ドラクマについて | 探検塾

探検塾

好奇心のつづく限り、体力のつづく限り、

先月末からヒートアップしたギリシャの財政危機で、ギリシャがユーロ圏に残れるのか、残れないのならギリシャ通貨ドラクマをまた発行するのか、などと世間を騒がしてきた。

ドラクマという通貨名は、名前としてインパクトがつよいので、ちょっと調べてみた。

ちなみにドラキュラ伯爵はルーマニアなので、ドラクマとは何の関係もなかった。

ドラクマは一貫してギリシャの通貨であり、ギリシャは西洋文明発祥の地なので、とうぜんドラクマも古代ギリシャの栄光を浴してきた。


アテネのテトラドラクマ銀貨は、表の女神像よりも裏のふくろうにインパクトがあるようで、ふくろう銀貨と呼ばれている。発行された紀元前5世紀からアレキサンダ大王の登場以前には、地中海の交易にもっとも幅広く利用されていた通貨だった。

この当時、1ドラクマは労働者1日の賃金で、このテトラドラクマ銀貨は4ドラクマの価値があり、今の時代だと100ドルに大体換算されるらしい。

紀元前5世紀だと、ローマでは共和制に移行したばかりでまだ通貨はなく、物々交換で足りない部分は塩を使っていたらしい。たとえば、労働の1日の対価として塩 (SAL) をいくらかもらって帰るような生活だった。サラリーマンの語源といわれている。

日本で初めて貨幣が造られたのは、7世紀の和同開珎。ずいぶんと経済の発展の歴史がちがう。

ギリシャにとっては日本はどうでもいいだろうけれども、ドイツとの関係は気になるのではないだろうか。

いまのギリシャ危機で、敵役というか怖い先生役になっているのはドイツだ。ドイツにはテトラドラクマの時代にはまだ何の文明もなかった。紀元前1世紀になり、ローマのカエサルがガリアに遠征していた時に、ライン川以東のゲルマン人部族は野蛮すぎてローマ化は無理なのでローマの属州にはしないと切り捨てられたくらいだ。

しかしいまではドイツが主導するユーロ圏に何とか居座りたいというのがギリシャ。2千年以上の時間が経つと、地域経済の浮沈で通貨への立場も大きく変わるものだ。