第120回_東芝の悲劇 | 【松下幸之助、創業者、名経営者、政治家に学ぶ】          

第120回_東芝の悲劇

雑誌「財界」の創業者、故・三鬼陽之助(みきようのすけ)が「東芝の悲劇」(光文社)を出版したが当時ベストセラーになった名著である。今読み返してみても企業の病根というものは現代も、昔も変わらないと思うのでどの業界の経営者、経営幹部が読んでもきっと勉強になるだろう。


この本は当時(昭和41年頃)無配転落になっていた東芝の起源から調べ、競合の日立、三菱、松下(現パナソニック)と比較し、石坂会長・岩下社長の確執がもたらした経営陣の内紛、時機を逸した設備投資、重電、軽電の派閥抗争、甘い販売政策、仕入れ政策、外国技術編重など名門といわれた東芝の病根となる原因をあらゆる角度から分析した内容の著書であるが、病根の原因の一つが名門意識が強く消費者の声や、下から上がってくる情報をキャッチしないことにあると指摘している。このことは当時の東芝に限らず現代のどの大企業にもいえることではなかろうか。


「東芝の悲劇」の中で三鬼は情報をキャッチしないのは東芝の名門意識からくる奢りとして指摘している個所があるので要約引用してみる。


石坂が社長の時代、友人であるリコーの創業者、市村清が、石坂に忠告したことがある。その場に三鬼もたまたま同席しており話を聞いていたという。「市村が三越に行き、電機製品を購入しようと、日立、東芝、松下と並ぶなかで、物色していたところ、三越の店員が、しきりに松下の製品をすすめたのである。市村は、石坂に師事している関係もあり、この光景に憤慨した。天下の三越ともあろうものが特定の製品を優先推奨することに、ある種の疑惑を持ったからである。と同時にいまさらながら、東芝の商売ベタにあきれた。」そこで石坂に直訴したのである。石坂は、市村の直訴に、素直に耳を傾け、おおいにうなずいていた。石坂のこと、自分もその種の体験をしたといった得意な方言をしていた。


しかし、その後、三鬼がこの市村の直訴を石坂以外の首脳部にも伝え、反省を求めたが、表面、しごくもっともと言いながら、それを実現に移す努力をしなかったとある。「要するに、わが社の製品は、ナショナルに比較、いちだんと優れているのだから、買わないほうが間違っているという思想がある」「もっとつき進むと、ナショナルは、製品に自信がないから、販売にかくべつの手段を用いているのだというのである」これはある同業者の述懐である。過般、東芝とのあいだに、紛糾が生じ、解決の手段として、石坂の次に社長になった岩下に、このことを内容証明的な文章で送付したところ、岩下は、その事件自体をぜんぜん知らなかったといわれている。この事件は、相手が日立、松下なら即刻、すくなくとも数時間以内にその首脳者の耳に到達することは間違いないと三鬼は指摘する。

具体例として、大日本製糖(現大日本明治製糖)元社長の藤山愛一郎(日本商工会議所会頭、外務大臣も経験)が、ホテル・ニュージャパンを創立するさい、エレベーターは日立製品を使わず、三菱電機から買ったとき、日立の倉田(2代目社長)が、その経緯を研究、反省したことがあるという。この謙虚さは、遺憾ながら大東芝には見出しがたいと三鬼は指摘している。



では松下はどうか。イトーヨーカドーの創業者、伊藤雅俊が書いた「商いの道」(PHP研究所)にこんなエピソードが紹介されている。


昭和53年(1978)当時、札幌にある百貨店・松坂屋さんの中に松下電器(現パナソニック)さんのショウルームがありました。その松坂屋さんとイトーヨーカドーが業務提携を行うにあたり、松下電器さんのショウルームが撤退されることになりました。その時の撤退の仕方が、次に使用する人のことを考え、破損箇所の修理はもとより、清掃まできっちりとした心のこもったものであったとの報告を担当者から受けた、松下電器さんの日頃の社員指導による社風の表れであると非常に感銘を受けたのです。そこで早速その気持ちを手紙に綴り、松下幸之助さんに出しましたところ、次のようなお手紙をいただきました「当然のことをごく自然に行っただけにもかかわらず、お褒めの言葉をいただき、ありがとうございました。そんなことがご多忙を続けておられるあなた様のお耳にまで入るということは、経営において最も大切な、社内における円骨な意思疎通が立派に行われていることの証だと思います。それが今日の御社を築き上げられたのだと感じ入っています。お手紙は、わが社の社長をはじめ経営幹部に見せまして、経営強化の貴重な教材に活用さていただく所存です。」伊藤はこの返事に改めて松下幸之助の凄さを感じて早速社内報に「商売の原点を学ぶ」というタイトルでこの手紙の経緯を紹介し、さらに幹部に対しては「経営の原点」という冊子をつくり部下の育成に活用させたという。



日立、松下ならば即刻首脳者に報告が上がることを、名門意識の驕りから報告が入らなくなったのが凋落の原因の一つという三鬼の指摘は実に正しいといえるだろう。現代の経営者、経営幹部も参考になる話であると思う。 


 

文責 田宮 卓



参考文献


三鬼陽之助 「東芝の悲劇」 光文社

伊藤雅俊 「商いの道」PHP研究所