第119回_東芝の悲劇_マスコミ対応で分かる経営者の器 | 【松下幸之助、創業者、名経営者、政治家に学ぶ】          

第119回_東芝の悲劇_マスコミ対応で分かる経営者の器

会社のことを公然と批判されたら経営者はいかなる対応をとるべきか。怒り狂う人、わめき散らす人、反論する人、弁明に走る人、事実と違う批判であれば正す人、沈黙する人と様々であろうがどういう態度をするかでその経営者の器が計れそうだ。

 

雑誌「財界」の創業者、故・三鬼陽之助(みきようのすけ)が「東芝の悲劇」(光文社)を出版し当時ベストセラーになった。当時(昭和41年頃)無配転落になっていた東芝の起源から調べ、競合の日立、三菱、松下と比較し、石坂会長・岩下社長の確執がもたらした経営陣の内紛、時機を逸した設備投資、重電、軽電の派閥抗争、甘い販売政策、仕入れ政策、外国技術編重など名門といわれた東芝の病根となる原因をあらゆる角度から分析した内容の著書である。

その時の東芝の社長が再建を頼まれ乞われて社長になった故・土光敏夫(どこうとしお)であった。土光は中堅企業だった造船会社、石川島播磨(現IHI)を世界的な造船会社にした実績を持っている。この時の土光の態度が実に立派であった。出版社「経済界」を創業した佐藤正忠(さとうせいちゅう)が土光の鶴見(横浜市)の自宅を訪ねてこの本の感想を聞くと「-うちの連中に、読めといってるんだよ。反省すべきところは、大いに反省しろといっているんだよ・・・」と言ったという。そしてまた「いや、あれだけ調べて書いてくれた三鬼君に、感謝しているんだよ」これが土光の感想であったという。

なんとも度量が大きいというか実に謙虚な姿勢である。こういう人間が社長になったからであろう、東芝はその後、土光の指揮下のもと見事に業績を回復していった。

 

文責 田宮 卓



参考文献

佐藤正忠 「佐藤正忠の経営辻説法」 経済界

三鬼陽之助 「東芝の悲劇」 光文社