<前編>はこちら

【テーマ3 オウム事件後の社会は、どう変貌したか】
~治安政策、刑事司法、被害者救済、事件報道、世論~

安田さん
「河野さんは、事件によって社会が変わったことについてはどうでしょうか」

河野さん
「事件で一番変わったことは犯罪被害者の基本法ができたことだと思います。
事件以前は(被害者救済の)対象が、亡くなった方や高度障害の方のみで、あとの人は「お気の毒」で終わってしまった。
しかしオウム事件後は、被害者の救済範囲が広がり、給付金も増えました。
以前は助ける法律がそもそもなかった。法ができたことで、助けなければ行政の怠慢であるということになりました」

安田さん
「一昨年にも、国家がもっと支援してほしいという請願もされていますよね」

河野さん
「国でも県でも、防げなかった彼らがフォローしてあたりまえじゃないかというのが私の考えです」

安田さん
「被害者そのものを社会が引き受けてフォローしていくというお考えですね。
有田さん、その他についてこの20年で変質したことは?」

有田さん
「先日、大阪で中学生が殺害されました。事件解決には監視カメラが使われました。オウム事件以降広がっていったのが監視社会です。監視カメラを全国各地に設置し、その台数は世界一です。
かつて全国の保健所でオウムの脱会信者の支援を広げていこうとしていたことがあったが、政府には何の動きもなかった。アメリカの方がよっぽど事件の調査研究をしていたんですね。
また、インターネットやツイッター、匿名で攻撃をする憎悪が増幅していている。
オウム事件以降、日本がとんでもない状況になっている。大変な時代だなと思っています。」

安田さん
「松本さんは就学拒否、住居から出て行けということなども経験されている。
戦後日本はもう少し自制のきいた社会だったのではと思いますが。
こんなに感情が先行する社会ではなかったのではと。」

松本さん
「個々人としては(私のことを)受け入れられても「しかたなくごめんね」ということが多いんです。フェイスブックでも、友達欄に私の名前が出ていると他の人が「あなたとは友達になれない」と。その人まで切り捨てられてしまう。
20年経ってもそういう状況です。」

安田さん
「一対一では関係を維持できても、対社会となると難しいと。」

松本さん
「あなたは問題ないけど、あなたのバックがね、と。
私を雇うことで「オウムの所だ」と思われるのが困るということですね。」

有田さん
「オウム、アレフが当時どこまで反省していたか(の伝え方)も不十分だったと思います。
上祐さんにしても、本を出版するまで17年かかった。
荒木さんにしても、自分の周りにそういう人がいたなら感じなかったのかな?と聞きたいんですね。「なんかおかしいな」と感じなかったのか。
野田成人さんが本を出版した時も(『革命か戦争か』)、不満だったのは事件についてほとんど触れていないこと。
やはり知っていることすべてを出すことが必要だったと思う。
だから感情的な側面でさまざまな反対運動も起きたと思います。」

安田さん
「私は戦後教育を受けているものですから、人は何を考えても許される、思想の自由、それが思想である限りは絶対に傷をつけてはいけないと信じているんです。
オウム信者の中で殺人事件に関与したのは2、30人です。
団体と個人は峻別しなきゃいけない。
やらなかった人がやった人の責任まで取らなきゃいけないのはおかしいし、可罰的です。
これは原則と思います。」

河野さん
「松本サリン事件当時、社会からの排除を受け、私の家族も親戚も、犯人の親戚だからという扱いを受けました。でも、冷静になりましょうよと。
「お前はオウムの肩を持っている」と批判されたりしますが、物事の確定には時間がかかる。今はまだでも50年後くらいには分かるかもしれない。
しゃべる気になった時にはその場を与えてやるってことですね。
長いスパンで何が重要かを探って、再発防止していくことが必要だと思っています」


安田さん
「当時からこの事件は10年かかってもダメ、20年くらいしてようやく一端が見えてくるだろうと言われていました。
事実を知れば知るほど、感情的でなく理性的に真実が見えてくると僕は思ってます。」


【テーマ4 オウム事件と今の日本】
~共謀罪、盗聴法、司法取引、レイシズム、ヘイトスピーチ、積極的平和主義(安保法制)~

有田さん
(ヘイトスピーチについて語る)

安田さん
「ヘイトスピーチにしても、安保法制にしてもオウムに対する対応のツケがいままわってきているのかもしれないと思います。」

※この部分、書き取れていません。すみません。


【テーマ5 オウム事件と死刑】
~大量の死刑判決で問題は解決したか、社会的憎悪の実現としての死刑執行、もてはやされ求められる死刑執行、麻原氏の責任能力~

安田さん
「そもそも麻原さんは、詐病なのか。生きているのか?」

松本さん
「私が父と最後に会ったのはもう7年以上前のことです。
その面会でも声すら発しませんでした。音は発していても声にならない。部屋に入っても気づいてくれない。大声を出してもびくともしない。反応もない状態。赤ちゃんより下だなと。
父は生きていない、崩壊しちゃったんだなと思っているので、仮に詐病だとしたら父は神になったんだなと思います(笑)」

安田さん
「死刑執行について情報はありますか?」

有田さん
「今年で事件から20年ということでテレビでさまざまに特集がされました。
その中であるジャーナリスト(※青沼陽一郎さんのこと)が出演して、麻原さんが死刑判決の時に刑務官に支えられて立ち上がるときに「立ちたくない」と言った、と話した。
そのことをブログにも書いています。
でも、もし麻原さんが「立ちたくない」と言えたとすれば正常じゃないの?と思って、確かめたんです。
麻原の初公判は刑務官が10人、判決の日は7人ついていた。麻原の横にいた刑務官は同じ人だったんです。ですからその方に確かめたところ「そんな発言は一切していない。何を言っているか分からない状態が続いていました」と。
でも、無責任にネット上で情報が広がってしまっている。

また、森達也さんの「A3」は文庫版で大幅に加筆されましたが、その中に、「現状は分からないが、2011年平岡秀夫法務大臣が麻原に会っている。平岡は「会ったというか見た。筆舌に尽くしがたい。それ以上は言えない」と言った」とある。
これも私が平岡さんに確認しました。「見た」のは事実だと。東京拘置所のモニタールームには、独房に設置されたモニターの映像が次々に映し出される。平岡さんはその部屋で、モニター映っている麻原を見たんです。だから「見た」と。

また、今年の週刊ポスト4月3日号に「麻原執行Xデー5月16日説浮上」という記事が出た。情報元は法務省関係者とのことでしたが、これはまったく嘘です。
死刑囚を死刑にするには起案書が必要です。その起案書を見て、法務大臣が死刑囚の経歴や事件について確認し、結論を出すと言いう流れです。
麻原さんの死刑の起案書というのはかつて一回も出されていません。

