれば救命することができたんじゃないですか?

「私はもうその時点で、もう亡くなっていると思ったからしなかったです」

 

その一番大きな根拠は"光が見えたから"?

「はい、そうです。他にも医療的根拠はありましたが私にはそれが一番大きかった」

 

村井さんが来た後、いったん仮谷さんの元に戻った?

「はい、そうです」

 

その時に状態を確認した?

「はい。すぐには動いていないんです」

 

仮谷さんのもとに帰るまで15分くらいかかったと。

「はい」

 

時計で確認しました?

「いや、してないです」

 

本当に15分もかかりました?

「いや、数字を見ていたという記憶はないです」

 

その15分の間の移動内容。

井上に電話→詳しい話はしていない。

H田と会話→広間

 

そんなに長々と話しましたか?

「正直言って分からないとしか言えないです」

 

<図面に、15分の間の移動経路をタッチペンで書きこむ。仮谷さんがいたところに①、H田がいたところに②、井上に電話したところに③と書く>

 

「行った順番が分からないです」

 

この移動距離、片道1分かかることないですね?

「そうですね、1~2分、まあ1分くらい」

 

大体何メートルくらいかは分からない?

「それは分からないです」

 

▽エアウェイについて

舌根沈下を防ぐ機能のある器具。仮谷さんのもとを離れた時、エアウェイはついていた?

「記憶としてはついていなかったです」

 

かつてあなたは検察官にエアウェイをつけたと話したことがありますね。

「調書にはありますが、話していません」

 

"戻った時に口の中にあったエアウェイが舌から外れた状態だった"と話していましたね?

「そういう調書があるのは知っていますが、話したことはありません」

 

口の中にエアウェイをつけた絵を描いたことがありますね。

「あります」

<平成7年8月27日の供述調書、および絵が示される>

 

しかしあなたは裁判になると、そもそもエアウェイをつけていないと話していた。

「はい」

 

本当はエアウェイなんてもともとついていないですね。

「つけようとしたことはもっと早い段階でありましたが、最後はつけていないです」

 

あなた自身が塩化カリウムなどの薬物で仮谷さんを殺害したことを隠すためにエアウェイをつけたと話したんじゃありませんが?

「え?」

 

(再度同じ質問を繰り返す弁護人)

「いくつも言われても分からないです。一つ一つお答えすると、カリウムは投与していません。エアウェイもつけたと話していません」

 

そういうことを隠すために供述を変遷させたのではないですか?

「いいえ?違います。そのことは私の裁判の、97年くらいの頃から言っていますから」

 

<平成7年○月○日の供述調書が示される>

 

"この時私はチオペンタールを投与して寝ている仮谷さんが舌根沈下を起こさないようにエアウェイという器具を口に取り付けておきました"

"この時仮谷さんの口にはめていたエアウェイはまだ口の中にありましたが、舌から外れた状態でした"

 

村井さんから「塩化カリウムでも打つかな」と言われ、ギョッとして言葉を失ったと。

「はい」

 

あなたと村井さんは塩化カリウムで人を殺害するという計画を立てていたことがありますか?

「はい。坂本さんの事件ですね」

 

塩化カリウムの話ですけども、この話を第三者にしたことは本当にありませんか?

「林郁夫さんはその話の場にいます。他の人と話したことはありません」

 

3月1日の夕方、林郁夫さんに会った時「塩化カリウムでポアさせようとしたんだ」と言ったんじゃないですか?

「いえいえ、Iさんに首を締めさせたということだけ話しました」

 

仮谷さんは既に亡くなっていたがIさんに首を締めさせたことは、村井さんには言いましたか?

「言っていないです」

 

麻原には?

「言っていないです」

 

亡くなってから仮谷さんの首を締めさせるという判断は証人がした。

「はい」

 

そのことを麻原に言わなかった判断も証人。

「はい」

 

本栖湖に仮谷さんの位牌を流すことも証人の判断ですね。

「それはそうです」

 

<弁護側反対尋問 終了>

 

<検察側 最終尋問>

 

エアウェイについてですが、実際のところ、はめたことはないんですね。

「はい」

 

検察官調書にあるのは知っているが話してはいないと。それどういうことなのか教えてくれますか?

「私のコメントを書き加えていくという調書の作り方をされていたんですね。最終的に検事さんが出してきたのがあの調書で、あまりチェックせずに指印を押してしまったんです。その後の録取の中ではエアウェイの話は出てきません」

 

エアウェイの絵は?

「あれはエアウェイの使い方を書いているんです。つけたという図ではないんです。90年代の、98年とか、自分の裁判で話した時には「つけていなかった」と言っています」

 

亡くなってから首を絞めたことを村井、麻原に報告していないのはなぜですか?

「最初に会ったのは村井さん。終わったということを話した。そのまえの私への話し方があまりにも突き放したような話し方で、村井さんには言う気になれませんでした。麻原については、焼却は誰にしますか?と言ったら怒りだした。それで言う機会を逃しました」

 

遺灰を流す判断は。

「村井には遺灰をどうするかということについては言われていなかった。過去、教団で亡くなった人を富士の樹海で散骨したことがあったんです。あのあたりがいいだろうと思って行きました」

 

<検察側最終尋問 終了>

 

<裁判所からの質問>

 

▽裁判員③

高橋さんはおとなしい、存在感が薄い印象でしたが、焼却炉で煙の様子を見ている時に、中川さんに「麻原氏の指示だろうけど…」と話したと。これはどういう状況で?

「場所は広間にいたときで、煙の観察を彼がしている時です。私もそこに偶然いる時にぽろっと言ったと」

 

2人きりですか?

「はい、他にいませんでした」

 

その発言を聞いてどう理解されましたか?

「麻原氏の指示なしにやったんじゃないだろうけど、こんな警察沙汰になるようなことを本当に望んだんだろうか、という意味で言っている。でもあまりそうだそうだと言ってしまうと批判しているようになるので。井上君、中村君のことを言いたかったのかと思いましたが。これは私も麻原の意向とは違う形になってしまったと思いました」

 

その話の続きとか、このことを別の機会に高橋さんと話したことは?

「似たような話はしたことはあります。CHSが偽造免許でレンタカーをたくさん借りていた。あまりにも借りすぎて絶対問題になると高橋さんがすごく心配していた。ひょっとしたら高橋さんの偽造免許を井上君が勝手に作って使っていたということがあったのかもしれません。「こんなことやってたら尊師に迷惑がかかるんじゃないかな」と言っていました」

 

他にはありますか?

「仮谷さんの事件からサリン事件のあいだの頃、井上君を何度か批判するような言動がありました」

 

▽裁判官 左陪審

井上さんから「かつらを使ってください」と言われたのはなぜですか?

「当時私が坊主頭で目立つから隠せということだと思いました」

 

実際かぶって犯行を?

「はい、つかいました」

 

どこからどこの場面で使いましたか?

「拉致の場面では使っていました。上九に移す場面では外していたはずです」

 

仮谷さんを蘆花公園でマークⅡに移し替えた時、運転席側の後部座席にいた仮谷さんの姿勢は?

「椅子からずり落ちるような感じで座っている。体制を斜めにしていて、敗者の診察でうしろに寝るような、それをちょっと起こすような感じに毛布とかを敷いて調整しました」

 

そのとき点滴は?

「窓のところにかけていました」

 

チオペンタールナトリウムは教団が作ったものだったと。それは作成した事実を認識していましたか?

「はい、そうです。94年の夏くらいから教団が人を拉致したとマスコミに騒がれたため、製薬会社が麻酔薬を売るのを嫌がったんですね。そこで10~11月くらいに土谷君と遠藤君が密造したんです。3000本くらいのチオペンタールのバイアルを作りました」

 

本件で使用したチオペンタールは?

「私は購入したものが残っていました。林郁夫さんが持ってきたのは教団が密造したものです」

 

薬効の違いは感じた?

「私が使ったかぎりではほとんどなかったです。割とよくできていました」

 

▽裁判官 右陪審

密造チオペンタールの濃度も同じですか?

「溶解液は作ってはいなかったんです。でも純度は精密なものでした」

 

林郁夫さんは密造のものを使っていたとのことですが、普段からナルコにも使っていた?

「はい、そうです」

 

遺体焼却時の被告の行為としてはなにを?

「近くある焼却炉はドラム缶で作っています。穴が開いてしまうことがあるのでそれを定期的に見ていました。あとは1階の降り口で煙の状態を見ていました。一日8時間、中村君とI君と高橋さんの3人で交代してやっていました」

 

その時の被告の様子として記憶にあることは?

「やはり落ち込んでいた。暗かったです」

 

▽裁判長

エアウェイについて。早い段階でつけようとしたとのことですが、それはいつですか?

「林郁夫さんがいた頃で、ごく最初の頃に「これどうですかね」と口に入れようとしたんです。形が合わないから林郁夫さんが「これダメだよ」と言ってやめました。合わないエアウェイは吐いてしまって誤飲を起こしたりすることもあります。舌根沈下を防ぐ役割はあるが、必ずではありません」

 

<閉廷>

 

2015年2月3日(火) 高橋克也 第12回公判(仮谷事件) 

証人 中川智正

 

<検察側主尋問>

 

あなたの仮谷事件への関与は。

「仮谷さんを車に引き込んだのと、麻酔薬を打って意識のない状態にして車の中と上九一色村でそれを継続し、亡くなったあと遺体を焼却して遺灰を本栖湖に流しました」

 

関与のいきさつは。

「95年2月28日の午前3~4時、井上君が第6サティアンの私の部屋に来たことです。私にこの件に関わってくれるように話していました」

 

具体的には何と言っていた?

「”お布施をしようとした妹を兄貴が隠した。その兄貴に麻酔薬を打って上九まで連れてくるので麻酔薬を用意して東京に来てほしい”、とのことでした」

 

どうしましたか?

「まず承諾しました」

 

どのような準備をした?

「麻酔薬、医療器具の準備をしました。麻酔薬は静脈注射で使うチオペンタールナトリウムと、筋肉注射のケタラールの2種類。チオペンタールはある程度の時間麻酔を維持できるので、上九に運ぶのに使うのによいと思った。ケタラールはどこに射しても効くので、どういう状況でも打てるものです」

 

医療器具とは?

「注射、注射針、点滴の道具、人工呼吸をできる用意などです」

 

人工呼吸できる用意とは?

「マスク(バルーンがついているもの)、挿管、どちらもできるような準備をしました。麻酔をする時はそういう準備をしなければならないからです。呼吸が止まる副作用は考えなくてはいけません」

 

これらの薬や器具は何に入れた?

「キャリーバッグ、工具箱に入れました。人工呼吸の道具はボストンバッグです。荷物は3つくらいになりました」

 

準備を整えてからどうした?

「井上君とは別に東京へ向かいました。車で今川の家に行った。井上君から今川に来てと言われていたので。午前7~8時に到着したと思います。夜が明けていました」

 

到着した時に今川にいた人は。

「はっきり居たと言えるのは、井上君、中村君です。その時居たかは分からないけれど、その後で話をしたと言えるのはH田君です」

 

まずどのようなことをしましたか?

「明確ではないが、井上君が地図を見ていた。掘りごたつのあるところに座ってコピーした地図を見て何か言っているような場面を覚えています」

 

何処の地図?

