誰ひとりとして、「かわいそうな人」「負け組の人」「失敗している人」なんてこの世にはいない | あなたがあなたらしく輝くことは世界を明るく照らすこと。ブログby千珠

あなたがあなたらしく輝くことは世界を明るく照らすこと。ブログby千珠

世界平和とは、自分から切り離された自分との統合。母なる大地と父なる天の愛し子として地上にエデンを再創造していきましょう。
※珠帆美汐(たまほみしお)は2019年9月に本名の千珠(ちず)に改名しました。

皆様

お誕生日メッセージありがとうございます。

せっかくの心のこもったメッセージにまったくお返事ができておらず、お心苦しいばかりですがく~(落胆した顔)

月曜日以降にでもおひとりおひとりにお返事させていただきますねぴかぴか(新しい)


私は先週末に行われた木下のりピーのNEWファミリーコンステレーションに主催者として同席して、すごい感動体験をしておりました。

その好転反応とか浄化とかなのか、月曜から水曜まで寝込んでおりましたふらふらあせあせ(飛び散る汗)


セラピスト界のアイドル、木下のりピーこと木下典瑚さんのNEWファミリーコンステレーション、本当に素晴らしい体験でした。

「いのち」っていうことに対する気づきが格段に深まりました。

「男性性-女性性」「父性-母性」「親-子」など、命の受け渡しシステムの背景に対する気づきが格段に深まりました。

「生」と「死」について、多くの気づきと洞察を得ました。


そりゃ浄化で寝込むのも納得の、深い深い体験でした。


私、今まで、「家系」とか「先祖」という言葉って、ちょっと抵抗があったんです。

ネガティブな印象があったというか。

脅しと一緒に使われることが多い言葉、というイメージがあって。

「先祖を供養しないと仕事がうまくいかない」とか。

「お墓をちゃんと守らないと、子供に悪影響が」とか。

「仏壇はしきたり通りに正しく祀らなければ」とか。

「長男だから」「本家だから」っていろいろ束縛される、とか。

「親の因果が子に報い」とか。


家系とか先祖とかっていう言葉に、封建主義の悪しき因習の象徴というイメージを抱いてました。


でも、目からウロコが落ちましたよ。

私たち、命を受け継いで今生きているんですね。

当たり前のことが腑に落ちました。

私たち、親から、そしてその親の親から、その親の親の親から、命を連綿と受け継いで今生きてるんですね。

理屈ではとっくに良くわかっていた事実が、ストンと腑に落ちました。

NEWファミコンを通して。


人類誕生以来、何万年(?)という長い歴史の中で、数多くの危機を乗り越えて、

貴重な命、貴重な遺伝子が、私に手渡された。

何人もの何人もの何人もの手を通ってきた命のバトン。

飢饉や災害や疫病や戦争などの危機の中、我が子を守り抜いた先祖がいたから、この命は私にまで届いた。

事故や病気や絶望や悲嘆に屈せずに生き抜いた先祖たちがいたからこそ、この命は私にまで届けられた。


この命の重みに、涙が出ます(><)

私一人の命じゃなかった。

私一人のカラダじゃなかった。

いや、私ひとりのものだとは思っていませんでしたが、でも、これほどまでの気が遠くなるような人々の想いや人生の重みが乗っているとまでは思いが及んでおりませんでした。

すごいことですよね。


これ、私だけのことじゃないんですよ。

今生きている人たち全員が、そうなんです。


誰ひとりとして、「かわいそうな人」「負け組の人」「失敗している人」なんてこの世にはいないのだ、って思いました。

だって、みんな、命のバトンリレーのトップ走者だもの。

何万年もの時間を危機を乗り越えて受け継がれてきたDNAを託された人だもの。

生き抜き、子孫を残すことに成功した人たちの頂点に立っている人だもの。

みんな、勝者。

みんな、トップ。頂点。


NEWファミコンの中で、他にもたくさんのことを感じました。

たとえば、「生と死」をめぐる葛藤がひとつ、解消しました。

死を恐れすぎなくていいし、生を恐れすぎなくていいってことがわかりました。

生と死は対立事項ではありませんでした。

生あってこその死、死あってこその生。

補い合うものでした。

人は生と死と両方を大事にできる。

本来、父と母の両方を大事にできるように。


典瑚さんが、「母性は死と近く、父性は生と近い」とおっしゃってました。

母性は死から命を誕生させますし、父性は生まれてきたいのちを母性から引き離して社会へとつなぎますし。

私は両親が仲が悪かったために、
どちらか一方の味方をしてもう一方と対立しなければならない、って思い込んでいたんだなあ。

そういうものじゃなかった。

私は生きながら死を大事にできる。

精一杯この命を生ききることで、死を尊重できるんだ。

死を尊重することで、この命を生ききることができる。

生は死を支え、死は生を支える。

食べられる草食獣が、死ぬことで肉食獣の生を支える。

死ぬ肉食獣は、その遺体を大地に捧げることで、草食獣を養う草の命となる。

死は生を輝かせるための刷新の機会。

生と死は生命エネルギーの両親。

生と死がむつみ合い、そこから躍動する生命エネルギーがほとばしる。

 

月曜から三日間、寝込みながら、この気づきを噛み締めていました。

私はこれから、生きることを怖がらなくて済む気がします。

自分が生きることで、周囲を殺す(生きてると他の命を殺して食べることが必要になる、
とか。そういう象徴的な意味での殺す、ね。)ことを必要以上に恐れなくて済む気がしています。

 

「私が私らしく輝くことは、周囲を明るく照らすこと。」

私のブログやHPに書いてあるキャッチコピー。

これ、真理だと思うんだけど、こういう風に言い換えることもできる。

「私が私らしく輝くことは、周囲を少しおびやかすこと。」


おびやかしが生じ、何かしらの葛藤や諍いが生じるからこそ、輝きも生じる。

影があるからこそ、光があり、光があるからこそ、影が生じる。

なにかしらの葛藤や戦いなくして、人は輝かない。

少し存在を脅かされるからこそ、そこに気づきや洞察や乗り越えや昇華が生じる。

生と死が真正面からがっぷり四つに組むからこそ、そこから躍動する生命エネルギーがほとばしる。


私はもう、周囲をおびやかすことや周囲に葛藤を引き起こすことを恐れるのをやめようと思います。

私はもう、死の影を恐れるのをやめようと思います。

葛藤、終焉、喪失、敗北。

そういうものがあるからこそ、

    そこから躍動する生命エネルギーがほとばしるとすでに知っているから。



皆さん、NEWファミリーコンステレーションwith木下典瑚、本当にすごいですよ。

セラピーグルメにしてワークショップグルメだと自分のことを思っていましたが、

その私をして「こんなの初めて」と言わしめましたぴかぴか(新しい)

あぜさんがあれだけ絶賛していたの、わかります。


12/23に東京でワークショップあるようですよ。

ご興味の湧いた方はぜひ。

やや欠け月12月23日(9:30-16:30)
東京都国際芸術センター9F
( 東京都足立区千住仲町18)
10,000円(税込)
http://kokucheese.com/event/index/123941/