麻原さんを執行するためには二つの条件が必要です。
①強力な法務大臣の下でないと執行はできない。
強力な、というのは、一生SPがつく体制を法務省が敷けるということです。
たとえて言うなら、後藤田正晴のような政治家が法務大臣になれば執行が可能だが、それ以外では難しいということです。
②後世に示せるような精神鑑定をきちっとやること。それが歴史に耐えうるものでないと執行はできません。

死刑の起案書を作るのに普通の死刑囚でも1カ月はかかる。そして検討を経て、判断を下します。
麻原については起案書の作成には半年を超え、長期に渡る判断をしなければならない。
いまだ1回もそのようなプロセスには至っていません」

安田さん
「河野さんは、松本サリン事件にも関わる6名の死刑判決についてどう思われますか」

河野さん
「彼らの判決文には「更生の余地もなし」とあります。しかし加害者、被害者ともに、時間とともに人は変わります。いろんな人に接したり考えたりして、やっぱり人は変わるわけです。 更生の可能性がないなんてことはない。
私は死刑の一番の問題は誤認逮捕、ミスジャッジの可能性だと思う。人だから、そういう可能性は必ずあります。
もしもミスで死刑執行されたら、再審を請求することもできない。
人の命は何物にも変え難い大切なものだといいながら、いっぽうで人は間違うものであるとも言っている。
じゃあ1000万人にひとりなら間違ってもいいのか?ということになっちゃってる。
しかしこれは比率の問題ではありません。
だから死刑という刑はなくなるべきだと思います。
人は変わる、ということです。
被害者も、被害にあった直後は相手への極刑を望む。しかし考える時間が与えられ、色んな要素を考えて初期の気持ちは変わっていく。
変わらない、という前提でバッサリやるのはどうかと思うんです」

松本さん
「人の命は大切だと日本では教えられ、その結果として父たちは死刑判決を受けています。
その矛盾で悩んできました。
悪いことをした人は死んでもいいのか、人を殺す刑罰はあるべきなのかなあと。
ある方から「命がかけがえのないのだとしたら、どんな人の命も大切にしてほしい。国家が殺人をしていることになる」と言われました。
命の重さは絶対的なのに、そういうものを国が示しているかぎり、これをした人は殺してもいいとか、小さいことがだんだんと大きくなっていくんじゃないかと思います。」

安田さん
「大逆事件の時、12人に死刑が執行された。そのあと社会は一気に戦争に突っ込んでいきました。そうしてその後、死刑廃止の論議が一切でなくなってしまった。
今回の事件ではそれを超える13人が判決を受けています。
この13人の判決は将来の日本の未来を決定づけるものになるのではないでしょうか?」

有田さん
「大韓航空機事件の金賢姫元死刑囚は、今も生きています。クリスチャンとなって命の大切さを講演し続けています。
今も僕は永岡さんらと共に井上嘉浩などの死刑執行はやるべきではないという署名を求めています。それはこれからも続けていきたい。
いざ執行が動きはじめたら知らないところで進んでいってしまう。忘れずにおくことが大切です。」

安田さん
「私たちひとりひとりが、死刑という結論を出すのが正しいかどうか考えていくことが必要だと思います」


【閉会】
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『因果と応報?』オウムと死刑を考える(8月22日14:00~、貸会議室[内海]にて)

【登壇者】 
松本麗華(麻原彰晃 三女)
有田芳生(参議院議員・ジャーナリスト)
河野義行(松本サリン事件被害者)
安田好弘(弁護士・フォーラム 90)

【テーマ】
1 オウムとの関わり
2 オウム事件とはなんだったのか
3 オウム事件後の社会はどう変貌したか
4 オウム事件と今日の日本
5 オウム事件と死刑

※聞き書きですので言葉が正確でないところ、書き逃しているところもあります。ご容赦ください。


【テーマ1 オウムとの関わり】

河野義行さん
「私は1994年6月に発生した松本サリン事件によりオウム事件に関わりました。
妻は事件により心肺停止となり、14年間意識が戻らず、その後亡くなりました。
妻は低酸素脳症になり脳が萎縮し、最後の方は体温が低下して夏でも湯たんぽをして体を温めている状態でした。
私自身も、入院して2日の間に警察のリークから私が殺人犯であるという印象の報道が過熱し、病院からも退院しなくてはなりませんでした。
逮捕も覚悟しましたが、弁護団を組み、財産をなげうっても家族を守ろうと思いました。
翌年1月、読売新聞のスクープ(95年1月1日、上九一色村からサリン残留物発見の記事)により報道の流れが変わり、その後私の関与はないと認められました。
アレフの人たちも、今日客席に来ている荒木浩さんも妻のお見舞いに来てくれています。私はそれを受け入れてきました。
なにもしていない人たちが差別されることは許せません。それは自分のかつての(犯人扱いされた)体験と重なるからです。(アレフの人も)普通に扱っていきたいと思っています。」

河野さん
(当時の気持ちについて?)
「入院した2日後には、私は子供たちに、「警察の誤認逮捕や、裁判でのミスジャッジというのはありうる。最悪に最悪が重なったら、お父さんは死刑だわな」と伝えました」

有田芳生さん
「私は1980年代に出版社をクビになり、フリーでやっていました。当時は週2回くらい江川紹子さんと飲んでいたので、江川さんからオウムについて聞いて知りました。
事件の10年後に警視庁の幹部と飲んだとき、「有田さんの事務所は汚かったね」と言われた。当時、事務所にも警察が入っていたことが分かりました。一日に何十人もの体制で私を尾行したり、私の妻を尾行してスーパーの買い物の内容までチェックしていたという話も聞きました。当時は一切分かりませんでした」

松本麗華さん
「私は、事件への直接の関わりはありません。ただ、教団内で事件前後を過ごし、父や親しかった人たちが逮捕されて、面会や差し入れをしていくうちに事件に向き合わざるをえませんでした」

安田好弘さん
「本を出された(今年3月発刊『止まった時計』)のはどのような思いからでしょうか」

松本さん
「父が心神喪失状態で、赤ちゃん以下のような状態のまま死刑が執行されてしまうかもしれないという恐怖がありました。
また、私が教団から離れても公安から尾行や盗聴をされ、監視の目から常に緊張感をもって生活せざるを得ませんでした。こうなったら、もう自分からしっかり発信してしまって、何かがばれるかもしれないという恐怖を無くしたかったのです。それで本を出版することにしました」


【テーマ2 オウム事件とはなんだったのか】
~事件を見る視座、事件を起こさせたものは教義?教祖?教団?信者?~

安田さん
「事件は何が問題だったのでしょうか」

河野さん
「私には分からないし、本当のところは誰も分からないんじゃないでしょうか。
裁判というのは起訴事実の確認にすぎず、周りのことは出てこない。だから事件についても実際には分かっていない。麻原さんに喋ってもらうしかないんじゃないかと思います。
ただ、組織の正義が社会の正義と相反するということはあるだろうと思っています。
実行犯は自分たちにとっての正義のために犯行を行ったのではないかなと思いますが、本当のところは私には分かりません」