「一つは亀戸の地図で、もう一つは品川の地図だと言っていました。お兄さんを車の中に引き込むんだけど、亀戸ではできないので品川でやると言っていました」

 

品川?

「お兄さんの勤務先だと聞きました」

 

あと聞いたことは。

「レーザーで目くらましをするということを聞きました。あとは、「自白剤を使ってほしい」という言い方で井上君から聞きました。お兄さんに自白剤を使って妹さんの居場所を聞き出してほしいという主旨でした」

 

どう思った?

「教団のやっていた「ナルコ」を言っているんだと思いました。ナルコで居場所を知ると。知った後で井上君なり中村君なりが対応するんだろうと思いました」

 

ナルコを知っていましたか?

「知っているというか、最初に開発した一人です。正式にはナルコインタビューというんだったと思います。麻酔薬を注射して半覚醒状態、つまり寝ぼけたような状態にして普段はしゃべらないようなことをしゃべってしまうと。医療でも使われている技術です」

 

麻酔薬とは?

「チオペンタールナトリウムです」

 

他にこの時話していたことは。

「井上君に、かつらを使って下さい、と言って渡されました」

 

そして?

「今川から品川に出発しました。私、井上君、中村君、H田君、高橋さん、M本君がいました。車は2台で、ワゴンのデリカとギャランでした」

 

車に何か積みましたか?

「さっきの医療器具の入ったバッグを車、デリカに積んでいます」

 

その後?

「ごく早い段階で平田信君が合流しました。確か今川の近くのファミレスの駐車場だったと思うのですが」

「順番はハッキリしないのですが、早かったろうと思うことから話します。午前11時ごろに現場に到着しました。まず、I君がやってきました。私はデリカでずっと待機していました。仮谷さんらしき人が来たということで車が動き出しましたが、人違いだったということがありました。井上君がデリカの中で皆に役割分担について話しました」

 

その時デリカの中にいたのは?

「M本君、私、井上君、中村君、H田君、そこまでで、高橋さんと平田信君とI君あたりは発言を全く覚えていないのでいたのかどうかあやふやです」

 

役割分担はどのような?

「井上君は、離れた場所から様子を見ている。中村君、I君、高橋さんは仮谷さんを車に押し込む。あと”ラーダ師とヴァジラティッサ師は車の中にお兄さんを引き込む”と言われました。ひょっとしたらで、”ヴァジラティッサ師が注射をうつ”という言葉があったかもしれません。そこは明確な記憶が残っていないです」

 

中川さん自身の役割については?

「注射を打てばいいんだということは現場に着いた時から分かっていました。だからあらためて言われたかどうかは覚えていない。でも、車に引き込めと言われたので、それは聞いていなかったので、え?そんなこともやるの?と思ったからそれを言われたのは覚えています」

 

その後、デリカ内では何をしていましたか。

「デリカで待機しながら、前の晩寝ていなかったのでうつらうつらしていたと思います。デリカの窓にスモークを貼って中が見えないようにし、2列目3列目の椅子を倒してフラットにしました。仮谷さんをスムーズに引き入れられるようにするために準備をしていました。

また、医療器具の確認をしていました。注射や薬品についてです。他にもこまごまとしたことがあったかと思うんですが、その後は引き込む場面のことしか今は出てきません。あとレーザーの練習とかもしました」

 

その後、引き込みの場面に。

「午後4時半ごろです。デリカは目黒駅の方に向かって停まっていました。すると反対側から中村君が怖い顔をして来るのが見えました。そのわきにI君、高橋さんもいました。前に男性の方がいたので今回の対象の方だろうと思いました。

男性が、つけられていることに気付いたらしく振り返り、振り返ったまま駅の方に歩道を逃げてこられました。

デリカが左折するように曲がって男性の進路をふさぐようにしました。H田君がドアを開けて、中村君が後ろから仮谷さんを抱きかかえて、H田君が仮谷さんをつかんで車の中に引き込む状況になりました」

 

仮谷さんはどうしていた?

「抵抗されていました。『助けて!』と3回声を出されました」

 

デリカに乗せられてからの仮谷さんの様子は。

「シートに倒された後は『もう暴れない』と2回おっしゃった。暴れなくなりました」

 

その時被告人はどうしていた?

「少なくともデリカの扉の近くまで来ていて、中村君が後ろから抱きかかえている側にはいたんですが、私が分かるのはそこまでです」

 

そしてどうなった?

「I君、中村君、高橋さんが車に乗り込みました。私は仮谷さんのふくらはぎにケタラールを打ちました」

 

仮谷さんは「暴れない」と言ったのに打ったんですか。

「暴れないとは言ったが、最初に決めた方針でしたから打ちました。比較的短い、1分、2分で意識がなくなりました。左側頭部に怪我をされていたので絆創膏を貼りました。出血が見た目に分かるほど切れていました。縫うほどではなかったので絆創膏を貼りました」

 

デリカ内の位置関係は?

「運転席にM本君、助手席に中村君、フラットの後部座席に仮谷さんが頭を進行方向と逆にして大の字に寝ていて、運転席の後ろに私、助手席の後ろにH田君、後部の運転席側のI君、助手席側に高橋さんです」

<実際のワゴンの写真にペンで位置関係を書き込んで示す>

「その後点滴をはじめました。ブドウ糖の点滴です。チオペンタールを使う前に静脈路を確保するため。また、麻酔がかかっているので何かあった時に対応しやすくするためです。

時間や麻酔の深さを見計らってチオペンタールを管注しはじめました。管注とは、点滴のチューブの脇から注射で薬液を入れることです」

 

点滴はどこにあった?

「後部座席の運転席側の窓の上あたりです」

<さきほどの図に、点滴と管注の位置も書き入れる>

時間を見計らって、とはどの程度の目安?

「30分目安にしてました。仮谷さんの状態を見ながらやっていました。呼吸の状態や目の状態、脈拍を見ていました。睫毛反射(まつげをはじいて反応するかどうか)や瞳孔を見たりしていました」

 

いつまで?

「上九に運ぶまでです。時間はH田君に30分ごとに教えてとお願いしたら、タイマーがあると鳴らしてくれました」

 

仮谷さんの状態は?

「おおむね安定していましたが、ケタラールを打ってしばらくしてチオペンタールを打つ前に一度呼吸が止まった。息を吸い込んだまま、胸は膨らんでいるのに出てこなかった。仮谷さんをまたいでH田君の位置に移りました。仮谷さんを左を下にした横向きにしました。舌の位置が奥に入りすぎたため呼吸が止まったのではと思ったからです。」

 

どうなりましたか。

「呼吸が戻りました」

 

その時の車内のメンバーの様子は?

「特に覚えていることはありません」

 

その後は?

「教団の道場の近くにちょっと寄って、ファミレスの駐車場へ行き、上九に仮谷さんを連れていくためにデリカを乗り換える話になりました。井上君、中村君が代わりの車を取りに行きました」

「かなり時間がかかりました。数分ではなく時間単位です。私はずっと仮谷さんの横についてました。その時は高橋さん、M本剛君、H田君とはデリカ内で話した記憶があります。高橋さんに物を買ってきてもらうように頼みました。頼んだのは、たぶんですがゴミ袋と布製のガムテープだと思う。医療器具というのはごみがたくさん出るのでそのためのごみ袋と、ガムテープは、あれば壁に点滴を貼ったり色々使えるので」

 

別の車両は用意された?

「はい。同じデリカが来ました。これはまずいと言ってもう一回替えてくることになり、今度はセダン型のマークⅡがきました」

 

そうしてどうなった?

「蘆花公園に行き、マークⅡに仮谷さんを移しました。時間がはっきりしないが、ファミレスで日が暮れはじめ、蘆花公園では完全に日が暮れていました」

 

移す時の仮谷さんの状態は。

「意識は失っていましたが、生命に危険がある状況ではなかった。運ぶときは点滴は繋ぎっぱなしでお腹の上に立てるように私が持って運びました」

 

運んだのは誰?

「今の記憶でははっきり言えません」

 

その後?

「井上君と話をしました。私が「上九の第2サティアンに運ぶ」と井上君に言いました。「ナルコはクリちゃんに頼もうと思ってる」とも言いました。クリちゃんとはクリシュナナンダ師、林郁夫さんのことです。

あとは上九に誰が行くかという話もしました。最初は高橋さんと中村君という話でしたが、H田君と高橋さんということになりました」

 

そして?

「マークⅡに乗り込み上九に出発しました」

 

仮谷さんの様子は?

「意識無い状態が継続していた。麻酔薬を30分目安に注射していました。時間はH田君の時計のタイマーで確認しました」

 

麻酔薬はどのように投与?

「すでに注射器に吸っていて、をれを少しずつ管注で点滴のチューブにくっつけて注射しました。無くなったらアンプルを割って付属している生理食塩水で溶かして、注射器で吸い上げてうちます。アンプルは黒いキャリーバッグの中にありました。キャリーバッグは後部座席のどこかに置いたと思います」

 

「午後10時ごろに上九第2サティアンに到着しました。まず第2で工事をしていた人がいたので、やめてくれと頼んだ。車庫の前にマーク2を停めた状態で私だけが別の車に乗って第6サティアンに行きました。車内には高橋さん、H田君、仮谷さんが残りました」

 

第6サティアンへはなぜ行った?

「林郁夫さんにナルコを頼むためと、あとは村井さんに話をするためです。村井さんに会って、仮谷さん連れてきましたと報告した。そして第2サティアンの工事を止めていいかと。もう止めちゃったんですけど事後承諾で。あとは林さんにナルコをお願いするけどいいですね?と聞きました。村井が「レーザーどうだった?」と聞くので「全然だめでした」とも言いました」

 

その後?

「林郁夫さんの所に行きました。簡単に経緯を話し、ナルコをやってくれと頼みました。承諾してくれました。2人別々の車に乗り、第2サティアンに行きました。

マークⅡが車庫の中に入ってしまっていたので、二人で車庫に入って、高橋さんとH田君と4人で仮谷さんを抱きかかえて第2サティアンに運び入れました」

 

どこに?

「1階の、麻原が使っていた入って左手の小部屋です」

<図面で、仮谷さんを運んだ瞑想室①を示す。車庫の位置も書き込む>

 

その後?

「準備のため医薬品を集めました。第2サティアンにあるものを持ってきて、点滴、検査機械、血圧計、聴診器、薬など準備しました。チオペンタールは林郁夫さんが第6サティアンから持ってきました。

仮谷さんの右手に入っていた点滴を左手に変えました。導尿をした。仮谷さんの所持品を見てみたところニトログリセリン(※あとで硝酸イソソルビドに訂正)があった。心臓病の疑いがあるので、フランドルテープを貼りました。

布団や毛布を用意し、部屋の温度を上げました」

 

点滴していたのは?

「林郁夫さんです。他の準備は私で、高橋さんとH田君にも手伝ってもらいました。」

 

証人から林郁夫さんに仮谷さんの管理が引き継がれた形ですね。

「はい」

 

引継ぎはしましたか?

「それまでに使った麻酔薬の量を伝えました。運送中に呼吸が止まったことも話しました」

 

高橋さんとH田さんのその後の動きは?

