アウシュビッツの心理学~生きることと収容所生活との類似点 | 細胞アーティストOumaのアート活動記録

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アウシュビッツで3年間の強制労働に従事した
精神科医、V・E・フランクルは、収容所の囚人たちの
心理を観察し、このような見解を残しています。


最初に精神的人間的に崩壊していった人間のみが、
収容所の世界の影響に陥ってしまう。
また、内面的な拠り所を持たなくなった人間のみが
崩壊せしめられた。


収容所には釈放期限がない。
つまり、終わりのない永遠の苦なのだ。

強制収容所の囚人たちの存在は
「期限のない仮の状態」になるという。

仏教の教えで、「一切皆苦」という言葉がある。
娑婆の全ては「苦」なのだと。

それが「楽」なのが普通だと思うから苦しくなる。
生きることはすべてが「苦」。
「楽」だと感じられることは奇跡なのだ。

でももし、「苦」を楽しむことができれば、
世界の「苦」の中に「楽」が常に内在し、
すべての「苦」はイコール「楽」になる。

すべては自分の選択ということだ。

さて、この収容所生活のような心理状態ですが、
失業者の場合にも似たような心理に陥ることがあるそうです。

ラテン語のfinnisという言葉には、
「終わり」という意味と「目的」という意味がある。

現在の存在形式の「終焉」を見極めることのできない人間は、
自身の目的に向かって生きること、
自分の将来に向かって存在することができなくなる、
フランクルはそう言う。

生きることには必ず終わりがくる。

ただ、通常はいつが終わりなのかは
自分で知ることはできない。

人間として生まれながら、
途中で鳥に変わることもできない。

自分たちは「人間」という収容所に
永遠に閉じ込められているのと
同様の状態なのかもしれない。


自身の未来を信じることができなかった人は、
収容所で滅亡して行った。

未来を失うと共に彼はそのよりどころを失い、
内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落したのだ。


急激に転落した囚人は、
威嚇されても殴打されても動くことをせず、
また病気であっても病舎に行くのを拒否し、
自らの糞尿にまみれて横たわり続けるという。

彼は自己を放棄した
もはや何者も彼をわずらわすことはない。

フランクルはそう書く。

参考文献は引き続きこちら。
夜と霧 新版 V・E・フランクル

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