有田さん
「教団を作る前、麻原さんは鍼灸院でシャクティパットのようなことをしていたと言います。暗示作用というのもあったかと思いますが、その頃からすでにすぐれた能力があったと聞いています。
教団は、最初はヨーガのサークルでした。О脚を治すためとか健康のためというような動機で人が集まってきていた。あるいは真面目に悟りを開きたいという人もいたかとは思います。
その背景には日本社会の様々な問題点がありました。
まず最初に修行の最中に信者さんが亡くなったが、それを表に出せなかった。1981年に宗教法人として認証を得なくてはならなかったためです。
その後、信者による殺人事件が起きた。そこから「隠さなければ」という精神が出てきたのではないかと思っています。
上祐さん、早川さんらが反対する中で、衆院選挙にも出た。どうも麻原さんは本気で当選すると思っていたと見受けられる。だから落選した時の説法では、「これは陰謀だ」と。そしてその後石垣島ツアーを行い、その間にボツリヌス菌散布事件の準備をした。
そうやって「自作の予言」がエスカレートしていったんじゃないかと思います。
今も謎になっている村井秀夫の暗殺、井上嘉浩の動きなどを追うと、どうも教団内部で出世競争があったのではとも感じます。
教祖の意を呈して「教祖の指示なんだな」と思わせるように勝手に動いたのではないか?と思っているが、分からないままで20年が経ってしまいました」

松本さん
「私は、皆さんのように事件についてしっかり勉強できておらず、本を書きながら調べた程度しかわからないのですが、当時の教団の空気や、面会で話した内容から感じた今の結論としては、事件は個々人によるもので組織・教義ではなく「日本人的な弱さ」が大きかったのではないかと思います。
父は盲目ですが教祖でした。空気を読む、おもんばかる性格で、相手が嫌そうならばねぎらったり人から嫌われたくないという、よく言えば繊細さを持っていました。
そういう人を周りの人間が持ち上げて神格化し、それにより周りの人間が力を得てゆく空気が生まれる。そしてその空気に逆らえない。
例えば、確認をするということが苦手だったと思う。作業をしていても「これはこうでよろしいですか?」ではなく、おもんばかってしまう。
確認をせずグルの意思をおもんばかる。
より暴走しやすい空気ができていったのではないかと思っています」

安田さん
「共犯者の法廷では、事件は「マインドコントロールだった」と言われています。
サリンの袋をどうして突いたのか?これも「マインドコントロールだった」と。
僕たち弁護士はそれぞれの人達がどう思ったのかということを解きほぐしていきたかったが、それができなかった。
例えば松本サリン事件についてもどうして起きたのか?松本でやっていたオウムの裁判をひっくり返すためと。しかしあれは実験ではなかったかという気がしてならない。でもそれもどうしてやったのかもわからなくなってしまった。
そこで今日は荒木さんが会場に来ておられるのでお聞きしたいんですが…。
荒木さん。(事件が起きたのは)なんでだと思いますか?」

荒木浩さん(客席から)
「皆さんそれぞれおっしゃることはもっともだと思って聞いていたんですけども…」

安田さん
「タントラヴァジラヤーナという教義は、人を殺すことで功徳につながるといいますよね。」

荒木さん
「はい、ええ。」

安田さん
「そういうことでやったということで、団体規制もされているんじゃないですかね。」

荒木さん
「私自身も当時教団にいたのですが、そこは結びついているとは思っていなくて、だから「でっち上げ」ということで必死に反論してたんですけども。
実感として、松本さんが「空気」とおしゃってましたけど、そういうところに飛躍するような空気は実感としてはなかったです。団体が大きくなり組織としても大きかったので、それぞれ思い思いに動いていた。統率がとれていたのかな?と、今思えばそういう動きは、事後的な動きではあるがあったのかなと思います。」

安田さん
「もうひとつ。尊師の命令に従えと、グルが絶対という思想があった?」

荒木さん
「教義的にはまあ、絶対と表現されることもありましたけども。ただそれは宗教一般の常識というかどんな宗教でも神への帰依ということでありますよね。特別当時のオウムが際立っていたかというとそれは分からないです。」

安田さん
「永岡さんはどうですか?」
※VX事件被害者のご家族。

永岡英子さん(客席から)
「今日は、おしゃべりするなと言われてきたのですが。
教団の考え方については、マインドコントロールについて初期から学んできました。
宗教団体だけではなく社会の中にもマインドコントロールのようなものは多分にあると思います。だからと言ってマインドコントロールが100%悪いかというとそうとも限らない。
そこは専門家に任せるとして、オウムの場合は松本智津夫さんご本人が社会にアピールしなくちゃという考え方で、その考えに同調できる人が集まって反社会的な結果となったと思います。
私たちも、運動してきたのに何の役にも立たなかったという思いが今あります。
思春期の悩む心に(そういった宗教が)引っ掛かる、同調する、勉強のためにちょっと覗く…ということには充分に注意してほしい。
オウムについては13人もの死刑囚が出るような事件になるとは、当時はどなたも分かっていなかった。
日本にとっては戦後初めての大きな事件となったということは、これで終わりではなく、関心を持っていかなくてはいけない。今日はこんなに人が集まっていることに驚きました。」

安田さん
「永岡さんの息子さんは教団から帰ってきましたが、同じ信者で帰ってきていない人もいる。同じ信者の親としてどう思われますか?」

永岡さん
「それは聞かれるのが一番つらいところです。
死刑囚の親御さんたちとも、全員ではないですがお付き合いはあります。私もその人たちも、入信してからおよそ30年間悩んできました。
死刑囚の親御さんたちは本当につらいと思います。どう声をかけたらいいのかは今も分かりません。(涙されて)」

有田さん
「入信動機としては、陰謀論を好んだ人もいます。
麻原の説法には当時から「小選挙区制はファシズムへの道」「子供たちはファストフードばかり食べているから寿命が縮むんだ」など、アメリカやフリーメーソンによる毒ガスの主張がされていた。世の中の仕組みを知らない若者が初めてそういう話を聞いて、入信してしまうところがあったと思います。
もう一つが家族の問題ですね。
カルトに入信する人というのは、統一教会なんかもそうですが親子問題を抱えている人が多い。
井上嘉浩は16歳で入信し、その前も阿含宗にいた。しかし阿含宗に入っても悟りを開くことはできないと思ったと。麻原のところへ行けば悟りが開ける。それで世の中が変わると信じたんですね。
親子問題を抱えている人は比率として目立ちました。そこに何かないか?と気になっています。
上祐さんも近年、手記の中で父母のこと、父親との軋轢などについて初めて明かしたんですね。
私が事件当時に上祐さんに麻原さんはどういう人なの?と聞いた時、彼は黙り込んだ。
そして「尊師は自分の目標であると同時に、父のような存在です」と言った。自分が今何をしなくてはならないかを的確に指示してくれる存在であると。
岡崎一明も小さい頃養子に出されていて、裁判では「尊師は父のような存在であり、母のような存在である」と語っている。そうやって父や母の存在を麻原に託してしまうところがあったんじゃないかと思っています。」

