私は普通の人よりエモーショナルなものに敏感なのかもしれないと
思うようになったのは、実はつい最近。
周りの人がどう思うかがとっても気になるし、
他人の私に対する否定的な感情にも敏感だ。
ただ、私は弱虫で、傷つきたくないために、
自分の感受性のアンテナをしまいこんでしまっていた。
そうすれば傷つかずにすむからだ。
落ち込むことも少なくなるからだ。
でも、その代わりに、片方を固定してしまった秤のように、
悲しみに振れない心は喜びにも振れない。

この世界が陰陽分ちがたく、その二つが揃って完全な形であるように、
人の心も喜びや愛といったポジティブな感情と
悲しみや怒り、不安、嫉妬といったネガティブな感情の二つが揃って完全なものになる。
ネガティブな感情がないところには、ポジティブな感情さえもあり得ないし、
ポジティブだけを受け取ることは不可能なのに
どうして、人はネガティブなものだけを排除しようと躍起になるのだろう。
どうして、私は、傷ついたり、悲しんだりすることを避けようとしてきたのだろう。

人に裏切られたり、だまされたり、利用されたりした時、
ぼろぼろになって、くやしくて、悲しくて、傷ついて、
私は、そんな気持ちに耐えられなくて、その感情を葬ろうとしてきた。
それが自分を守る方法だと錯覚していたし、
心を平安に保つ方法だと信じていた。
でも、大好きなある人がそうでないことを教えてくれた。
その人は元気な私も、へこんでいる私も、どっちも好きだと言ってくれた。
落ち込んだり、嫉妬したり、怒ったりしてもいいんだと言ってくれた。
ポジティブに生きるということは、
ポジティブな感情もネガティブな感情もその両方を味わいつくし、
それでも生きる事を肯定して前に進む生き方なんだとその人は教えてくれた。

泣いたり、笑ったり、怒ったり、うきうきしたり、うんざりしたり、どきどきしたり、
心が感じるままに、それはきちんと感じればいい。
その時の感情を目一杯味わえばいい。
それはとっても必要なこと。それはとっても素晴らしいこと。
ただ、そのためには自分のネガティブな感情と
正面から向き合えるだけの強さが必要だ。
自分の中にそんなものがあるなんて、認めたくないし、見たくもない。
でも、ちゃんとその存在を認めてないと、
ネガティブな感情に振り回されて
自分をコントロールできなくなったり、
ネガティブな感情をずっと引きずって
自分の中に固い塊のようなものを作ってしまったりする。
そうなった時にネガティブな感情は私たちにとって有害になるのだと思う。
ちゃんと向き合って、その時その時に消化してあげれば、
ネガティブな感情は、私たちの人生の推進力になるだろう。
だから、強くなりたい、そう思う。

傷つく事もまたあるだろう。
でも、私はそろそろと感受性のアンテナを再び掲げようと思う。
私にそう思わせてくれた彼女との出会いに感謝しながら。
そして、強くなろうと決めた。
現実から目を背けないこと。
傷つくことを恐れないこと。
自分の身の丈を知ること。
強くなるということは、そんな当たり前のことなんだと思う。