いよいよラストです。
ここは、大大名(だいだいみょう)の柳澤吉保さん(中村橋之助さん)の館です。
ここは、大大名(だいだいみょう)の柳澤吉保さん(中村橋之助さん)の館です。
紫色のはちまきをしているのは、歌舞伎ではお約束事で病気中のしるしです。
紫色の染料である「江戸紫」は解毒作用もある薬草ですから、
冷えピタとかアイスノン的なものですね。
ここへ知らせが入り、おさめの方(中村福助さん)がやって来るとのこと。
まあ、普通ならばありえないことです。
徳川将軍の奥方だけを自分の屋敷に呼び寄せるなんてことは。
こっそり長持(運搬用の簞笥)の中におさめの方をしのばせて連れてくるとのこと。
綱吉公の館のそれなりの人物を脅したのか、賄賂でも握らせたのか、
柳澤さん、思いのままに出来ることはここまでのレベルに達しました。
「出世の欲というのは止まらないものだな。」
と口にします。
いくら出世を遂げて、富を権力を思いのままにしようとも
逆らえないもの、それは病気、寿命です。
病の床でいくら権力があろうとも、金があろうとも意味がない。
病気になっていると今までのことを振り返りがちなもの。
「この豪邸、この金、果たしてこれがわが物か?」
このあたりで悪に徹しようとしていた一人の男、柳澤吉保が
心に鍵をかけてしまっていた思いがわき上がってきます。
まだ柳澤弥太郎だったころ、くず屋にも引き取られなかった、
ぼろぼろの『論語』などの本を抱え、
「これは俺の物だ。」
と叫んでいた気持ちが放たれてしまいます。
非情に徹したはずの吉保の心の中で、葛藤が起こります。
「何が善で何が悪かわからない。」
連れ添うのは成瀬さん(上村吉弥さん)、売れない能役者で、
柳澤さんに目をかけられて、使ってもらっている人ですね。
柳澤さんも自分の姿を重ね合わせて見ているでしょう。
「私には、ご主人様が善でそれ以外が悪でございます。」
はたして出世して幸せになったのか?
貧乏だったあの頃が幸せだったのではないか?
到着したのはおさめの方です。久しぶりの逢瀬でしょうか。
「本日は、さめの点てたお茶を一服どうぞ。」
と、お茶を振る舞っている所に、護持院さんがやってくるとの知らせです。
昔の病といえば、悪いものが取り憑いているということで、
偉い人ともなると医者だけではなく、高僧がやって来て、
お祈り、お祓いをすることもあるでしょう。
そこへやってきたのは、桂昌院さま(片岡秀太郎さん)のお気に入りで、
僧侶としてもかなりの位まで登り詰めた護持院さん(中村扇雀さん)です。
さすがに病気のときは困ったときの神頼み、昔はライバルだったけど、
お坊さんの護持院さんに助けを求めたのか?
と、ご見物(観客)に思わせといて
護持院さんの一言は、
「私の名を(同じ犯罪をする)連判状から外してくれ~。」
つまり、護持院さんと柳澤さん(とその他の何人か)はもともと仲間だったのです。
(回想シーン1)
「弥太郎くん、ゴマスリ腹掛けで出世の巻」
・柳澤さんと護持院さんが仲悪い
これは、仲間と気づかれないための演技
・偶然、桂昌院さんの屋敷で会った
お互いに連絡とっていれば、会うことがわかっている。腹掛けスタンバイ。
・綱吉さん登場
まあ、綱吉さんが来なかったら次のときにすればいいし。
護持院さん、占いポーズで「腹掛けのようなものが」と切り出す。
柳澤さん、出世確定。
悔しがってるふりの護持院さんも、占いの信用度アップで内心ニンマリ。
(回想シーン2)
「ライバルを蹴落としちゃって出世の巻」
・護持院さん、柳澤さんの屋敷に登場
あらかじめ、綱吉さん、お伝の方、おさめの方が揃うと連絡してある
・護持院さんの占い「二人のうちどちらか」ってやつ
証拠は握っていたけれど、お伝の方の子供が綱吉の子でないと直接言っても、
シラを切られると、吉保が出世のために罠にはめたと言われるかも。
あるいは、おさめの方のほうも怪しいと周囲に言われる可能性あり。
そこで、お伝の方に自白する形にしたかった。
茶室でお伝の方が毒薬と聞いて震える様子をおさめの方が確認。
もし堂々としてたら、「占いはずれかも?」と綱吉さんに言って、計画見送り?