「高橋さんには弁当を買いに行ってもらいました。H田君には、林郁夫さんに仮谷さんのことを教えてあげてくれと。ナルコをするには対象者の情報を知らないとできないので。H田君と林郁夫さんとで話しをしました」

 

「林郁夫さんがすぐナルコにかかろうとしましたが、麻酔が深くてできなかった。揺り動かしても覚めない。しばらく待つことになりました。ブドウ糖のみ点滴をして、麻酔薬が身体の中で別のものになっていくのを待つということです」

 

どのくらい待ちましたか?

「上九に着いたのが午後10時くらい。ナルコ開始が午前2~3時。それまでは麻酔を切って待っていました」

 

その間証人は?

「林郁夫さんのそばにいて仮谷さんの様子を見たり、村井さんが来た時は村井さんと話をしました」

 

なぜ様子を見た?

「麻酔投与はしていないが、体の中に麻酔薬が残っている。麻酔状態だったからです」

 

村井はいつ来た?

「日付が変わったころ、午前0時くらいに第2サティアンの入口に来て、手招きをしてきた。「警察が動いてる」と聞かされました。仮谷さんを連れてきたときの状況について聞かれました。「しっかり目撃はされていると思う」「人もたくさんいた」と話しました。村井さんは驚いた顔をしていました。

私が「尊師は今お話しできますかね?」と聞くと、「今できない」とのことでした」

 

その後?

「井上君と中村君がきました。井上君とはいろいろ話したが、開口一番彼が「やっぱり検問が張られてたよ」と言いました。「仮谷さんの妹さんが教団をやめたいという電話をI田さんにしてきた」とも。そして仮谷さんの持ち物を井上君と二人で確認しました。手帳、財布、とか。

井上君が「尊師いらっしゃる?」というので「今いないみたいだよ」と答えました。

あと、私から「クリちゃんに挨拶だけはしてくれ」と言いました。こんな件でお願いしたのでちゃんと挨拶してくれよと。井上君は瞑想室①に入って「お願いします」と言っていました。」

 

中村さんはどうしていた?

「なんか隣でボーっとして話を聞いていたので、「ウパーリ師あんたがナルコしたらいいんじゃない?」と言ったら「いや僕は何にも知らないんで、同じくらいの知識しかないんだよ」と言っていました。その後二人は麻原氏に会いに行くと言っていたけどいないので、第二サティアンから出ていきました」

 

その後?

「ナルコができる状態になりました」

 

ナルコは誰がやった?

「林郁夫さんがやりました。私もその場にいました。部屋を出た広間にはH田君がいました。高橋さんは弁当を買いに行くと言って出たことは覚えているが、弁当を買ったのか車庫の中で休んでいたのかわかりません。少なくとも第二サティアンの中にはいませんでした」

 

ナルコを始めてどうなった?

「少しずつ麻酔を入れ、揺さぶったり音を立てたりして半覚醒状態にして林郁夫さんが質問をしました。妹さん、N科さんはどこですか?と何回も訊いていた。かなりしゃべりにくそうだったんですけども、「知らない」「分からない」と何回か返ってきました」

 

麻酔の投与はどのように?

「注射器でちょっとだけ入れて意識が薄れた状態にして訊いていました。麻酔は林郁夫さんがしていました。トータル30分くらいナルコをしていました」

 

ナルコを終えて?

「これは知らないのだろう、という結論になりました。その後は待機状態になりました」

 

仮谷さんはどのような状態?

「林郁夫さんが何も入っていない点滴のラインに新たに麻酔薬の点滴を入れ、投与しました。再び、呼びかけても声を出さない状態になりました」

 

なぜまた麻酔を投与した?

「それはまあ監禁と言いますか、意識を失った状態を続けさせるためです。その方が扱いが容易だからというのもあります。麻酔は林さんがして、私も側にいて様子を見たり、人が来たら対応したりしていました」

 

その後?

「午前4時から5時くらいに村井さんが来ました。第2サティアン入口にやってきて私を呼んで「ニューナルコをして帰せないか?」と聞きました」

 

ニューナルコ?

「教団がやっていた、頭に電極を付けて電気ショックを与えて記憶を消すものです」

 

何と答えた?

「注射や薬物の跡が残るでしょう、と。村井さんは瞑想室に行き林郁夫さんにも「ニューナルコをして帰せないか?」と聞きました。林さんは「必ずしも記憶は消えないし、頭に焦げ跡がつく。オウムに拉致されたことを覚えているんじゃないか?」と言いました」

 

村井は何と?

「帰せないかあ~。塩化カリウムでも打つか?と言うので、そんなことを言われるとは思わなくて私も林さんもギョッとした顔になりました」

 

塩化カリウムを打つと?

「極めて早い時間に死んでしまいます」

 

他には村井は何と。

「私の服を見て「それ連れてきたときに着てた服?すぐ燃やした方がいい」と言って村井さんは立ち去りました」

 

その後?

「何らかの話が来ると思ったので、林郁夫さんと仮谷さんの麻酔状態を維持したままで待機していました。すると林さんが「もう帰りたいんですけど」と言い出した。「用事でもあるんですか?」と聞くと「ええ、ちょっと…」と目をそらしながら答えた。私は林さんの帰りたいという気持ちも分かったので、「服を処分しなくてはいけないので、その間だけ待ってください」とお願いしました」

 

広間にはH田さんがいたはずですが、彼ではダメだった?

「平田君では上九のことは分からないので私か郁夫さんのどちらかがいる必要がありました」

 

そして?

「高橋さん、平田さんに広間で下着だけの姿になってもらって、服を脱がせました。その服を持って富士山総本部道場まで燃やしに行きました」

 

どれくらいの時間がかかった?

「記憶がはっきりしないが、午前9時くらいまでには戻ってくるつもりでした。先に燃やしたのか、二人に着替えを渡したのかはっきりしないが、二人には服を渡し、富士山総本部の焼却炉で服を燃やしました」

 

服を脱がせる前、高橋さんはどこに?

「車の中にいたはずです。車庫の中のマークⅡです。第二サティアンの広間に呼び入れ「服を脱いでくれ」と。裸に近い状態で震えていたのを覚えています」

 

焼却から帰って?

「林郁夫さんに「もう帰って下さい」と言って帰ってもらいました。午前9時頃です」

 

ここからは仮谷さんの管理は証人が行った。

「医療ではないので管理という言葉は使えないと思っていますが、まあ、対応をしました」

 

その時の仮谷さんの様子は?

「眠ってらっしゃる状態です。誘眠状態。脈拍、目の瞳孔の様子、呼吸の状態、血圧を見ました」

 

林郁夫さんから仮谷さんの対応方法について話しましたか?

「麻酔薬の点滴が何滴落ちたらどれだけ麻酔薬(チオペンタール)が入る、という話は聞きました。具体的な滴数は覚えていませんが、滴数を超えないようにして、減らしたり、戻したりしていました。点滴の操作をしていました」

 

<その時の麻酔の接続状況を白紙に描く証人。ブドウ糖の点滴パックと麻酔薬入りの小さめの点滴パックをチューブで繋ぎ、三方活栓で切り替えていたという>

 

その後?

「午前10時ごろ、村井さんが来ました。「やっぱりポア。Iに首を締めさせて功徳を積ませること。これからヴァジラヤーナでIを使うから」と言いました。第二サティアンの入り口で話しました」

 

その場にいたのは?

「H田君は広間で寝ていました。高橋さんはガレージのマークⅡの中で寝ていたはずです」

 

やっぱりポア、とはどういう意味だと?

「自分(村井)の言った通り殺害することになったよということだろうと思いました。麻原と村井で何らかの意思の疎通があってこうなったんだろうと」

 

あなたは何と?

「「それ、I君に私が言うんですか?」と。村井さんは「あんたらでやって。私は今もうここにいるのもまずいと思う」と。あと地下の焼却炉で遺体は焼くからという主旨のこと、終わったら教えてくれと。そう言って出ていきました」

 

その話を誰かにしましたか?

「平田君にしました。あと井上君には電話で話しました。高橋さんにもおそらくしたはずです。平田君には「I君に首を締めさせることになった」と。井上君には電話だったのでそのままは言わなかった」

 

井上さんと電話でどんな会話を?

「私が「I君は今どこにいる?」と聞いて、都内にいることは確認できた。「I君を連れてこっちに来てください」と。それ以上のことは言わなかった」

 

電話はどこからした?

「第二サティアンの別の入り口の近くにある法皇官房事務室からかけました」

<見取り図で示す。瞑想室から事務室までは外の車庫の前を通って行く。1分くらいで行かれることを確認>

 

電話している時、仮谷さんは?

「誰もついていない状態です。離れるとき点滴の設定をいじって麻酔をオフにしました。三方活栓で麻酔が入らないようにし、ブドウ糖の方の点滴も落ちる速度をゆっくりにしました。安定している状態を確認しました」

 

離れてから戻るまで何分くらい?

「15分くらいです」

 

戻った時、瞑想室には誰が?

「仮谷さんだけです。平田君は起きていたかは分からないですが広間にいました」

 

そして?

「仮谷さんの呼吸が止まっているのに気がつきました。近寄って瞳孔を見たり、脈拍を確認したりしました。瞳孔は開いており、脈は止まっていました。亡くなったと判断しました」

 

何時くらいのこと?

「3月1日の午前11時くらいです」

 

死の原因をどう考えますか?

「一番可能性が高いのは、舌根沈下だと思いました。麻酔の作用で舌の筋肉が喉の奥に入り、詰まって息ができなくなったと思いました」

 

麻酔の作用で、とは?

「麻酔には身体が脱力してしまう作用があります。それがベロに及んで力がなくなり喉の奥に入る、そういうことです」

 

証人は昭和63年、1988年に医師免許を取得していますね。専門は?

「消化器内科です」

 

麻酔の臨床経験は?

「卒業後、麻酔科のローテートで3カ月くらいです。教団でのチオペンタール使用の経験はかなりありました。おそらく100回以上。200回近くあったのではと思います」

 

2月28日の午後に仮谷さんを引き入れて、3月1日の午前11時に亡くなるまでの麻酔の投与量についてお聞きします。最初に投与したのはケタラール。量はどれくらい?

「175mg~200mg位の量かと思います」

 

ケタラールを使うときに注意していたことは?

「一見してお年を召されていたので通常250mg位と思うんですが減らして175~200mg程度の投与にしました」

 

投与後に注意していたことは?

「やはり呼吸には注意していました。突然止まったりしないように」

 

その後、ケタラールを使用する場面はありましたか?

「いえ、1回だけです。その後はチオペンタールです」

 

チオペンタールの投与は何時くらいから?

「2月28日の午後5時くらいからです」

 

管注という方法で。

「はい」

 

使用時に気を付けていたことは?

「麻酔が深くなり過ぎないようにと。副作用が起こりやすくなるので。」

 

副作用とは?

「舌根沈下、または胃の内容物が器官に入ってしまう誤飲などです」

 

デリカでの移送から上九の第2サティアンに到着するまでのトータルの投与量は?

「2~2.5gの間だと思います。細かい値は今となっては思い出せませんが」

 

チオペンタール溶液の濃度は?

「2.5%です」

 

それはどういう数値ですか?

「もともと製薬会社が決めた濃度です。溶解液にチオペンタールを溶かしたらその濃度になります」

 

投与量としてはどう?

「やはり多かったと思っています」

 

製薬会社の推奨する本来の投与量はどれくらいだと考えていましたか?

