「安倍首相は敵が攻めてきたらどうするかと脅しながら戦争する方向で進めている」画家 野見山暁治さん | 千葉市議会議員 かばさわ洋平  GET BACK TO DEMOCRACY 

「安倍首相は敵が攻めてきたらどうするかと脅しながら戦争する方向で進めている」画家 野見山暁治さん

安倍首相は敵が攻めてきたらどうするかと脅しながら戦争する方向で進めている!

 

戦没画学生の絵を集めた「無言館」を創設するなど、多方面で活躍する文化勲章を受章した画家の野見山暁治さんが、安保法制や改憲の動きをみて安倍政権が国民を脅しながら戦争する方向で物事を進めていると厳しく批判しています。マイナス20度の場所でソ連軍と向きあってきた戦争体験などから、いつかまた戦争が始まるという恐怖感があると語っています。昨年、「無言館」を私も訪れました。多くの若き才能ある画家が戦地に駆り出され命を落としました、戦没学生の絵は私たちに二度同じ社会をつくってはいけないと呼びかけられていると感じました。

 

 

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赤旗日曜版 10/9

 

 

戦争のなかで育ち、当時の日本は軍事力を増やせば世界を制覇できるんだと思い込んでいた。おふくろも僕が生まれた時から、この子は大きくなったら戦争に行って殺されるのだと思っていたそうです。だから、僕が大きくなるのを喜びつつも悲しかった、と戦後になって聞きました。戦死させるために子どもを育んでいる気持ちだったと。あのころの親は、そうだったのでしょう。

 

あのころは、みんな「祝出征」と、旗を立てて壮行会をやった。僕は、そんな宴会はやめてほしかった。出征前夜くらいは部屋を片付けたり、ひとりで静かにさせてと言ったけれど、おばあさんやおやじが、「それでは世間が通らない」と。

 

壮行会で、おまえもあいさつしろと強いられて、突然、こんな言葉を叫びました。”私は日本に生まれた世界の一市民です。それなのに、どうして他民族と戦わなければいけないのか。そんなことで死にたくない”

 

周囲の人があわてて止めようとした。激励の言葉を聞いてるうちに、耐えられなくなったんです。「我はドイツ生まれたる世界の一市民なり」とドイツの詩人が書いていて、それが突然浮かんだんです。将校がもう一度言ってみろとすごんだけれど、止まらなかった。生きて帰れるとは思っていなかったので、本音が出ました。おやじは怒り、おふくろは泣き出す。大騒ぎになりました。僕は弱虫で軍国少年ではない。人と争うのは好きじゃない。

 

マイナス20度くらいになる場所で、ソ連軍と向き合っていました。いつ戦闘が始まってもおかしくはい雰囲気でした。風呂上がりに、外を歩くとすぐにタオルが凍ってカチンカチンになる。あまりの寒さに、敵も味方もなぜこんな場所に集まっているのだろうと、あきれました。

 

僕はもともと肺病を患ったことがあり、戦場でそれが悪化して日本に帰されました。釜山港から船で日本へ帰る時、日本から来た兵隊たちとすれ違いました。白衣の僕らに「ご苦労様です」という。まだ子どもみたいな兵隊ばかりでした。僕は立ちふさがって、おまえたち戦場に行くなと言いたかった。日本はそのうち負け、戦争は終わるだろうと実感していましたので。ソ連軍と向き合いながら、なんで無謀な戦争なんだと思いました。

 

あの戦争を体験した者として、いつかまた戦争がはじまるかもしれないという恐怖感があります。窪島誠一郎さん(無言館館主)との出会いやテレビ番組への出演など、いろいろなきっかけがありましたが、戦没画学生の家を訪ね、残された絵を集めるようなことをしたのは、戦争が始まるかもしれないという不安があったからです。

 

安保法制や改憲などの動きをみると、安倍首相は敵が攻めてきたらどうすると脅しながら、戦争をする方向で物事を進めている。でも、日本はもう二度と戦争はしない、そういう立場から考えていってほしい。平和をまっとうすることは、戦場で血を流すくらい難しいことでしょうが。