安田さん
「河野さんにとっては不条理に不条理が重なったような状態で、被害者という立場でもあり、この事件について様々に語ってこられた立場でもありますが。」

河野さん
「アレフの方とも話をしてきたし、井上さん・遠藤さん・中川さん・新実さんらとは拘置所で話をしています。
彼らには「なんでオウムに入ったの?」と聞くんです。するとやはり麻原さんは特別な能力を持っているらしいと。例えば中川さんは突然波動みたいなのを受けて気を失っちゃう症状があったが、それが麻原さんのアドバイスによって解決したと。
あとは、例えば教団内の仕事で麻原さんに報告書を出すと。それがかなりの量なので少しだけ手を抜くと、ここを見られたらやだな、突かれたら嫌だなというところだけ的確に突いてくる。
そうして段々彼らにとって特別な人になっていった。彼のいうことなら正義なんじゃないかと思うようになってしまったんじゃないでしょうか。
彼らはシャンバラ計画といって聖地を作ろうと。自分たちと教祖は特別で、聖人が住むところ、聖地を作ろうとしていた。
それが色んなきっかけで歪んでしまって、方向が間違っちゃったんじゃないかなと私は思っているんです。」

安田さん
「松本さんは中にいる時は彼らが実は事件を起こしていると知らなかったとのことですが、事件を知った時の心境はどうだったのでしょうか。」

松本さん
「どの時点で知ったと言えるのか分かりませんが、絶望、嫌悪感、信じられないという混乱の中にいました。
本を書いて整理する中で、父以外の実行犯の人は、みんな「犯行をやった」とおっしゃっている。これはもう、「やったんだ」ということをしっかり受け止めないといけないんだと思いました。
中川さんのお母さんが、「こんなことをやったんじゃ、普通の死に方するんじゃ本人も納得しないでしょう」とおっしゃっていて、母親が自分の息子にこんなことを言わなきゃならないなんてどういうことなんだろうと考えたら…。
そうして他人事だったのが「これは私の問題じゃないか?」と思うようになりました。
兄のように思っていた人たちが罪を犯していた。信じられず、耐えられない感じでした。」

松本さん
「事件を起こしてしまう人というのは、悪人ではなくて、普通の人。普通よりちょっとまじめで義憤に駆られてしまうような人が「これは変えないといけない」と思って起こしてしまうのかなと思います。
思ったのは、ものすごく怖いんだなと。自分も、隣にいる人も、いつ何をしてしまうか分からないんだなと。紙一重なんだなと思うようになりました。
(死刑囚の方も)一人一人は優しい人でしたし、今でも優しいと思うんですね。でも事件にいっちゃったというその差というのは、ものごとを確認する、物事を見分ける強さ、自分の失敗から踏みとどまる強さが必要なんだと思っています。」

安田さん
「家庭の中の貧困などの問題(?)により反社会的な事件を起こしてしまうということもあります。もっと多くの人と話をしたらこうはならなかったんじゃないかと。
荒木さん、どうですかね。よくあなたのご両親ともお会いすることがあるんですけども。」

荒木さん
「えー……。」

安田さん
「日常的に付き合っていた人が事件を起こしたということを知った時の実感は?」

荒木さん
「(知ると言っても)知識と、理解、受け入れるということには段階がありまして…。いつ受け止めたかは難しいです。
何とか格闘してきた、否定してきたし、20年経ってまだ抗ってるとこがあります。本当の納得は得られていません。
裁判はあくまで裁判の見方。それぞれの立場、教義の理解の仕方がある。
首謀者である教祖の見方が分かるまでは、弟子として納得したくない。一番大事な像が欠落している感じがします。」

安田さん
「麻原さんにしゃべってほしいということですか?」

荒木さん
「……まあそういうことですね(小さな声で)。」


<後編に続く>
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高橋克也 第7回公判傍聴記【VX事件 証人H氏(1)】
高橋克也 第7回公判傍聴記【VX事件 証人H氏(2)】
高橋克也 第7回公判傍聴記【VX事件 証人H氏(3)】
の続きです。

<弁護側 反対尋問続き>

VX当時のことに戻ります。当時のステージは?
「愛師長補です」

師になったのはいつ?
「平成元年のはじめ頃です」

被告と比べてその速さは?
「ずいぶんはやいです」

麻原と日常的に会うことはあった?
「用がないので。あと何を言われるか分からないので、怖いんで、会わなかったです」

VX事件の後に会うことはあった?
「たまたまLSI、コンピューターチップを作るプロジェクトを任されていたので、その話し合いをするために麻原とはたびたび会いました。私が責任者だったので」

そのプロジェクトの予算規模は?
「10億円くらいです」

「本来CHSでは高橋さんより私のほうが上。私がサリンに関与していない理由は、アメリカにいたから。インテルのチップを作る製造装置の買い付けに行っていたからなんです」

プロジェクトの責任者になるということは高橋さんにはあった?
「何もないです」

なぜ?
「それはもう麻原さんの信頼がないんじゃないでしょうか」

事件当時の証人の生活拠点は?
「今川の家です」

今川の家には3つ部屋があった。
「はい」

あなたはどこを使っていた?
「4.5畳かなんかの和室です」

高橋さんは?
「最初は他の出家者と同じ、HTとかMとかの部屋にいました」

それから?
「井上さんは真ん中の部屋。個室をあてられてました。師はエネルギーが高いから普通の出家者とはエネルギーが違うから、一緒に寝ちゃダメなので」

高橋さんのエネルギーは?
「あんまり敏感じゃない。どちらかといえばサマナに近かったです」

同じくらいに出家したのに差がついた。どこら辺に差があった?
「10億円を任されるレベルと、任されないレベルですかね」

古いだけなら高橋さんも古いですよね。
「でも彼は階級が下だから。師になってないですから」

高橋さんも後から師になってますね。
「師に後からなっても、いつなったかで違う。列車みたいなもので、平成元年頃に師になった人が先発列車。後発はそれ以降に師になった人。先発の列車はもう行ってしまっているのでもう乗れない。列車が違う。同じステージでも違う。と私は思ってました」

CHSの情報管理について。
全体での情報の共有はあった?
「なかったです。上の方の人間はあるけど、下の人間は個々が共有することは禁じられていたかな…。禁じられていたような気がします」

なぜ?
「オウムの非合法ワークしてる人は同じ部署でも不文律として教えちゃダメというのがあった気がします」

部署ごとに『決意』があった?
「ありました」

CHSのは?
「覚えていません」

VX事件当時、CHSの人数は?
「ちょっと詳しくは分からないですけど、7人プラス20人くらいかな。7人というのは非合法活動に関与している。20人はいわゆるCHSの活動をカバーする、覆い隠すための人たち。フロントみたいなものです」