「そもそも長期間にわたる投与に向いていない麻酔だったとは当時から分かっていました。限度量として1gと書いてありましたが、それもおそらく分かっていたと思います」

 

問題だとは思わなかった?

「教団の中で頻回にチオペンタールを使っていて、大丈夫だろう、と油断していたというのが正直なところです」

 

第2サティアン到着後は林郁夫さんが麻酔の管理をしていましたね。投与にはかかわっていない?

「そうですね、はい」

 

その後ナルコのために麻酔を切った。

「はい」

 

その前の仮谷さんの状態は麻酔薬との関係で言うとどうでしたか?

「まだ麻酔の影響が残っている状態でした。見た目はとにかく寝てらっしゃる。声をかければしゃべるけども、目を開ける、体を起こすとかはまったくない状態です。しゃべっても表情が変わらない状態で、本来はナルコの時は表情は変わるはずなのですが、口をかすかに動かしてやっと声がでる状態でした」

 

午前9時ごろ林さんから麻酔管理を引き継いで、その後の投与量は?

「今となっては分からないんですけども、点滴のボトルの量からして1g位は入れていたんじゃないかなと思います」

 

その量についてどう思う?

「全体の中では多かったと思います。これだけ長時間の麻酔をチオペンタールでやること自体が問題だったと思っております」

 

引き継いだ後はどんなことに気を付けて対応していた?

「呼吸、脈拍、目の状態、血圧をチェックしながらやっていました。あといびきをかいていないか、呼吸が浅くなっていないか」

 

なぜチェックしていた?

「ようするに副作用を防ぐためということになります」

 

いびきというのは?

「いびきをかいているのは喉の筋肉がゆるんでいるということなので、舌根沈下が起こりやすくなる。私が見ている限りはそれはなかったです」

 

部屋を離れるときの仮谷さんの様子は?

「麻酔が効いていて意識のない状態でした」

 

本来医者としてはどうするべきだった?

「横についていなければなりません」

 

安定していても?

「その通りです」

 

なぜ?

「ひとつは、麻酔をしていれば副作用は必ず起こると考えて。二つは、長時間なので副作用が出やすくなっていたということで横にいなければならなかったと思います」

 

当時それを分かっていた?

「知識としてはあったと思うけど、大丈夫だろうと思って離れてしまったというのが偽らざるところです。教団内ではチオペンタールを安易に使い、なんとかうまくやっていたので、大量に使っても問題なかったので、大丈夫だろうと誤った使い方に慣れていたということです」

 

教団内でのチオペンタールの投与による事故例は。

「1例だけありました。94年12月、Kさんがチオペンタール点滴中に亡くなっています」

 

仮谷さんに舌根沈下が起こりうる可能性はどう考えていたか。

「当然ありうると思っていました」

 

対処はしていた?

「その対応はそばにいることなんですが……。あとは気管に挿管して喉にチューブを入れてしまえば呼吸が止まることは防げます」

 

故意にわざと殺したということは?

「ありません」

 

何か積極的な行動をとったことは?

「それもありません」

 

死亡原因について井上さんに何か伝えたことは?

「はい、あります。「I君に首を締めさせろという指示だったんだけど、その前に亡くなってしまった」と言ったのではないかと思いま。原因まで詳しくは言ってないんですけども、殺したという言い方はしていません。私の意向とは違う方向で亡くなってしまったと」

 

何か別の薬剤を点滴したということは?

「ありません」

 

そのような話をしたことは?

「ないです」

 

気管挿管以外に舌根沈下を予防できるような器具はない?

「エアウェイという器具もあります。口に入れて気道を保ち、ノドの形を一定に保つという器具です」

 

仮谷さんに使いましたか?

「林郁夫さんがいる時にはめかけたんですが、形が合わずにやめたことがありました。ただ、エアウェイがあってもなくてもあまり変わらない。一番大きな理由は私がその場を離れたということに尽きます」

 

亡くなられたのを確認した後、そのことを誰かに伝えた?

「H田君、あと高橋さんにも伝えました」

 

高橋さんにはどこで?

「ガレージまで行ってマークⅡの中で伝えました。詳しい言葉は覚えていません。主旨としては、I君に首を締めさせるということはすでに言ってあって、仮谷さんが亡くなってしまったのでそれができない、しかしI君には言わないで首を締めさせよう、と言いました」

 

その時の高橋さんの様子は?

「あまり覚えていない。寝起きのような感じであまり反応がなかったです。高橋さんには第2サティアンの中に入ってもらいました」

 

その後?

「井上君とI君の到着を待ちました。首を絞めるための準備をちょっとしたかな?と思いますが、広間に座って待機していました。

井上君と中村君が午後1時過ぎに第2サティアンに入ってきました。井上君が「I君を連れてきた。車で待たせてる」と。私は「マンジュシュリー正大師の話でI君に首を締めさせるという話だったんだけど、仮谷さんが亡くなってしまった。I君には黙って首を締めさせようと思う」と話しました」

 

その場にはだれがいた?

「高橋さんとH田君はいたはずです」

 

亡くなった原因は話した?

「麻酔薬の副作用で、と言ったかも分からないですが、今は分からないです。井上君、中村君は承諾しました。I君には亡くなっていることは言わずに、ただ首を絞めるようにと話しました」

 

誰が話した?

「最初は私、次に井上君、中村君が話しました」

 

Iさんは?

「承諾してくれました。そこにいた全員で瞑想室①に入り、I君が首を締めました。H田君はその時仮谷さんの顔を布で覆っていました」

 

首は何で締めた?

「仮谷さんのベルトでした」

 

どれくらいの時間締めていた?

「3分は締めていなかったと思います。私が「もういいよ」と言って終わりました」

 

その後?

「村井さんに終わったと連絡をしました。地下一階にある焼却炉の準備を始めて、広間で待機していたはずです。準備ができたら仮谷さんのご遺体を私、井上君、中村君、高橋さん、I君の5人で地下に運びました。焼却炉に入れ、焼却を開始しました」

 

何時ごろですか?

「午後2時半くらいです」

 

そして?

「焼却を開始してから、井上君と中村君が「通常の仕事に戻りたい」と言いました。誰が焼却をするのか麻原に聞きに行きました」

 

麻原は何と?

「「お前たちでやるしかないんじゃないか」と怒っていました。3人でやるんだろうと思ったら井上君は用事があると言って帰ったので、私と中村君とI君と高橋さんの4人でやりました」

 

具体的には何を?

「焼却炉を時々見に行く。少し離れたところで煙の様子を見ている」

 

その時の高橋さんのことで何か覚えている?

「高橋さんは「確かに尊師がやれと言ったからやってるんだろうけど、こういうやり方をすることが果たして尊師の意思にかなっているんだろうかなあ」と言っていました。私も賛成だったのですが、でも批判的なことも言えないので「そうだね」程度のことを返したのではと思います」

 

焼却はいつごろ終わりましたか?

「3月4日の昼12時ごろです。村井さんが「硝酸で溶かすように」と言うので、遺体と遺灰をバケツに入れて硝酸で溶かしました。いたのは私、井上君、中村君です。高橋さんは第二サティアンの1階で休んでいたんじゃないかなと思います」

 

遺灰はどのような状態になりましたか。

「黒に近い灰色のペースト状でバケツ2杯分くらいになりました。荷物の償却はワゴン車で富士山総本部道場までもっていって焼却し、遺灰は私一人で本栖湖へ流しました」

 

仮谷さんの亡くなった原因について林郁夫さんに話しましたか。

「3月1日の夕方、第2サティアンの前の路上で話しました。「I君に首を絞めさせろという話だったんですが、その前に亡くなってしまいました。舌根沈下が原因だと思います」と。林さんは「それでいいんじゃないですか?」と言いました」

 

仮谷さん事件について証人が今思うことは。

「誠に申し訳ございません、……ただそれだけです。本当に申し訳ございませんでした」

 

<質問者交替>

 

3月1日の午前4~5時ごろ、村井さんが「塩化カリウムを打つか」と言ったと。それは林郁夫さんも聞いていましたか?

「はい」

 

林さんが帰りたいと言い出した時、その気持ちも分かったのでと証言されていましたが、どういう気持ちだと?

「塩化カリウムということは殺害するということで、林郁夫さんにしてみればいきなりナルコしてくれと言われてそれが殺すという話まで出てしまうと、そりゃ帰りたくなるだろうなと…」

 

3月1日の午後、井上さん中村さんと仮谷さんが亡くなったという話をしたと。その場所はどこですか?

「広間です。建物の中です」

 

北東側の入口付近とか、出入り口のあたりじゃないですか?

「いや、中に入ってきて、広間の中で中村君と井上君には座って話をしました」

 

その時周りには誰かいましたか?

「H田君、高橋さんがすでに入っていたはずです」

 

話の輪の中にH田君と高橋さんがいたかどうか分かりますか?

「輪の中……、ちょっと分かりません」

 

中村さんはずっといた?

「はい」

 

副作用で、とも説明したのかもと。

「はい。言っていないかもしれません」

 

午前4~5時の村井さんの話はしましたか?

「してないです」

 

それは明確な記憶ですか?

「はい」

 

井上さんにこの場面以外に仮谷さんの死因について話したことは?

「麻酔の副作用でということもこの場面で話していないかもしれないんですが、この場面以外では記憶にないです」

 

<検察側主尋問 終了>

<弁護側反対尋問>

 

高橋被告がいた場面についての確認です。平成7年2月27日夕方、目黒駅近くでのマスターエース内でのI田E子、中村昇との話し合いの時、2列目のシートを反転させたと。ひざを突き合わせて話し合う状態ですか?

「そうです。向かい合って座っています」

 

高橋さんは運転席?

「そうです」

 

会話に参加することは?

「何か言葉を話された記憶はありません」

 

そのあと公証役場に行ったと。座席はそのままですか?

「覚えていません。I田さん中村さんがワゴン車に乗ったままだったか、彼らは乗り移っていたのか記憶がありません」

 

公証役場付近で3人は降りたと。

「はい」

 

高橋さんは運転席に座ったまま?

「降りたという記憶はありません」

 

戻ってから高橋さんに公証役場でのことは説明した?

「私がした記憶はありません」

 

I田さんは?

「していません」

 

中村さんは?

「それはありません」

 

青山まで中村さんを送る車を運転したのは高橋さん。

「はい」

 

その車中で、何か発言はあった?

「私の記憶にはありません」

 

27日の深夜から未明にかけてのこと。会議があったと。場所は?

「第2サティアンの3階の第2瞑想室です」

 

どんな人が参加?

「支部活動をしているメンバーと、太陽寂静同盟の人。太陽寂静同盟と呼ばれていたプランがあり、オウムということを隠して会社を作って、一般の人を集めて信者にしようという計画でした」

 

30人くらい来ていたという参加者のステージは?

「ピンからキリまで。麻原、村井、早川、新実、I田、I川さんなどから、出家したばかりのサマナまでいました」

 

高橋さんは?

「参加していません」

 

会場に行く車を運転していたのは高橋さん?

「高橋さんという記憶はありません」

 

その後、尊師との話し合いをしたと。そのメンバーは?

「村井さん、中村昇さん、I田E子さん、私です」

 

高橋さんは?

「いません」

 

拉致計画の話し合い。

「そうです」

 

その拉致計画の話し合いの中で、高橋さんの名前は出た?

「名前としては出ていません」

 

その後、朝、今川の家に行ったと。こたつの部屋で話をした?

