第118回_小田急バス_学歴、学力よりも人柄 | 【松下幸之助、創業者、名経営者、政治家に学ぶ】          

第118回_小田急バス_学歴、学力よりも人柄

社会に出て大事なのは学歴、学力よりも人柄ではなかろうか。官僚や大企業の世界では学歴がないと出生が難しいかもしれないが、そういう世界でも人に好かれる方が上にいくことはただある。そんなお手本のような人物がいる。

  

長野県の上田中学、東京の成城高校、成城大学と進学していくが勉強はあまり出来なかった男がいる。この男はとにかく世話好きで面倒みがよく誰からも好かれた。中学生の頃から同窓会や体育会や文化際の幹事を何時も引受けたり開催したりしていた。勉強はともかく人集めをさせれば右に出るものはいなかったという。

大学を卒業することになり就職活動はするが、朝日新聞、日本経済新聞、サッポロビールと受けた会社は全て不採用となってしまった。この男は仕方なく父親のコネに頼りなんとか小田急バスに入社が出来た。昭和33年(1958年)のことである。お世辞にも優秀な男とは言えないであろう。

入社すると人事担当者が皮肉ってか「今年の採用には、ずば抜けて優秀な者と、自由奔放に走り回る奴とがいる」と言った。それを聞いてこの男は肩身の狭い思いをした。しかしそんなことでクヨクヨするような男ではない。新人社員教育が始まると、持ち前の明るさでたちまち同期や上司と打ち解けてしまう。最初は東京・吉祥寺営業所で庶務の仕事を与えられる。人に好かれる性格から車掌たちも警備員までもこの男の仕事を手伝うようになるので仕事はどんどんはかどる。

入社してから2年で希望の本社観光課に転属することになった。ただこのころの観光課の悩みは、春、夏、秋の観光シーズン以外は、まったくといっていいほど観光バスの需要がないことであった。バスが動かないことには商売にならない。そこでこの男が対策にあたるのだがメキメキと頭角を現すことになる。学生たち、若者、お年寄り、あるいはそれぞれ業種別に、マッチしそうな旅行企画を、次々と打立てていく。幼稚園の旅行や学校の修学旅行の他、学者の旅行も企画した。さらに、企画としてありながら、使われていなかった「文学散歩」「史跡散歩」「植物の旅」などを掘り起こし実行していく。どんな雑用も進んで行い、どんな人の中にも入っていき、それも明るく楽しくやってきたことが人付き合いの輪を広げていく結果となったが、そのことが大いに仕事に役立っていったのだ。この男は後に政治家に転身し内閣総理大臣になる羽田孜(はたつとむ)である。

 

文責 田宮 卓



参考文献

仲 衛 「羽田 孜という男」 東洋経済新報社