7人の中のトップは?
「井上さんです」

井上さんの存在感はどうだった?
「私はそう思ってなかったけど、他の人は神様みたいに思ってたんじゃないですかね。高橋さんがどうだったかは分からないですけど」

井上さんの指示はどんな感じでしたか。
「必要なことだけ言う感じ。あれやって、これやって、みたいな」

井上さんの情報管理は?
「彼は情報管理は徹底してます。彼の部屋には勝手に入れない。押し入れの中の物は見てはいけないと言われていた。私でも見たことがない物がありました」

証人の役割は?
「井上さんを補佐する役。LSIの製造を任されるくらいのことはしてました。片腕と言っていいかもしれないですけど」

相談をよく受けていた?
「相談はよく受けてましたよ」

意見を求められた?
「よく求められてました」

CHSの予算の中で証人が使える予算はあった?
「予算はないけど、申請すればみんなおりる感じです」

高橋さんは?
「彼は一人で動けるって立場じゃなかった。井上さんの運転手ですから」

例えば、井上さんが高橋さんに相談したり、意見を求めたりすることは?
「見たことないです」

高橋さんは予算は使える?
「井上さんの予算を使って清算をしてたことはあるけど、高橋さんが使うことはないです」

高橋さんが証人より多くの情報を井上さんに与えられているということは?
「ないです」

高橋さんが証人や井上さんに意見を述べたりすることは?
「ないです」

地位で言うと、名称上は証人と高橋さんは同じじゃないですか?
「たとえば、山形さんは菩師長補です。菩師と愛師だと愛師の方が格段に下なんですね。でも彼の言うことなんか絶対に聞かないです、私は。
はやく成就した人たちは大師と呼ばれていて、その人たちは当時は神様に近い扱いを受けてました。後から成就してきた人は何か特殊な体験をしたわけではない。
だから、菩師?ふーん、という感じでした」

「平成6年6月くらいに私がCHSに配属された時に成就したてのTさんという人がいた。彼の方が高橋さんより上でした。だから、高橋さんはこないだ成就した人より下なんだと。
私の中では高橋さんは普通のサマナという認識でした。一般のヒラ社員の部屋の中に入っていても当然だとしか思ってなかった。」

ヴァジラヤーナ教学システム教本という本を知っていましたか?
「あるのは知ってるけど読んだことはないです」

オウム真理教がロシアで放送していたラジオを日本で聞いたことはあった?
「覚えてないです」


<質問者交代>

麻原の説法の中に『サリン・ソマン・VX』そういう化学兵器で攻撃を受けているという話があったと。
「そうです」

サリン・ソマン・VXについて、麻原は詳しく説明していた?
「サリンはしてました。他は覚えてないです」

教団でサリン・ソマン・VXを作ったと麻原は言っていた?
「言ってないと思います。化学兵器を作ってたということは言っていなかった記憶です」

じゃ、一般の信者は攻撃を受けていると知ってはいても、作っていることは知らなかったと。
「それは秘密でした」

滝本弁護士VX事件よりも以前に、教団がVXを作っていると知っていた?
「知らなかったです。井上からも教えてもらっていない」

「松本サリン事件の時、サリンで攻撃されたとかなんとか。これと同じやつでオウムが攻撃されたとか(聞いた記憶?)」

VXについては滝本弁護士事件の時に初めて知ったと。
「はい」

その時、VXと言われた?神通力と言われた?
「覚えてないです」

「井上さんは『神通力』『甘露』とかも言ってた気がしますね」

事件の中で『VX』とも言っていた?
「言ってた気がします」

新実は?
「覚えてないです」

高橋さんがVXを示すこととして『神通力』という言葉を使ったのを一度でも聞いた?
「高橋さんはあんましゃべらないんで、記憶がないです」

滝本弁護士VX事件の時、『そのやり方では効果がないんじゃないか』と思ったと。
「毒というのは一般的に飲むとか注射だとか思ってたので、手に一滴ついただけで死ぬなんて絶対ないと思ってました」

Mさん事件の時は、ホッホッピュというやり方だった。
「ホッホッピュという言葉を言ってたか記憶はないけど、こっそりVXをかけるという。」

その段階でもまだろくでもないものだ、効果がないと。
「実際Mさんの1回目は何もなかったです」

1回目の後、やり方を変えようという話をした人はいましたか?2回目の時も、ホッホッピュでしたよね。
「結果的にはそうですね」

2回目の時も、どうせ効果がないと思ってた?
「VXの色が変わってたんで、もしかしたらちょっと効くかな?とは思いました。だからちょっと変わってます。でも多分ダメかなと半分思ってました」

効果についてはどう思っていた?
「吐いたとか、まあ何かあれば効果かなと。
とにかく言われたことをやる。ハルマゲドンまでにある程度の工業力をつけとかないといけない、産業スパイとかもやってたからVXなんかやってられないという気持ちでした。
かけたら終わり、かけたら終わり、と。」

VXで人が死ぬなんて考えてなかった。
「はい」

Hさんの時は、注射針が刺さった。だから2時間経たずに効果が出たと。じゃ、その後、井上とか新実が『じゃあ直接体内に入れる方法を考えよう』ということにはならなかった?
「実は、ないんですね。いま思い出したんですけど、Hさんの時までは針をつけた注射器に入れていたんです。そのあと、小林よしのりさんの時、未遂だったけど、針をはずして点滴のチョウチョ型のついているチューブに変わった。
もし本当に殺そうと思ったら、刺した方が殺せるからそうしたと思うんですけど、上の人達は本当に殺そうと思ってたというよりも、何らかの危害を加えようと思ってたのかもしれません。」

針以外の他の方法で体内に入れようということを言った人はいた?
「記憶にありません」

永岡さん事件の時、また従来のやり方を踏襲して、ホッホッピュでしたよね。
「はい」

これじゃ死なないな、ということは思わなかった?
「ちょっとは思ったけど、自分の任務は産業スパイとLSIのことだったから、自分の任務以外のことは気にしませんでした」

あなたたちの目的はVXをたらすというだけだったんじゃないですか?
「端的に言えばそうです」

人を殺そうとなんか思っていなかったんじゃないですか?
「私は指示されたことだけをやる。他のサマナもそうだったと思います」


<検察側 最終尋問>

Mさんの2回目の後、救急車でMさんが運ばれた。その後の状況として、『顎が外れた』とはどういった話の流れだった?
「Mさんの家のコードレス電話を盗聴するための受信機を持っていました。CHSの人達からそれについて報告があった。Mさんが吐いたらしいと。顎が外れたと報告を受けた気がします。多分井上さんから聞いたか、井上さんと一緒に報告を受けたのか…」