「こたつの部屋で中川さん、中村さん、私で検討、話合いをしました」

 

地図を広げて話し合いしたと?

「地図はあったと思います。I田さんと会った時にI田さんから仮谷さんの自宅と公証役場付近地図を受け取った印象です」

 

高橋さんはその部屋に入ってきた?

「記憶にはありません」

 

目黒通りに車を二台停めていた時のこと。ワゴン車の中で実行の段取りを話し合ったと。その時発言した人は?

「私、中村さん、中川さんだと思います」

 

高橋さんの発言は?

「記憶にありません」

 

高橋さんに意見を求めたことは?

「中村さんが高橋さんの名前を出したことはありましたが、意見を求めるというほどではありませんでした」

 

段取り、役割確認の作業はどのようにした?

「私が一人一人に対して発言して、確認していきました」

 

具体的にその記憶残ってますか?

「残っています」

 

中川さんの役割を確認した?

「しました。…あ、正確に言います。中川さんは何をするかというのは中川さんは知っているわけです。だから中川さんが何をするのかを他のメンバーが知る必要があるということで、中川さんはこう…という感じで一連の拉致の流れを確認していきました」

 

他のメンバーに向けて確認した?

「各自のメンバーに言いながら説明しましたが、中川さんに向かって説明しているけど他の周りの人に分かってもらわなくては困るという意識で説明しているんです」

 

説明なんてしていないんじゃないですか?

「しているんです」

 

28日の尊師の部屋、今川でも話してますよね。現場で確認する必要ありました?

「ありました」

 

平成7年7月ごろ仮谷さん事件の発端から結末までの出来事を書いて警察に出していますよね。

「正確にはそういうニュアンスではなかった。仮谷さんが亡くなったということをきっちり書いてほしいと、一連の流れをメモ書きにして渡した記憶があります」

 

16ページくらいの縦書きの上申書を書いてますよね。

<平成7年7月3日付の上申書を示す>

「指印はありませんよね。上申書という形ではないので指印はしていないんです」

 

あなたの字ですね?

「私の字です。ですが上申書という題もありません」

 

6ページ目。中川さんが注射をする役割であるということは書いてありますか?確認してください。

「当時は部下をかばっていました。その主旨のことはこのメモには書かれていません」

 

ナルコについて。教団でナルコをやっていたのは主に林郁夫さん?

「時期によって違うんです」

 

平成7年当時はどうですか?

「林郁夫さんが中心リーダーであったことは間違いありません」

 

ナルコをかけられるのは出家信者のみ?信者以外にナルコを実施したのを見たことはありますか?

「ありました。先程の主尋問での説明にあった、元信者の男性の件です」

 

信者や元信者以外では?

「うーん…記憶にかすりません」

 

教義に対する理解とか、麻原に対する帰依の程度をチェックするためにナルコをするんですよね?

「それがバルドーのイニシエーションの時はそのような修行方面で使われていましたが、ナルコというのは私の立場ではよく聞くことでした」

 

出家信者がスパイと疑われた時にはナルコをする?

「平成6年秋、麻原は全サマナ1200人全員にバルドーのイニシエーションの名のもとにスパイチェックをしました。松本サリン事件が教団の犯行だとマスコミに流れたとの疑いでスパイチェックをした。半分はスパイチェックそのもの。半分は教義のこと。私自身も部下全員に対して実施しました」

 

ナルコにより亡くなった人は?

「いません」

 

発端となった麻原の部屋での会話について。会話内容を具体的に教えて下さい。

「(※要約してます)

麻原「ウパーリ、どう思うか」

中村「拉致するしかないんじゃないでしょうか」

麻原「お前とIがやれ」

中村「ボディガード役がついているんですがどうしましょう」

麻原と村井、話し合い

I田「私はどうしましょうか」

麻原「お前は向いてない。もう何も考えなくていい」

麻原「ウマ(?)がある」

麻原か村井が平田信の名前を出す

麻原「じゃ、中村これでいいな」

中村「誰に手伝ってもらったらいいんでしょうか」

麻原「CHSの連中に手伝ってもらえばいい。なあ井上」

私、中村「医者はどうしましょうか」

麻原「中川でいいだろう」」

 

ナルコという言葉はその時出てきていませんね?

「そうです」

 

仮谷さんを連れてきた後どうやって居場所を聞き出すかだれも言わなかった?

「言葉としてはありませんでした」

 

あなたはCHS長官として麻原から「手伝ってやれ」と言われたと。

「はい」

 

あなたの任務は仮谷さんを拉致して上九に連れてくるところまでと理解した?

「それは正確ではありません。この段階ではそうです。ですがN科さんを探し出すという全体の流れがある。殺されている、監禁されているか分からない。上九についた段階で麻原からの指示があるだろうと思っていました。あるいはA山弁護士が合法的に動くかもしれませんし」

 

<手書きの書類が示される>

『なお中川氏には仮谷さんを拉致したら注射をする話を3人の時打ち合わせしましたが、その後のことは一切話し合っていません。私としては拉致を手伝うことであってそれ以上のことは関与しない…(?)』

 

3月1日の午前3時ごろ、第2サティアンで林郁夫さんに会ったと。

「そうです」

 

この時初めてナルコに気がついた?

「それはまったく違います」

 

なぜ一般人にナルコをするのかという違和感はあった?

「違和感というと、なぜ林さんが私に文句を言うんだろうという違和感はありましたが、ナルコへの違和感はありません」

 

平成7年9月4日付の調書で、あなたは検察官に対し、『林医師がそのように質問されたので私は初めて仮谷さんがナルコをされていると理解しました。ナルコはオウムの教義を知っているか、教義を○○している人にやるものだと思っていました。一般人にやることを知らなかったので…』と話している。検察官に役割について念押しをされた場面を覚えている?

「具体的に示してくれれば思い出せると思います」

 

自分は上九に連れていくまでが役割で、その先は…と力説している場面がある。

<平成7年○月○日付調書。検事との問答を示す>

問「君は平成7年2月28日未明に尊師瞑想室でN科さんの居場所を聞き出すため拉致することの指示を受けた時点で、上九でナルコをして聞き出すことを知っていたか予想していた?」

答「あくまで中村、Iが上九に連れていく行為の段取りだと思っていた。…(聞き取れず)」

 

間違いないですね?

「言葉としてはそうです」

 

3月1日午前3時ごろ、第2サティアン1階で高橋被告の姿を見た?

「視覚的な記憶としては、瞑想室のソファで寝ていた記憶があります」

 

そのような場面は見てないんじゃないですか?

「記憶では、奥の部屋で寝ていた記憶です」

 

そのことを検事に語った?

「どこかの法廷で尋ねられてこのように答えた記憶があります」

 

<平成7年9月4日付調書を示す>

『第2サティアン入口を入ると台所になっている。そこには高橋克也さんとH田さんはいませんでした』

 

…とありますね。

「そうです。台所にはいません。私が言っているのは瞑想室です」

 

ここに、高橋さんが寝ているのを見たという記述があるかないか?確認してください。

「奥の部屋で寝ていたという記述はありません」

 

平成7年3月1日午後2時過ぎに第2サティアンで中川さんに会ったと。

「そうです」

 

仮谷さんが亡くなった時の様子について説明を受けたと。

「そうです」

 

その場所はどこ?

「台所のドア付近というくらいの、おぼろげな記憶です」

 

その時中村さんはいた?

「中川さんが事情を打ち明ける前までです」

 

打ち明けた時は?

「ハッキリしません」

 

<第2サティアンの見取り図が示される>

 

中川さんがいた位置をタッチペンで書いてください。

(入り口付近のゾーンを囲む)

 

その時の中川さんの会話は?

「仮谷さんが亡くなった。村井からの指示でIさんに仮谷さんをポアさせることになっていた。でももう…(書き取れず)、取り計らってくれ」

 

それで中川さんになにか言っていないことがあると直感した?

「そうです。沈黙しました。覚えているのは「Iさんに…」の言い方が妙に冷たいというか、突き放すような不自然さを感じたということで、誰かポアしたんだなと」

 

その後中川さんは具体的に何と?

「どうせポアされるのだから、この際ポアできるという薬物の効果を確かめようと思った。滅多にできることではないから。指示はIによるポアだから…光りだされたので…(書き取れず)」

 

その時中川さんは薬品名を言った?

「記憶に残っていません」

 

言ったような印象がある?

「ポアできると言われている薬、薬品、というニュアンスだったと思います」

 

「麻原には言わんといてくれ」と?

「指示はIさんによるポア。指示の前に亡くなってしまっている。見せかけることになるので言わんといてくれという意味かな?と理解しました」

 

この話を教団の誰かにした?

「記憶にありません」

 

第三者に初めて話したのは?

「当時の弁護人です」

 

何と言った?

「一言一句は覚えておりません」

 

話した時期は?

「少なくとも仮谷さん事件で逮捕される前、平成7年7月~8月ごろです」

 

弁護士からのアドバイスは?

「直接見たわけじゃないんだから本当のことは分からない。共謀と誤解されてしまうかもしれない。自分の言動が罪に問われることになる。他人のことはとやかく言うな。と」

 

K弁護士には秘匿特権があって、(会話内容を)第三者に明かさないと要求する権利がある。その権利を放棄してKさんが証言してもいいですか?

「それはK先生にお任せします」

 

権利を放棄しない?

「K先生にお任せします」

 

<弁護側反対尋問 終了>

 

<検察側 最終尋問>

 

いま弁護側の尋問で過去の供述調書の記載を確認されていましたが、そもそも証人が最初に逮捕されたのは平成7年5月のことですね。

「はい」

 

当初証人は取り調べにどういったスタンスで臨んだ?

「まず教団から黙秘しろと指示があった。その後担当の刑事さんから被害者の方の調書を読み聞かせられ、本当に自分たちのやったことが救済だったのかと揺れましたが、それでも麻原のことは話せませんでした」

 

その後は?

「その後、私自身の役割がマスコミや刑事さんに相当大きく取り上げられ、私がやったのはこれとこれと、自己弁解的に話をはじめました」

 

それはいつ頃?

「逮捕されて10日程すぎてからです」

 

その後?

「徐々に麻原の呪縛が解けていく過程で、徐々に話していけるようになりましたが、ありのままではありませんでした。仮谷さん事件の逮捕時もそうでした。

その後、平成7年10月に変化がありました。勾留理由開示裁判で、CHSの部下、逃亡している信者に出頭を呼びかけた。そこから急速に麻原から離れたが、脱会しようとすると心身が……(聞き取れず)、夢でうなされ、病院に運ばれることもありました」

 

いつ頃から話せるように?

「脱会した12月下旬までにはありのまま話すようになりました。

弁護方針で話さなかったこともあるし、逃亡している共犯者については最低限しか供述していませんでした」

 

平成7年7月3日の上申書を書いた時のことは?

「担当の刑事さんが仮谷さんが亡くなった事実を書いてほしいと言うので、結論だけ書こうとした。そうしたら流れだけでもいいからメモしてと言うのでざっとメモした。まだH田さん、平田信さん、高橋克也さんが逮捕されていなかった。彼らのことをかばったということです」

 

拉致を手伝うのが目的であって…云々の供述について。

「弁護人の先生に話し始めた時期。事件に臨むスタイルとして、「拉致を手伝う」と、そこに限定して供述するスタイルを指示されました。それ以外は私は逃げたというか。法廷では話しています。一審の被告人質問ではナルコをする云々も話しています」

 

平成7年9月4日付調書も同様?