何人かとグルになっていれば、百発百中の占いをつくるのも可能ですよね。
護持院さんとかを含めて、一般的な感覚は「出世」して、
お金持ちになって美味いもん食べるぞとか、
バーゲンで買いまくるぞとか、いつも桟敷席で歌舞伎観るぞとか、
「出世」の結果として得られる、地位、名誉、利益がメインなわけなのです。
しかし、出世の欲望が尽きないのは柳澤吉保さん。
この人は感覚、価値観が違うわけです。
なにかのために「出世」したいのではなく、「出世」することそのものが目的なんです。
まだ上の役職「大老」、そして「将軍」とあります。
母の遺言でもあり、父が犬役人に殺されたの見て、非情な男になることを自らに課しました。
最愛の許嫁である、おさめちゃんまで差し出して、ただただ目的遂行のために進んできたのです。
柳澤さん、更に上の地位へとのし上がる次の作戦は井伊大老とか、水戸藩とか、
とんでもない強敵を相手にする作戦を考えていたんでしょうね。
普通のバランス感覚ではリスクというものを考えます、
バレたら殺されちゃいますから、護持院さん、
「もうこの辺でやめておこうや。いや、せめて自分だけでも止めさせてください。」
しかし、連判状とは裏切り者が出ないようにっていう性質の書面ですからねぇ。
護持院さんだけ抜けると言って、どこかで今までの悪事がバレてしまっては、
ここまでの努力も水の泡です。
隙を見て袈裟をまさに袈裟切りに一太刀浴びせます。
口を封じるしかない。
よろよろと逃げる護持院さん。
そこへ登場するのは、長年付き添ってきた権太夫(片岡亀蔵さん)。
いまは旗本職についています。
そして、この幕でも二日酔い。
この芝居、最初から最後まで酔っぱらいを貫き通しました。
肝機能、γ-GTPの数値は大丈夫でしょうか。
酔っぱらってるので、アンタッチャブルな話題にタッチしてしまいます。
「五年前、おぬしは病の床の桂昌院の首をしめたであろう。」
もう止まらない、これまで築き上げてきた一つひとつの「出世」が
崩れていくのを感じます。
引き返せません。
権太夫も斬ろうとします。
そこへ駆けつけたのは、成瀬さん(上村吉弥さん)です。
長年ともにすごされた兄のようなそのお方を斬ってはなりませぬ、
と止めに入りますが、
柳澤さん、権太夫を斬り、成瀬さんさえも斬ってしまいます。
茫然自失ながらも、逃げた護持院さんを追います。
舞台の下手には柳、上手の川べりに草むらがあり、そこには蛍が舞っています。
作品名の『柳影澤蛍火』がそのまま舞台に登場しました。
まず逃げてくるのは護持院さんですが、
追ってくる柳澤さんと揉み合いになります。
柳澤さんも息が上がっていますが、
立ち回りでなんとかもう一太刀浴びせて、
護持院さんは沢にドボンと音を立てて落ちていきました。
よろよろと立ち上がった柳澤さん、
ようやく邪魔者はすべて斬った、と思う所ですが、
草むらの蛍の光がヒトダマに、上手のほうには五年前に手に掛けた、
綱吉公のご生母にして、上品かつエロいおばあちゃんの桂昌院さん(片岡秀太郎さん)の亡霊が。
ああっ、と思って反射的に斬りつけますが、
これは幽霊ではなく柳沢吉保の心の中の投影(『四谷怪談』でも似たような展開?)、
実際に斬ったのは後を追ってきた、
綱吉公の奥方のおさめの方、弥太郎の許嫁だったおさめちゃんです。
「兄さま、昔のさめと一緒に死んで下さいませ。」
五年前に飲んだお茶は毒が入っていませんでしたが、
さきほどおさめちゃんが点てたお茶には、毒が入っていたのでした。
「あの時、さめは幸せでした。」
柳澤さんにも毒が回ってきています。口から血が。
いったいどんな心境なのか?
「出世を求めた吉保が手に入れたのは、ただひとつ、ひとりの女の心、女の情けであったのだなぁ。」
倒れながらもおさめちゃんと寄り添います。
すれ違いを繰り返しながら、ようやく気持ちが結ばれた二人、
「出世」の呪縛から放たれて心が通じ合えたこと確信している二人を
かすかな蛍の光が照らしているのでした。
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悪い奴と思っていたのに実はいい奴だった、
「モドリ」という歌舞伎の用語があります。
例えば、『すし屋』の権太とか、『東海道四谷怪談』の直助とかですが、
腹を切って死ぬ寸前に「実は~のためにわざと悪人のふりをしていて、」
みたいな告白をして、「お前、いい奴やったんか」という展開ですね。
柳澤さんの場合は、そこまで一気にに変わるわけではなく、
何かに背中を押されるように「出世」に手を染めて、
だんだん抜けられなくなったまま運命の歯車が回っていく中で、
自分を見つめ直し、価値観を洗い直して、
善悪とは何か、出世とは何かと悩み、葛藤して揺れながらも
最後にようやく自分の大切なものは何かを取り戻したという、
現代的な人物像でした。
共感しやすく、はじめて歌舞伎を観るという人にはぴったりの演目でした。
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初演の實川延若さんが素晴らしく伝説の舞台のように言われている、
この『柳影澤蛍火(やなぎかげさわのほたるび)』ですが、
37年も温存するんじゃなくて、もっと頻繁にやってくれ~、
と思うほどの素晴らしい脚本だったと思います。
しかし、その一方では、
現在の橋之助さんにぴったりの柳澤吉保、
福助さんにぴったりのおさめ、納得のキャスティングで、
完全復活の時期を待っていたかのようにも思えてしまいました。
成駒屋の代表作となって、全国で上演されることを期待しております。