それを聞いたのはHさん事件の前?
「前です。3日以内くらいじゃないかなと思います。はっきりは分からないですが」

吐いたと聞いてVXの効き目をどう認識した?
「端的な言葉ですが、『効くな』とだけ認識しました。自分の部署の範疇にそれ以上のことはなかったので」

科学技術省の作るものに対する印象は変わった?
「はい。効かない、から効くな、と変わりました」

CHSで非合法活動をしていたメンバーは7人だと。トップが井上、ナンバー2が証人。ナンバー3は誰?
「高橋さんです」

ナンバー4から7は?
「平社員であるサマナです。HTさん、Mさん、Nさん、それくらいですね」

彼らはVX事件に関わった?
「調査活動には関わっているが、実行には関わらせていない」

誰がそれを決めた?
「多分麻原が決めています。もしくは井上さんかも」

情報の共有について。VX事件で誰が何をするかの話し合いはあった?
「覚えていません」

それぞれの役割を知っていた?
「知っていました」

ということは、情報を仲間で共有できていたのでは?
「分かりません。会議のことを全然覚えていないので」

やり方として、『こっそりかける』ということは、VXをかけたことは相手に知られてはいけないと。
「はい」

Hさんには注射をしてしまった。これはオペレーション的には失敗?
「そうですね。その通りです。針を刺すということはあんまりよくないです」

<閉廷>
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高橋克也 第7回公判傍聴記【VX事件 証人H氏(1)】
高橋克也 第7回公判傍聴記【VX事件 証人H氏(2)】
の続きです。

<弁護側 反対尋問>

主尋問では『VX』という言葉で説明していましたが、当時はその言葉を使っていた?
「一般的にはあまり使っていなかったです。隠語で、『神通力』『一滴たらす』とかを主に使っていました」

隠語のことは誰に教わった?
「井上から確か聞いたと思いますが、いつかは覚えていないです」

滝本弁護士VX事件の時にはもう隠語を使っていた?
「いや、それは覚えていないですね」

主尋問でVXは村井がトップの部署が作ったと、村井が作るものはろくでもない物ばかりで…と言っていましたね。
「はい」

VXは誰が作ったのか聞いていた?
「分からないけど、村井の所だと思い込んでました」

科学技術省。
「はい」

科学技術省が作ったろくでもない物のエピソードってありますか?
「例えば、ビスケットありますよね。ご想像いただいて。たいしてお金のかからないものなのに、2倍も3倍もお金をかけるんです。装置を作ってもすぐ壊れるし。」

他には?
「オウムの雑誌、なんとかハピネスというのがあったんですが、『オウムの科学力』とかそんな感じの記事があって。潜水艦を作ると。ドラム缶をつなぎあわせて耐水実験をした。クレーンでおろして水につけようとしたらクレーンが転倒したんですね。そして海に沈んだ。通常は防水して水が漏れないはずなんですが、なんと水が漏れて、乗っていた端本悟さんは『死ぬかと思った』と言ってました。
とにかく枚挙にいとまがない。あまりにも多いので例を挙げ切れないです」

科学技術省の作ったもので、役立つものを挙げることは?
「役立つものを挙げることは難しいです」

滝本弁護士VX事件の頃の、証人のVXについての認識は。
「少し科学的なことをかじっていたので、皮膚についたくらいで…?と思ってました。皮膚って皮があるんだから浸透するかなあ、ただでさえそんな兵器があるわけない、さらに村井の作ったものだと。90何パーセントは難しいだろうなと思ってました」

MさんのVX事件一回目が失敗して、メンバーと何か話した?
「皆で話し合ったような記憶があります。『やっぱ効かなかったね!』と。誰かが、もしくは自分がそう言ったと思う。
村井がトップの所で作られたものはやっぱり効果がないんだなと思いました」

HさんVX事件の前に、『日本の医療体制では…』という話を聞いたと。
(※筆者注・主尋問の証言「中川さんか井上さんが『VXは効果があるけれども、日本は医療体制がしっかりしているから助かるだろう』と言っていました」)
「はい」

それでも最終的にはホッホッピュになったと。
「はい」

かければ何らかの身体的損傷を起こす可能性があると。
「はい」

HさんにVXをかける前の段階で、部屋の指紋をぬぐうという話はありましたか?
「指紋をぬぐう。なんかあったようなないような感じでしたね」

針が刺さったために拭った?
「ちょっと分かんないです。でも掃除をしたのは間違いない。その話をした前だったか後だったかははっきりしないです」

3つのVX事件の結果について、証人が誰かに尋ねたことはあった?
「覚えていないけど、ないと思います。私が受けた指示は『VXをかけてポアしろ』と。やってしまったら自分のオペレーションは終わりだと思っていたので、結果はあまり気にしなかったです。
VXをかけてしまえば、言葉汚いですけど、私の知ったこっちゃないという感じですね。終わったことだから」

証人の役割は監視、見張りだと。
「攻撃できる状況にするのが私の役目です」

すると関心事は見張り、監視に尽きるんじゃないですか?
「そうですね。新実さんと山形さんに引き継げばあとはそれで、私の仕事は終わりですから。攻撃の手段は山形さんたちが考えることですので私の関心事ではない」

どのようにしてかけるのかも?
「自分の範疇を超えることだから、興味はなかったですね。被告が車をどこに停めたかとかもあんまり覚えてないんですね。」

当時の睡眠時間は。
「ずーっとじゃないんですけど、3~4時間。休みが取れれば、たまに5~6時間の時もありましたけど」

一つ一つのワークに落ち着いて取り組めた?
「まったくなかったですね」

入念に準備して取り組めた?
「産業スパイはそんな感じでした」

VXは?
「できないです」

証言するにあたって、VX事件についての記憶の定着度はどうでしたか。
「本来はこんなことあってはいけないと思うんですけど、人の命をものすごく軽く感じていたんです。こんなこと絶対忘れないはずなんですが、宗教的な理由により人の命が軽くなり、任務とかオペレーションとか言ってますが、そのようにとらえていた。だからほとんど記憶がないんです」

重要なのは何だった?
「目の前にあることを完ぺきにやるだけです」

目の前のことってのは、役割。
「自分の担当していたことを完遂することが私の役割です」

出家したのは何歳の時?
「22歳です」

当時のお仕事は。
「会社員でした」

出家の動機は?
「当時はオウムが反社会的団体になるとは夢にも思ってなかったので、社会貢献活動をしたいと思って出家しました」

出家当時、麻原はどんな人だった?
「気さくな人でしたね。何でも困ったことがあったら相談に乗ってくれるし。
私は当時いわゆる一流企業と呼ばれるところで特殊な仕事をしていて、ほとんど解雇されることはない環境だった。今の自分の収入の5倍以上ももらってました。出家しなければ安定した生活をできると思って、出家が本当に価値があることなのか悩みました。
親が反対した。特に母は血尿が出るほど心配しました。
だから、本当にそれだけの価値があるようなら出家しようと。悩みに悩んで結論を出しました」