「そうです」

「私は中川さんから薬物の実験で亡くなったと知っていた。捜査官は知らないのでナルコのことで亡くなったと。自分は自己保全的にその部分については引いていた」

 

台所には高橋克也、H田はいなかった、という調書の確認のところで言いかけたことは?

「そこにはいませんでした、と言っている。弁護人に「そこには」を省かれた。瞑想室にいたことも書いていない」

「高橋さん、H田さんの居場所、そのことを捜査官から聞かれていない。聞かれたことは自分の言動でした。」

 

今の記憶では?

「今は、ソファで二人が寝ている視覚的記憶があります。どこかの法廷で聞かれて証言した覚えがあります。一審判決が出る前の法廷だったと記憶しています」

 

ソファのある場所を第2サティアン(違う?)と勘違いしているってことはない?

「ないです」

 

証人が、仮谷さんを拉致した後どうやってN科さんの居場所を聞き出すのかについて、最初に考えたのはいつ?

「上九に行けば麻原が指示をする、と思ったと明確に記憶しています」

 

「ナルコについては当たり前の感覚だったんです。本音を聞き出すイコールナルコというのは当たり前だったので、いつの時点で意識したというのは記憶にありません。オウムの教団以外の人にやるのは抵抗があったというのは、逮捕当時に言い訳がましく言ったと思い出しました」

 

元信者へのナルコについてCHSで話題にした?

「H田さんと高橋克也さんには伝えています」

 

いつ?

「平成6年の9月、あ、8月の終わりだったかな?おそらく9月です」

 

<質問者交代>

仮谷実さんへの手紙について。出したのは証人に死刑確定判決が出たあとで、中川さんに判決が出る前とのこと。内容は弁護人に相談して出した?

「K先生に確認して出しました」

 

平成26年2月3日、平田信の公判でも今日と同じ話をしていますね。

「はい」

 

証言についてはK弁護士と相談した?

「していません」

 

<検察側最終尋問 終了>

 

<弁護側 追加質問>

 

平成7年7月3日の16枚の上申書について。当時逮捕されていない人をかばっていた?

「かばっていました」

 

関わりを隠していた?

「そのようにはお答えしていません。質問の意味が分かりません」

 

あなたのこの調書の中には高橋克也さんもH田さんもM本さんも出てきている。逮捕されていない人のことも書いていますよね。

「部分的には書いているはずです」

 

平成7年9月4日付調書の「台所にはいませんでした」との記載。そもそもあなたはこの時H田さんと高橋克也さんに用事があって第2サティアンに入ったのでは?

「記憶にありません」

 

調書の2ページ目。『私としてはそこで中村昇さんと別れてもよかったのですが、ラーダ師、スマンガラ師に用事があったのでM本をマスターエースに残して中に入りました』と。で、「入ったら2人がいなかった」と、そういう記述?

「それは先生の読み取り方で…(書き取れず)」

 

<追加質問 終了>

 

<裁判所からの質問>

 

▽裁判員⑤

仮谷さんのご遺体にIさんが首を絞めた時、既に亡くなっていることを知っていたのはどなたですか?

「間違いなく知っているのは私、中川さん、中村昇さんです」

 

高橋さんは?

「それは推測になってしまいます」

 

▽裁判官 左陪審

拉致前のワゴン車内で役割確認をしたと。その時H田さんはいた?

「ワゴン車かギャランかのどちらかにいました」

 

全員が集まっている場面で一人一人に役割を説明したんですよね?

「話をした記憶がありますが、場所は覚えていません」

 

すみやかに拉致をするには全員に説明しておく必要があるとのことでしたが?

「ギャランには平田信さんが乗っている。少なくともH田さんには説明した記憶です」

 

中川さんが薬物を投与したと。教祖に言わないで。あなたは麻原に対してそれを言わなかった?

「はい」

 

どうしてですか?気持ちを覚えていたら。

「中川さんから聞いた時、中川さんに「すまないな」という思いでした。仮谷さんが亡くなっていなければ自分たちがポアしていたはずだった。一人で死の責任を引き受けたと思ってすまないなと」

 

▽裁判官 右陪審

デリカでの話し合いの場面。平田信さんとH田さんはその場にいたかどうかわからないということ?

「H田さんについては、Iさんや克也さんやみんながいた時にいたかは断言できない記憶です。ワゴン車にはいた記憶がある。指示をしたのは場面として記憶があるけど、ズレがある。時間的な」

 

口頭で役割を確認したと。他の人にも知って欲しいからと。その話と平田信さん、H田さんの話の関係はどうなるんでしょう?

「私の中では成立しておりまして、最初に役割分担の話をした時には平田信さんとH田さんがいたかの記憶はないですが、その後二人はギャランかデリカのどちらかにいた。デリカにはH田さんが乗っている。押し込むから。引き込んでくれ、中川さんが注射するからと言った記憶があります。平田信さんは最初からギャランに乗っていた記憶です。間違いなく彼には個別に説明している」

 

ギャランとデリカが2台で待機している時間、ギャランの後部座席には誰がいた?

「左から、中村昇さん、Iさん、高橋克也さん」

 

高橋さんも発言していた?

「イメージ的にはそうですが、言葉としては覚えていません」

 

中村さんが「仮谷さんかもしれない」と言った時、高橋さんは発言した?

「発言した記憶はありません」

 

証人はこの時ギャランの車内にいた。

「そうです」

 

3月上旬に高橋さんが「父と重なる」と話したと。その時の状況は?

「3月5日に私が札幌から帰ってきた。高橋さんが空港に迎えに来てくれた、その車内です」

 

どんな言い方だった?

「まああの、少し思いつめているような。なんで仮谷さんが亡くなってしまったんだ、と」

 

あなたに亡くなった理由を聞いている、という認識?

「感覚的には仮谷さんは何もしていない、教団の誤解だった、なのに亡くなってしまったと。なんでこんなことになってしまったんだ、という感じでした」

 

▽裁判長

芦花公園でのこと。マークⅡへの乗せ替えを証人は見ていた?

「その場にはいましたが、目撃者がいないか周りを見渡していました。どのように移し替えたのかは見ていません」

 

仮谷さんはぐったりしていた、と。

「はい。ずっと見ていたわけではないので、チラッと仮谷さんを見た記憶が残っているということです」

 

あなたの見方、考え方で伺いますが、N科さんを出家させるのは難しい、という理由は?

「私自身もおばあちゃんを出家させたことは一度もなかったからです。サマナ生活に耐えきれないからだろうと思います」

 

<閉廷>

2015年2月2日(月) 高橋克也 第11回公判(仮谷事件) 

証人 井上嘉浩

 

<検察側 主尋問>

 

あなたは平成7年2月28日に起きた仮谷さん事件に関与しましたね。

「はい」

 

事件に関与したいきさつは。

「平成7年2月26日の夜、東信徒庁長官のI田E子さんから電話がありました。「出家するはずだったN科さんが急にいなくなった。探すから手伝ってくれないか」と言われ「今行けません」と断りました。CHSの部下であるH田、M本を貸してくれないかというので、とりあえず行くことについては了解し、平田、M本はI田のところへ行ったはずです」

 

証人から行くように話した?

「はい」

 

N科さんのことを知っていた?

「東信徒庁の熱心な信徒で、I田さんが担当していると。私自身は面識はありませんでした」

 

翌2月27日は何をしていた?

「昼間、高橋克也さんと一緒にCHSの在家信徒とファミレスで会って信徒対応をしていました」

 

在家信徒とは?

「企業に勤める信徒さんです」

 

目的は。

「産業スパイ活動のためです」

 

まず何があった?

「I田さんと中村昇さんから交互に電話がかかってきました。「今目黒駅にいる。N科さんを探している。来てくれないか」という主旨でした。はじめは即答しませんでしたが、何度も電話がかかってくるので行くことは了解しました。夕方になって高橋さん運転のマスターエースで目黒駅に向かいました」

 

マスターエースはどんな車ですか?

「ワゴン車で、2列目がツーシートで3列目が3人掛けになっており、2列目が180度回転するようになっています。2列目と3列目が列車の椅子のように向かい合わせになるものです」

 

そして?

「目黒駅に着くと、I田さん、K原さん、中村昇さんがいました。I田さんと中村さんがマスターエースに入ってきました」

 

車内の位置関係は?

「運転席に高橋さん。2列目の助手席側に私。私はいつもここに座っていました。2列目の運転席側に一人、その後ろにもう一人座っていました」

 

座席はどうなっていた?

「向かい合って座れるようにセットしました」

 

そして?

「2人から話を聞かされました。N科さんは出家するはずだった。急に不自然な形でいなくなった。目黒公証役場の土地建物をお布施するはずだったがお兄さんのものだったので、もめていたらしい。日中にK原さんが公証役場へ行ったら兄と名乗る人が出てきて「N科はいない」と不自然な対応をされた。尾行したが銀行へ行ったり、喫茶店に入っても何も注文せず電話だけして出てきたりしていた。そのあとヤクザと思われるようなボディーガードのような人を連れて出てきたとのことでした。

N科さんは財産目当てで殺されているかもしれない。監禁されているかもしれない。拉致して聞き出した方がいいんじゃないか?と二人が言っていました」

 

証人が言ったのではない?

「それは違います。私が拉致を提案するような指示はしていない」

 

何故そう言える?

「おばあちゃんだったN科さんを出家させようとしたこと自体に無理がある。自分の意思で教団から離れたのではないか?と思った。お布施が何億という額になることから二人の焦りを感じました。彼らの状況判断には疑問を感じました」

 

そして?

「怪しいかもしれないけどもうちょっと様子を見た方がいい、と言いました。まずは部下に見張らせては?と」

 

その後中村昇とどんな会話をしたか。

「中村「もうあまり時間がないんじゃないか?おじいさんだし簡単にできるよ」

私「待った方がいい」

中村「侵入して手がかりがつかめないか?」

私「麻原の指示が出なくてはできない」

中村「まあ、ちょっと見ていってよ」

と言われ、公証役場の2階のN科さんの自宅を見に行くことになりました」

 

公証役場の2階を見に行っている時、高橋被告はどこにいた?

「ワゴン車の中で待っておられたという記憶です」

 

その後どうなった?

「目黒駅でI田さんと別れ、中村昇さんを青山道場まで送って別れました」

 

どの車で?

「マスターエースです」

 

運転は誰が?

「高橋克也さんです」

 

その後?

「1月27日の深夜、上九の第2サティアンの3階で信徒対応の会議に参加しました」

 

参加者はどれくらい?

「30名ほどです」

 

そこでどのようなことが?

「I田さんが中村昇さんを連れて麻原のそばにいました。I田さんが「N科さんの居場所が分かりません」とか、「目黒駅で…」とか、「中村さんと相談したんですが、N科さんの居場所を探すためにお兄さんを拉致することもある(?)」と話していた。

麻原は「お前がたるんでるからこんなことになるんだ。そんなに悪業を積んでいるならポアするしかないんじゃないか?」と言いました」

 

ポアするとは誰を?

