第115回_浅野総一郎_駅名地名で読む偉人の物語(1) | 【松下幸之助、創業者、名経営者、政治家に学ぶ】          

第115回_浅野総一郎_駅名地名で読む偉人の物語(1)


今日は横浜市のJR鶴見駅に用があっていったので、ついでに前々から機会があったら乗ってみたいと思っていた鶴見線に乗った。鶴見線は横浜市鶴見区と川崎市川崎区の埋め立て地である京浜工業地帯を走る電車で乗客のほとんどが工場の従業員である。何故このローカル線に乗ってみたいと思ったか、それは「浅野駅」「安善駅」「武蔵白石駅」と駅名が日本の工業化に貢献した人達の名前に由来しており、その工業化の成立ちの歴史を感じることが出来ると思ったからである。


浅野駅は浅野財閥を築いた浅野総一郎、安善(あんぜん)駅は金融王(旧富士銀行、現みずほフィナンシャルグループの創業者)といわれた安田善次郎、武蔵白石駅は旧日本鋼管(現JFEスチール)の創業者、白石元治郎の名前にそれぞれ由来している。終着駅の扇駅は浅野家の家紋が扇であったことに由来している。何故彼らの名前が駅名になっているかといえばこの京浜工業地帯を造った生みの親だからである。つまりこの線の駅名が京浜工業地帯の成立ちの歴史を物語っているのだ。


京浜工業地帯は浅野総一郎が構想した計画で安田善次郎が資金的なバックアップをしてつくられた。そして京浜工業地帯の代表的な企業が旧日本鋼管であるがこの会社を興したのが浅野の女婿の白石元治郎であった。


浅野は浅野セメント(現太平洋セメント)、海運、石炭、石油、水力電気、鉄道、電機、造船、鉄鋼、不動産と次々に事業を興し財閥を築いていったが、最後に手がけたのがこの臨海工業地帯の開発であった。明治43年(1910年)の初秋のこと、神奈川県の鶴見川の川口から川崎の沿岸にかけての浅場を埋め立てて一大工業地を造成しようという計画で、当時の経済常識では破天荒すぎる計画であったので最初は誰も協力者はいなかった。「また浅野の大ボラ吹きかと世間はせせら笑った。」が、驚くことにこの浅野の気字壮大な計画に「面白い」と支持し、さらに、すべての事業資金を無担保で提供しようという男が現れた。その男が安田善治郎であった。同じ越中富山の出身という同郷のよしみもあったであろうが、世間では「浅野にカネを出すのは狂気の沙汰、大金をドブに捨てるようなものだと」酷評した。しかし安田は「天下広しといえども浅野ぐらいの仕事師はいない。浅野でなくては大きな仕事は出来ぬ」と全面的に支援した。


安田の資金的支援があり浅野は日本初となる港湾と工場を一体化した臨海工業地帯の開発に成功し京浜工業地帯は日本の本格的重化学工業地帯となった。浅野は臨海工業地帯開発の父としても歴史に名前を残こすことになる。

安田は事業の成否について「一にも人物、二にも人物、その首脳となる人物如何によって決まる。経営にあたる人物が満腔(マンコウ)の熱心さと誠実さとを捧げて、その事業と共に倒れる覚悟でかかれる人か、否かだ」と語ったとされる


今は先の見えない不景気。経済成長戦力を早く打ちたてろと財界は政府に要望するが、こういう時だからこそ政府に頼るのではなく、経営者は浅野のようにチャレンジ精神を持って事業にあたり、銀行家は担保に頼らず安田のように本物の事業家を見抜き全面的に支援をしていくことが大事ではなかろうか。


文責 田宮 卓

参考文献

田村 明 「都市ヨコハマ物語」 時事通信社

宇田川 勝 「日本の企業家群像」文眞堂

青野豊作 「名言物語 人生の極意、経営の勘どころ」講談社

日本経済新聞社 「20世紀 日本の経済人」 日経ビジネス文庫

加来耕三 「日本創造者列伝」 人物文庫 学陽書房



安善駅も浅野駅も無人駅であった

明治、大正、昭和の経営者、政治家の生き方に学ぶ-安善駅 明治、大正、昭和の経営者、政治家の生き方に学ぶ-安善駅2

明治、大正、昭和の経営者、政治家の生き方に学ぶ-浅野駅2 明治、大正、昭和の経営者、政治家の生き方に学ぶ-浅野駅
明治、大正、昭和の経営者、政治家の生き方に学ぶ-電車