オウムでできると思った社会的貢献活動とは?
「3つの救済というのがあった。病気で苦しんでいる人を助けよう。社会生活を営む上での悩みをサポートし、苦しむ人たちを助けよう。霊的な苦しみ、本当の悟りを得たい人、求道心のある人に対して精神的な道を示していきましょうと。大ぶろしきを広げていた。
それができるとしたらすごく価値があるんじゃないかなと思いました」

麻原はそれができる人だと思った。
「はい」

その他に、麻原の魅力は?
「自分の命を削ってまで信者たちの修行を進めようとするエピソードがありました。昭和62年の正月に、シャクティパットという儀式をした。相手に「気」を入れるんですね。相手の悪いエネルギーが自分の中に入ってくる。それをやることで身体がきつくなることがあるんですが、それでもシャクティパットを続けた。自己犠牲が強いなと。この人の掲げる旗印について行けば自分もそのような人間になれるんではないかと思いました」

麻原は最終解脱者だと思っていた?
「上は見えないから分からないけど、そうなんだと信じてましたね」

他の人からの評価もあった。
「ダライラマ法王とか、世界の聖者と呼ばれる人たちが麻原を評価していた。自分で言うだけなら信じられないけど、他の人の評価によって、人生をかける価値があるんだと思いました」

出家後、還俗しようとしたことは?
「あります、2回」

それはどのような時に?
「1回目は、修行がきつかった時。2回目は坂本弁護士事件後の強制捜査で『重要な書類があるので転々としなさい』と言われて、高速の領収書だとかの重要書類を持って逃げ回れという指示をされたんです。色んなとこに行ってなさいと。
修行のために出家してるのに、普通の生活をしなきゃいけない。働かなくていいし、だらけてきてしまい、『自分は何してるのかな』と。色んなものを捨ててきたのにと。麻原は本当に最終解脱者といえる存在なのかな?と思い、やめようと思ったことはあります」

還俗したいと麻原に言ったことは?
「一度、やめたいと言ったことはあります。平成3年か4年。もんのすごく修行が厳しくて。
一千万円のお布施をした人がいて、その仲介をしたんです。ある種手柄を立てた認識だった。それでロシアツアーのメンバーに入れるんじゃないの?と信者さんが悪魔のささやきをしたんですね。
その時に、修行に入れと言われた。その時の修行というのが、食事は手のひらに乗る量が一日一回。でもロシアに行ければいいかなーと明るい気持ちだったが、普通は2週間くらいで終わるのになかなか終わらず、あれ?なんかおかしいな?でも試されているのかなと。最終的にはロシアツアーに行けなかった。
最初は自分なりに理由を考えたが、だんだん修業が手につかなくなり、食事も足りなくて、精神がおかしくなった。
第2サティアンの下の瞑想室でふて寝していたらだんだんおかしいと思い、リセットしたくて還俗したいと思いました」

(そのまま逃げることはできた?)
「逃げることは可能だったけれど、教義上、麻原と縁が切れることは輪廻転生を繰り返すことになると。光がない状態で輪廻を繰り返す。当時それはものすごい恐怖でした。光があれば抜けられるけど、光のない状態で延々と繰り返さねばならないと」

<続く>
<VX事件 Hさん事件 主尋問続き>

高橋克也 第7回公判傍聴記【VX事件 証人H氏(1)】の続きです。


平成6年12月11日から12日にかけて、大阪にメンバーが集まったと。他にCHSのメンバーで来ていた人は誰?
「HTさんが来てました」

HTはホテルでの話し合いに参加した?
「参加してません」

HTと証人との上下関係は?
「私が上です」

HTと被告との上下関係は?
「HTさんが下です」

話し合いにはどうしてHTは参加しなかった?
「井上さんの信頼度といえるかもしれないです。井上さんが高橋さんの方をHTさんよりも信頼しているから、事件に加わらせてもいいかどうか判断したのかと思うんですけども」

ホテルでの話し合いの後はどうなった?
「ホテルを出発する場面はあまり覚えていません。
…一部思い出しました。ゴルフに積んでいたものをワゴン車に移す作業を駐車場でやりました。そしてワゴン車に乗って現場に向かいました」

ワゴン車の運転手は誰?
「ん?運転、運転……。覚えていないけど高橋さんだったんじゃないかと思います」

VXはどうした?
「ブルー系の発泡スチロールの中に入れて持っていきました」

ホテルを出てどうした?
「Hさんの家の近くに車を待機させました」

メンバーはそれぞれどうした?
「私と井上さんは屋上に行って見張り。山形さんと新實さんはブラブラして散歩やジョギングをするふりをした。高橋さんと中川さんはワゴン車で待機していました」

証人が屋上に上がって、どんなことがあった?
「Hさんが起きて身支度するのを確認しました。よく見えました」

そしてどうした?
「多分、私か井上さんのどちらかが無線で新実さんに準備するように伝えたかもしれません」

無線機は誰が持っていた?
「私が1台、新実さんが1台、ワゴン車に1台、全部で3台あったとは思うんですが詳しくは分かりません」

その後どうなった?
「Hさんが出勤しました。『出た』という旨を無線で伝えて、私たちは至急下におりていきました。」

降りてからどんなことがあった?
「ワゴン車に行って、どっちの方角に行ったか聞きました」

何と言われた?
「御堂筋線という道路の方に行ったと、そんな感じのようなことは言われた気がします」

どうした?
「見に行きました。『追いかけられた』というようなことを言っていたので、あ、気付かれたのかなという認識を持っていました。新実さんと山形さんを、私と井上さんで探しに行きました」

それから?
「救急車の音が聞こえました。10分くらいしか経っていなかったのでちょっと早いんじゃないかなと井上さんと二人で話したような気がするんですが、誰と話したかははっきりしません」

その後?
「Hさんはどうなっているのか、勤務先に行こうという話になりました。地下鉄を二手に分かれて、大阪南港(?)という駅まで行きました」

屋上から降りて行った時、被告はワゴン車にいた?
「多分いたと思います。中川さんとは話したけど高橋さんとは話してないんで、いたと思うけど覚えていません」

救急車の音がした時、被告はそこにいた?
「んー、どっかに行きなさいという指示は出してないんで、多分いたと思います」

それから?
「駅で井上さんが私に、勤務先に電話するようにと言うので、電話して出社を確認しました。出社していないことが分かりました。根掘り葉掘り聞くと怪しまれるので、出社していないことだけ確認して電話を切りました」

その結果を誰かに伝えた?
「井上さんに伝えました」

その後?
「ホテルコンソルトに戻りました」

部屋に誰かいた?
「うーん……。はっきりとした記憶はないですが、先程のメンバー6人がいたように思います」

どんな話をした?
「山形さんと新實さんの話では、『注射の針がHさんに刺さって追いかけられたんだ』と。直接VXが傷口から入ったので、10分後の救急車で運ばれた。直接入ってしまったので、すぐに部屋を引き払おうと。確か新実さんか井上さんが言った気がします。はっきりとは分かりません」