「お兄さんのことだと思いました」

 

「その時、その場にいた新実さんが「シーッ」と合図を送ってきた。この場所にはポア=他者の命を奪うことと知らないサマナがいたが、麻原は目が不自由なのでなんとかしろ、という合図だと思いました。「そんなこといわれても」と思ったら、その時村井が麻原に何か耳打ちした。麻原は「この件はほかしておこうか」と言って、ポアという言葉をごまかすようにして部屋に戻っていきました」

 

その後?

「第2サティアン3階の麻原の部屋に行きました。その場には少なくとも村井さん、I田さん、中村昇さんはいました」

 

何を話した?

「麻原「中村、どう思うか?」

中村「拉致するしかないんじゃないでしょうか」

麻原「お前とIがやれ」と指示しました」

 

何をやれという意味だと?

「仮谷さんを上九に連行してN科さんの居場所を聞き出すという意味だと思いました」

 

Iさんというのは?

「名古屋支部にいた新人サマナで、武道ができるということで中村さんがひっぱってきました」

 

その後どんな会話?

「中村さんに「ボディーガード役がいますがそれについてはどうしますか?」と聞かれた。麻原は村井さんと相談し、当時教団で開発した小型レーザー銃があったので、平田信さんにレーザー銃を使った目くらましをさせることになりました。

麻原が「じゃあ中村これでいけるな?」と言い、中村さんが「手伝いはどうしますか?」と聞くと、麻原は「CHSの連中に手伝ってもらうしかないんじゃないか?なあ井上」と言いました」

 

手伝うとはどういうことだと思った?

「車の調達や現場でのサポートを私がやれという指示だと受け止めました」

 

その後?

「私と中村さんが「医師はどうしましょうか?中川さんに手伝ってもらってもいいでしょうか」と聞くと、麻原は「中川しかいないんじゃないか」と」

 

なぜ医師が必要だと?

「過去にもそういうことがありました。平成5年12月、中村昇さんが在家信徒のおばあさんにお布施をさせようと娘さんの協力で麻酔で眠らせて上九へ連れて行った。平成6年1月と3月には私自身も同じようなことをやりました。平成6年の12月にはI田E子さんが同じようなことをやり、CHSのメンバーが手伝った。教団の医師が同行して麻酔を打って医療管理をしながら上九に連れて行ったので、同じ流れだと思いました」

 

他には何か話をした?

「この場面ではこれくらいです」

 

N科さんの居場所を聞き出す方法については?

「具体的な言葉としては出てきていません」

 

証人自身はその方法についてはどう考えた?

「ナルコを使用するとは当時の状況として考えていた。平成5年の12月、東京本部長をしていた時、部下のサマナを2人使って中川さんが麻酔で眠らせて本音を聞き出すスパイチェックをした。省庁制発足後、ナルコ、バルドーのイニシエーションを体系づけて確立させた方法です」

 

ナルコとバルドーのイニシエーションの違いは?

「方法はまったく同じ。麻酔を打ち眠らせます。覚めるのを待って半覚醒状態の意識レベルにし、意識はないが会話ができる状態、これがナルコの状態。これでスパイチェックをする。これに修行のデータを入れたり(?)マインドコントロールをかけると、バルドーのイニシエーションと呼ぶ場合が多かったです」

 

証人はどうしてこの話合いの状況で、ナルコをすることになるだろうと思った?

「麻原が仮谷さんの拉致を指示したのは、N科さんを監禁しているかもしれないから。でも仮谷さんが自発的に話してくれる判断はなかった。教団ではそういうときにはナルコを使うからそう思いました」

 

下向したサマナに対してナルコを指示したこと?

「麻原の近くの女性サマナを探すために、関係のあった男性サマナを、下向していたけど私が説得して連れてきて、林郁夫さんがナルコをして聞き出したが知らないと分かった、ということがありました」

 

N科さんを探そうとしている理由について。

「一つには、武力革命の兵器開発で毎月2億円を使っていた。資金が必要だった。N科さんが出家すれば2億円以上が入ってくるのでそれを得たいと。もう一つは出家しようとしていたが居なくなってしまったので、何とか探さなくてはと」

 

その後?

「部屋を出たあと中村昇さんが平田信さんを呼び出し、指示をしました」

 

どのような?

「N科さんがいなくなった。お兄さんに監禁されているらしい。尾行したがボディーガードがいた。レーザー銃を使って目くらませ役をしてほしいと」

 

そして?

「レーザー銃はバッテリー充電が必要なので、終わり次第、東京に来て合流することになりました」

 

その後どうなりましたか。

「2月28日の朝、上九から東京へ向かいました。グリーンコーポでI田E子さんと会い、午前7時ごろ今川の家に戻りました」

 

誰と一緒でしたか?

「少なくとも中村昇さんは一緒でした」

 

今川に着いて何があった?

「しばらくすると中川さんが医療用のキャリーバッグを持って来ました。VXの時と同じものです。私と中村昇さんと中川さんでこたつの部屋で仮谷さんをどこで拉致するか相談しました」

 

どのような話?

「仮谷さんの自宅は亀戸道場に近いので、平田信さんがすぐ合流できるのなら自宅前で拉致するのがいいんじゃないか?と。でもすぐ来ないとしたら、昼から夕方になうようなら公証役場の方でやる方がいいんじゃないかと」

 

なぜ亀戸では難しい?

「住民の反対運動があり、自分達の姿を見られている。長時間待機しなくてはいけないとすると難しいだろうと」

 

他には何を話した?

「中村さんが「Iさんが間に合わないかもしれないので高橋克也さんを貸してくれないか。柔道ができるし」と言いました」

 

柔道ができる?

「私の運転手を始める前、一般のサマナに柔道を教えるサマナの一人が高橋さんでした」

 

その後どうした?

「私はH田さん、高橋克也さんに指示をしています。N科さんを助けなければならないこと。お兄さんを拉致して居場所を聞き出すということです。

H田さんに運転手を頼んだら、「今日はワークがある」とか「東信徒庁のワークなのになんでCHSがやらなきゃいけないのか」と文句を言っていました。

高橋さんに「今日は中村さんを手伝ってほしい」と言い、M本さんにはワゴン車の運転手をするように指示をしました」

 

何のために拉致をするのかという話はした?

「この場面ではあらためて二人に説明した状況ではありません。27日の夕方、目黒駅のワゴン車の中でI田さん、高橋さんには話していたので」

 

その後?

「午前10時ごろ、平田信さんから電話がありました。東京に来たと。私たちも出発し合流し、公証役場に午前12時ごろに着きました」

 

移動手段は?

「レンタカーのワゴン車のデリカと、ギャランの2台です」

 

その後?

「K原さんがIさんを連れてきました」

 

その時現場にいたのは?

「私、中村昇さん、中川さん、H田さん、平田信さん、高橋克也さん、Iさん、M本さんです」

 

「中村さんが「中に突っ込んで行ってやればいいんじゃないか?」と言いました」

 

ワゴン車内にいたのは?

「中川さん、運転手のM本さん、Iさん、高橋さんはいました」

 

中に突っ込んで行ってとはどういう意味?

「私が理解したのは、中に入って拉致したらいいんじゃないかという意味だと思いました。中、つまり公証役場ということです」

 

それに対して?

「私が「レーザー使えるか分からないし」と反対しました。

そこでレーザーを実験し、使いものにならないことが分かり、車に戻って報告しました」

 

その時車内にいたのは?

「私、中村さん、中川さん、高橋さん、Iさん、M本さんがいました」

 

「中村さんが「高橋さんもIさんもいるから、中に突っ込んで行ってやればいいんじゃないか」と。私が「中の様子は未知数だし、関係ない人を巻き込みたくない」と。

ちょうど八百屋が開店して、車を八百屋の前に停めてやることはできないということになりました」

 

「仮谷さんがもし3人でやってきたら実行はしない。1人もしくは2人だったら状況を見て中村さんができそうならやろうということになりました」

 

誰が話をした?

「主に私と中村さんが話し、他のメンバーは聞いている状況です」

 

仮谷さんが歩いてくるルートについて話した?

「中村さんが前日に見ていたので、目黒駅方面に行くだろうと。T字路に差し掛かったとき進路をふさいで押し込む方法を取ろうということになりました」

 

その後?

「段取りと役割分担を確認しました。麻原の指示により、中村さん、Iさんが実行役。中川さんは薬で眠らせる。高橋さんは中村さんのリクエストで実行役。M本さんはワゴン車の運転役です。

私がメンバーに確認していきました。他のメンバーにも聞こえるように。すみやかに拉致するためには他のメンバーの役割を理解していなくては連動できないと思ったからです」

 

具体的にどのように指示した?

「実行役3人は、仮谷さんをワゴン車に押し込む。中川さんは、仮谷さんを暴れないように薬を打って眠らせること。M本さんはワゴン車で進路をふさぐ。3人が乗り込んだら現場を速やかに離脱すること。私はギャランで見ている。前後の様子をチェックして目撃者がいそうなら無線で中止の連絡をすると。

H田さんはギャランかワゴンかどちらかで(?)、ワゴン車の中に引き込む役割と説明しました。平田信さんにはギャランの運転手をしてほしいと」

 

そして?

「その後、配置に着きました」

 

証人はどこにいた?

「私はギャランに待機していました」

 

実行役3人は?

「ギャランの後部座席で待機していました」

 

3人は何か会話していた?

「仮谷さんをどのように拉致するか、左右に並んで追いかけるのか、前後になって追いかけるか、隊列について話していた記憶があります」

 

その後何があった?

「3人が車内にいたか外にいた時かはっきりしないが、中村さんが「仮谷さんかもしれない」と追いかけていきました。目黒駅まで行っても何もなかったので中村さんが戻ってきて、話を聞きました」

 

その時被告は車に乗っていた?

「乗っていたかどうか記憶がありません」

 

人違いだった?

「声をかけたが見向きもされなかったと。中川さんが「大丈夫か」と注意し、私も「本当に大丈夫か」と言いました」

 

「その後、対向車線でミニパトが駐車違反の車のレッカー移動をし始め、お蕎麦屋さんも不審そうにこちらを見ていた。この場所で見張りを続けるのはあまりにも危険だと思い、見張り場所を見てくる、なければ今日はここでやるのはやめようと言って無線機を持って外に出ました」

 

何時ごろ?

「午後4時半になっていない頃だと思います」

 

その後?

「周辺のビルに上がっていたところ、無線が混線し「OK」の声が聞こえました。戻ると、T字路の角に中村さんのスキー帽が落ちていた。ワゴン車はなくギャランが残っていたので乗り込みました」

 

どう思った?

「拉致がうまくいったんだなと思いました」

 

ギャランには誰が?

「平田信さんだけでした」

 

その後?

「環八沿いのファミレスの並んでいる駐車場で合流することに決めて向っていたら、I田E子さんから電話がかかってきました。「N科さんから電話があった。出家をやめにしたい。居場所は分からない」とのことでした」

 

どう返事した?

「強い口調で「今さらそんなこと言われたって遅い。拉致はもう行われた。麻原に今後どうしたらいいのか確認してください」と言いました」

 

その後?

「世田谷道場へ行って仮谷さんを連れていくためのワゴン車を受け取って、合流場所へ行きました」

 

誰と?

「平田信さんとです」

 

どうなった?

