あなたの宗教は何ですか? | 人生を思いっきり味わう "充実の芸術家" になるブログ

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妻と一緒に両家のお墓参りに行ってきました。


同じ日本人のお墓参りであってもそのやり方は

家系や取り入れている宗派によって様々なので興味深いものです。


よく考えてみると、インドの80%超を占めるヒンドゥー教徒は

そもそも墓や霊園を持たず、基本的に火葬後は骨をガンジス川に流します。


ちなみに、インドの世界遺産のひとつタージマハルはお墓ですが、

あれはイスラム教徒のものです。





「あなたの宗教は何ですか?」

と聞かれれば、いままでは間違いなく


「いえ、特に何も……。無宗教かな。」

と答えていました。


でも、外国へ行ったり、外国人と付き合うようになって、

「本当に無宗教なのかな。」という疑問とともに

日本人の宗教観がいかに特別であるかを知るようになりました。


私自身もふくめて、

多くの日本人にとって葬式やお墓参りのときがそうですが、


私たちが最も宗教と関わりを持つのは人の 「死」 と向き合うときです。


しかし、本来は 「いかに生きるか」 を説くのが宗教なのであろうと思います。

 


日本で一番信者が多いのは仏教の中でも親鸞が開いた浄土真宗だそうです。


信者の数は1200万人を超えるというからすごいですね。


私の中学高校は偶然にも浄土宗の学校でした。


週に一回の宗教の授業で、


全く意味もわからず(笑

「南無阿弥陀仏」

と言わされていたことを思い出します。


仏教の中でも、

「南無阿弥陀仏」という念仏で有名な


親鸞が開いた浄土真宗と、


その師である法然が開いた浄土宗は、


歴史的にみて、私たち日本人の宗教観に大きな影響を与えてきたようです。

たとえば私の場合は、

たとえ念仏を声に出して唱えているわけではなくても、

実際に自分のチカラではどうにもならないことが起こったときには

心のどこかで

(うまくいきますように・・・)

(お願いだから助けて・・・)

と誰というわけでもない神様に無意識的に祈っているような気がします。

悪いことをすればバチが当たる

良いことをすれば天国へ行ける

嘘をついたら閻魔(エンマ)大王に舌を抜かれる、などなど

子どものころによく言われたことにも

日本人独特の仏教に通じる精神世界があらわれています。

そんな特定の宗教観を無意識的であってもちゃんとこころの中に持っていながら、

異教徒を否定せずに受け入れることができる日本人を、

私は誇りに思います。



さて、仏教には様々な宗派がありますが、


とりわけ自分自身のこころの中で何より日本が仏教国であることに共感できるのは、


ブッダの教えは向こうからやってこない、こちらから求めるものだ、という立ち位置です。


キリスト教には宣教師がいます。


他の宗教にもそれを広めようとする人たちがいます。


ときに、それが必要ではない人たちにまで洗脳しようとする宗教もあります。


また、他の神を信仰する宗教を邪悪だと考える宗教まであります。


「異教徒=敵」という構図が人間関係を壊し、

紛争や戦争を引き起こすのは簡単に想像がつきます。


広めようという意思がないのにもかかわらず

仏教が日本でこれだけ浸透しているのには理由があるはずです。


そのひとつとして、仏教には多様な価値観を認めることができるだけの 懐の広さ があるからだと思います。


日本古来から信仰されてきた「神道」もあらゆる事象に神を認める
多神教に分類されます。


チベット仏教を代表する最高指導者であるダライ・ラマ十四世はこうおっしゃっているようです。


「仏教徒になる必要はありません。よい生き方をすればいいのです。」


この大らかな考え方にこそ、

私は相当の理解を示すことができるし、

自分らしさと同居できるこころからの居心地の良さを感じます。



だからもし、

「あなたの宗教は何ですか?」


と聞かれれば、


「神道と仏教の両方です。」


と自信を持って答えたい。

そして、同じく多神教であるヒンドゥー教徒の多いインド人と

どこかで同じ価値観を共有できるのではないかと

これからのインド生活に向けてワクワクしています。