他には?
「もしかしたら、亡くなるかもしれないので部屋の指紋を全て消そうということになり、壁の拭き掃除をして部屋を全部片づけました」

そのあと?
「別れました。大阪を離れました」

その後、Hさんがどうなったか教えられた?
「教えられたかもしれないけど、覚えていません」


<永岡さん事件>

関与したいきさつは?
「事件の前の年、平成6年の年末に、永岡さんか息子さんをVXでポアする主旨のことを言われました」

誰に言われた?
「井上さんだと思うけどはっきりしません」

どこで言われた?
「覚えていません」

永岡さんのことを知っていた?
「被害者の会の会長をされていたと」

そしてどうなった?
「永岡さんの動向を確認するようにと言われ、CHSの部下に指示しました」

結果?
「永岡さんが自宅にいらっしゃらないことが分かりました。帰ってくるまで見張りの継続をすることになりました」

平成7年の1月4日、事件の現場に行った?
「行きました」

行ったのはその時が初めて?
「いえ、何回か。1回以上は行った記憶です。下見に行きました」

誰と行った?
「はっきりとは…。井上さんと行ったのは間違いないです」

「永岡さんが帰ってきたとCHSの人達から報告があり、襲撃の準備をしました」

準備とは?
「レンタカーの手配などです」

誰がした?
「あんまり覚えていないけど私がやったような気がします」

それから?
「手配が終わって、2台の車を走らせました。セダンタイプの乗用車と、ワゴン車。今川の家から出たと思うけど記憶にないです」

どうやってVXをかけるのかという話はした?
「あったと思うけど詳しい内容は覚えていません」

役割についての話?
「あったと思うけど詳しく覚えていません」

証人は何をすることに?
「私は永岡さんが家から出てきたときに実行犯に知らせる。乗用車の運転席で永岡さんの確認をする役割です」

乗用車には誰が乗っていた?
「隣に井上さんが乗っていました」

(実行役の補助をする役割が、新実から高橋被告に交代されたことについて)
「永岡さんと新實さんは面識があり、顔を見られるとオウムが疑われてしまう。まだ永岡さんに面の割れていない高橋さんがすることになりました」

(実行犯に知らせる暗号について)
「永岡さんは『クロオビ』という暗号。柔道の有段者なので。息子さんにも何か暗号をつけました。」

「1月4日に2台の車で行った後、乗用車は永岡さんの家の前の路地が見える位置に停車しました。ワゴン車の位置ははっきり覚えていません」

何か覚えていることは。
「永岡さんが出てこられました。○○に向かって、六本木通りじゃない方向に歩いて行った。で、高橋さんと山形さんがどこからか出てきて、二人が追跡したような気がします。永岡さんを。」

当日の天候は?
「雨、小雨が降っていたと記憶してます」

暗号『クロオビ』を言った?
「『クロベルト』と慌てて言ったような気がします」

その後?
「永岡さんが何もなかったように戻ってきました。高橋さんが、なんかVXに触れたと、病院に連れて行った方がいいと話したような、おぼろげながら。それで高橋さんを乗用車に乗せて中野区野方のオウムの病院に連れていくことになりました」

オウムの病院?
「AHIと呼ばれていたところです」

証人はどうした?
「私は井上さんの指示で、永岡さんの確認をするため現場に残って状況を見てました」

その後どうなった?
「新實さんと井上さんが乗用車で帰ってきました。そのまま合流し、永岡さんにVXをかけたということは分かりました。待機して救急車を待ちました。およそ2時間後、救急車が来ました」

「永岡さんらしき人が搬送されたとはっきり記憶に残ってます。どこに収容されるか知るために追跡しました」

誰が運転した?
「私が運転しました。赤信号だからって止めるわけにもいかない状況になったので、右折車が入ってきたのに少し接触して、当て逃げして別の方向に逃げました。
そのまままっすぐ行くと大きな病院があると中川さんが言ったので、多分慶応だろうと。そこだろうと言っていました」

その後、永岡さんがどうなったか聞きましたか?
「聞いたかもしれないけど覚えていないです」

ちょっと話が戻りますが、1月4日に現場に出発した時間帯は?
「たぶん朝です」

メンバーは5人?
「はい。井上さん、高橋さん、私、新実さん、山形さんの5人です」

その5人が永岡さんの事件について顔合わせした場面はあった?
「今の記憶にはないです。分からない」

証人は永岡さん事件を起こす時、VXの効力の認識はしていた?
「直接刺してしまったら何かしらの危険があるけれど、刺さなかったら一命はとりとめるという感じのことを思っていたような気がします」

Hさん事件の時はどうだった?
「傷口から入るVXという認識はなかったですね。皮膚から浸透して2時間くらいで効き目があると。ゆっくり浸透すると当時思っていたんじゃないかなと」

Hさん事件の時、井上が『公安のスパイ』と言っていて、証人は『本当にそうなのか』と聞き返したと。上司から何か言われた時、聞き返すことは当時あった?
「私自身が古い人間なので。正大師であった上祐さんでも普通に話すような人間なので、上下関係はあんまりなかったです」

証人がこの当時関わった非合法活動はVXだけ?
「産業スパイも関わっていました」

仕事の忙しさはどのくらい?
「3~4時間しか寝てなかったです。ずっと」

井上に愚痴を言うことも?
「私自身があまりにも忙しいから、どっかで失敗するんじゃないかと。準備をきちんとしないとと思ってました。教団を救おうとする活動をしているけど、失敗して教団に迷惑をかけることになりかねない。十二分に睡眠を取れば失敗は防げる可能性がある。もう少し仕事のペースを落としてくれということは言ったと思います」

Hさんをポアした時、どんな気持ちだった?
「当時は狂信的に信じていましたから、これは公安のスパイに対しての報復だと。やられる前にやってしまう、というくらいのことを思っていました。
私たちは警察ににらまれ、悪いこともしてないのにどうしてこんなのにらまれなきゃいけないんだと、妄想を持っていた。身を守るために防御しなくてはいけないと。オウムに対する破壊活動をするのであれば、報復せねばと」

永岡さんの時は。
「反オウム活動を続けている人だと思っていました。当時は。だから、いよいよやるのかなという気持ちでした」


VX事件全体に関わったことについて、今現在の証人の気持ちは。
「人の命を奪うということは、当時はその認識がありませんでした。人は生まれ変わっていくと。だから悪いこととは思っていませんでした。
人の命は地球より重いとよく言われますが、当時はそんなことはないという認識でした。
しかし、刑務所に入って、考えたり、本を読んだり、人と話したりしていって、その過程で、人の命が地球より重いかは分からないけど、人の命を粗末にできる存在ではないということがよく分かりました。
ですから、非常に申し訳なかったなと思っています」

(今回の出廷に際して)
「以前は狂信的で危険な人間でしたが、今は社会復帰しています。どうかそっとして頂けたらなと思います」


<検察側主尋問終了 休廷>