「乗り換えたワゴン車が同じ色のデリカだった。中村さんや中川さんから「こんなの使えないよ」と言われ、毛布を取ってきてほしいとも言われて、私と中村さんと平田信さんで世田谷道場へ行きました。

世田谷で毛布は確保したが車がなかった。I田さんから「青山道場に警察から電話があった。会えないか?」と電話がかかってきて、会おうとしたが会えなかった。会うと巻き込んでしまうと思い、中村さんと話し合って会わないことにしました。麻原の意向を確認してもらったが、特になかった。どうしようか相談し、ヴァジラヤーナの原則としては麻原から新しい指示がなければその通りにやることになっていたので上九に連行することにしました」

 

車はどうした?

「CHSに警察にマークされていない車があったので、平田信さんと取りに行きました」

 

車種は?

「マークⅡです」

 

そして?

「合流場所に戻りました。「何で勝手にやったんだ」とH田さんに文句を言いました。目撃者がいないかどうか確認して無線指示するはずだったのにやっちゃって、目撃者が出て警察から連絡が来たので、自分の部下だったので思わず愚痴りました」

 

その後?

「午後10時ごろ芦花公園に着き、仮谷さんをワゴンからマークⅡに乗せ替えました」

 

仮谷さんの様子を見た?

「チラッとだけ見ました」

 

誰が仮谷さんを上九に連れて行った?

「中川さん、中村さん、Iさんが行くことになっていたが、中川さんが「Iが動揺している」と言うので、高橋さんに替わってもらい運転を指示しました。

中村さんよりも献身的なH田さんの方がいいと要望があったので、中村さんとH田さんを入れ替えました」

 

マークⅡに乗ったメンバーは。

「運転が高橋さん、医療役に中川さん、あとH田さんです」

 

移動経路は(?)。

「東名を使って向かっているはずです」

 

上九に行かなかったメンバーはどうした?

「ギャラン、デリカの指紋や血を拭き取る作業をし、レンタカーを返却しました」

 

その後?

「今川近くのファミレスで食事をしました。2月28日の23時過ぎまでです。

私はその後中村さんとIさんを杉並道場に送り届け、月末だったのでCHSの在家信徒をまわってお布施を受け取って、上九に行くことにしました」

 

何故上九に行くことに?

「お布施を渡すのと、CHSの報告、あとは仮谷さんの確認のためです。

中村さんも杉並にいたので拾って今川へ行き、M本さんの運転するマスターエースに乗って3月1日の午前0時30分ごろ、上九に出発しました」

 

そして?

「中央高速の八王子インターから大雪が降りだし、時間がかかり、上九に着いたのは午前3時ごろです」

 

上九に着いてからは?

「麻原は教団の○○に行っていると言われました。そこで第2サティアン1階の中川さんの所に行きました」

 

なぜ行った?

「拉致は済んだが新しい指示があったのではと思った。あとは高橋さんとH田さんが上九に行きっぱなしだったので放っておけないので」

 

第2サティアンに行ってどうなった?

「中村さんと1階のリビングに入ると、林郁夫さん、中川さんがいました。

林郁夫さんが「N科さんの居場所は分からない。これ以上ナルコをやってもしょうがないんじゃないか」と言ってきたので、「私にそんなことを言われても分からない。麻原の指示をお伺いした方がいいんじゃないか」と言いました。

中川さんが中村さんに「村井からの指示で、麻原が中村さんに、仮谷さんにナルコをして居場所を聞き出すようにと言われている」と。中村さんが「自分はそんなに知らない。I田さんにしてもらった方がいいんじゃないか」と言いました」

 

そしてどうなった?

「私と中村さんが東京に戻って麻原にお伺いを立てることになりました。出発前に中川さんから依頼されて仮谷さんの所持品をチェックしました」

 

証人自身が仮谷さんにナルコをした?

「していません」

 

仮谷さんの姿を見た?

「見ていません」

 

仮谷さんがどこにいるか分かった?

「この部屋にいるよとは教えられています」

 

どこですか?

「リビングに入って左の部屋。中川さんか林郁夫さんに教えられました」

 

<図面で説明する>

 

「H田さんと高橋さんがリビングの奥の部屋で寝ていたのを見ましたが、起こすまでもないと思って声はかけまぜんでした」

 

「午前3時半過ぎ、M本さんの運転するマスターエースに私と中村昇さんが乗って、中央高速を使って東京に向かいました。

午前5時ごろ、八王子あたりで大雪による通行止めになりました。携帯で上九に電話をし、麻原は戻っていないか確認しましたが、戻っていないとのことでした。調布インターチェンジから高速に乗り、午前8時半ごろ都内に近づきました。携帯で上九に数回連続して電話し麻原の警備担当者に居場所を確認してもらったところ、麻原が上九方面にいる、上九に戻っているか、向かっていることが分かりました。

その直後に中川さんから電話があり、「I君を上九に連れてきてほしい」とのことでした」

 

中川からの指示?

「中川さんの判断というより、麻原・村井の指示なんだろうと理解しました」

 

どう思った?

「麻原は上九方面にいる。一刻も早くIさんを連れて行かなくてはと思いました」

 

そして?

「中央高速の高井戸インターチェンジを降り、杉並道場に行こうとしましたが、甲州街道で大雪のため車が進まなくなった。早稲田通り沿いの杉並道場まで自分達が行くよりも、Iさんにこちらの方に来てもらった方が時間が半分で済むと思い、午前9時前後に携帯から杉並区の今川の家にいたCHSの林武さんの携帯電話に電話をかけました。「杉並道場でIさんを拾って環八沿いのファミレスの駐車場にきてほしい」と言いました。

さらに私の携帯で杉並道場に電話し、中村さんからIさんに「杉並で待っておくように。林が行くから」と言ってもらいました。Iさんと林さんは面識がないので交互に連絡をしました」

 

そして?

「京王線明大前の開かずの踏切にひっかかり、午前10時半ごろ合流場所に到着しました。11時ごろに二人がやってきました。M本さんとIさんに運転を交替してもらいました」

 

M本さんはどうした?

「林さんに今川に連れて帰ってもらいました」

 

そして?

「Iさんの運転するマスターエースで、私と中村昇さんが乗って、東名高速で上九に向かいました」

 

上九には何時ごろ着いた?

「14時か14時半に着きました」

 

上九についてどこへ?

「第2サティアンの1階です。Iさんをワゴン車に残し、私と中村さんがリビングに入りました。

中川さんが「村井から、仮谷さんをIさんにポアさせろと言われた。でももう仮谷さんは亡くなってしまった。言わずにIに首を締めさせる。終わったら地下の焼却炉で焼却する」と」

 

その時いたのは?

「ここまでは中村昇さんがいましたが、Iさんを呼びに行ったと思います」

 

そして?

「私は中川さんが事情を打ち明けてくれるのを待って沈黙しました。中川さんが「Iさんにポアさせろと指示されたので、どうせポアさせるんだから薬物の効果を確かめてみようと思った。点滴してみたところ、急に光り出して亡くなってしまった。指示はIさんによるポアだから、危なくなれば…(※書き取れず)、光りだされたからポアした」と」

 

ポアとは?

「宗教用語で肉体から…(説明)」

 

光り出した?

「魂が抜けるときに体が光りだす。亡くなっていかれるカラーを目の前で見ていたと理解しました」

 

その後?

「中村さんがIさんを連れてきました。中川さんと中村さんが「ポアするように」と。仮谷さんのいる部屋に、Iさん、中川さん、私、中村さん、H田さん、高橋克也さんが入ってIさんが首をしめました」

 

それぞれどの位置にいたのか。

「H田さんは頭の方にいた。中川さんは脈をとるふりをしていた。他のメンバ-についてははっきりしません」

 

その後?

「地下焼却炉に遺体を運びました」

 

その時のメンバーは?

「先程部屋に入ったのと同じメンバーですが、H田さんがいたかは明確な記憶がありません」

 

その後?

「誰が焼却に立ち会うべきか、第6サティアンの1階の麻原の部屋に私、中村さん、中川さんで聞きに行きました」

 

そして?

「私は麻原に集めてきたお布施を渡しました。麻原は「なんで無理してやったんだ。警察が動いでいるじゃないか」と。「焼却はお前たちでやるしかないんじゃないか」と言っていました」

 

中川の話は麻原にはした?

「中川さんから「このことは言わんといてくれ」と言われたので、麻原には言いませんでした」

 

焼却は誰がした?

「中川さん、中村さん、Iさん、高橋克也さんです」

 

証人は?

「CHSに戻れと言われたので、高橋さんに焼却を手伝うように指示をしました」

 

焼却はどのように?

「第2サティアンの地下との間のパネルが2階構造になっており、マイクロ波発生装置が…(書き取れず)、金属のパイプで網目状のドラム缶につながっています。仮谷さんの体を折り曲げるような形で入れます」

 

焼却後のことに関わった?

「それは関わっていません」

 

焼却はいつ頃終わった?

「仮谷さんの事件が起きたのが火曜日で、日曜日頃までには少なくとも終わっていたという記憶です」

 

その後、仮谷さんの事件のことで被告と何か会話しましたか?

「はい」

 

いつ?

「3月上旬です」

 

どのような?

「高橋さんが、「お父さんと仮谷さんがダブった。非常につらかった。なんでこんなことになったんだ」、と、初めて不満をぶつけられました」

 

どう思った?

「私としては高橋さんがこれをきっかけに疑念を持って下向するのではないかと。そうすればポアの指示をされることは間違いないので高橋さんをなだめた記憶は残っています」

 

死因に関する中川さんの発言を初めて法廷で証言したのはいつ?

「昨年の平田信さんの法廷です」

 

取り調べでは?

「高橋さんが逮捕された時に話しています」

 

それまでは話していない?

「平成7年、仮谷さん事件で逮捕された時、弁護人にそのまま伝えていましたが、アドバイスとして「直接見ていないんだから本当のことは分からない。殺人共謀と思われたらどうする。自分の言動が罪にとられるので話すな」と言われ、私自身の判断で捜査官には話しませんでした」

 

その後話したのは何故?

「きっかけは、私の二審判決前に仮谷実さんが接見に来て下さって、死亡原因を何でもいいから話してくれないかと言われたことです。その時、弁護方針を守りたいのもあったし、中川さんが本当のことを話すべきと思って何も話せませんでした。

その後、二審判決が無期懲役から死刑にかわり、仮谷さん事件での罪状が逮捕監禁から逮捕監禁致死になりました。この段階で話すと、死刑回避のため中川さんに罪をなすりつけると思われると思い、お話しできませんでした。

その後、死刑囚となり、毎日罪や死刑という刑罰を見つめる中で、仮谷さんは自分の命がどのように奪われたのかということすら家族に伝えられないという現状が胸に重くのしかかり、仮谷実さんが接見しに来た時に話せなかった自分が情けない、悔しいという思いでぐちゃぐちゃになりました。

中川さんの最高裁判決が近いというニュースを聞き、死刑囚となれば近い人としか会えなくなる。確定したら仮谷さんが中川さんに直接確認する機会が失われるかもしれない。私がどのように思われても構わないと思い、両親から弁護人の了解を得て、2011年の夏、お盆前に両親を通して仮谷実さんにお手紙を出しました。

お話しできなかったことは、突き詰めれば、仮谷さんやご家族の方々よりも自分を大切に守ろうと思っていたからに他ならず、誠に慚愧の念に堪えません。本当に申し訳ありませんでした」

 

<検察側主尋問 終了>