「憲法9条はもう戦争はごめんだという心の底からの決意」森英樹さん | 千葉市議会議員 かばさわ洋平  GET BACK TO DEMOCRACY 

「憲法9条はもう戦争はごめんだという心の底からの決意」森英樹さん

「正しいことぐらい強いものはありません」


米議会で集団的自衛権法制を夏に成立させると言い切った安倍首相。そして日米ガイドラインの政府間合意で切れ目なくアメリカの戦争に付き合う国へと変わろうとしてる日本。憲法を大きく踏み越えようとしてるなか、憲法記念日を迎えました。憲法学者である森英樹さんのイタンビュー記事を紹介します。実は平和学における積極的平和主義と安倍首相のいう平和主義は違うということ、そして1947年自民党政府は憲法9条を前に「正しいことぐらい強いものはない」と語ってたということに驚きました。安倍流積極的平和主義では、アメリカのように負の連鎖を生み続け、真の解決にはならないと感じます。




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赤旗5/3



憲法9条の根底にあるのは、戦争に明け暮れた国民の被害体験と、アジア諸国民への深刻な加害への反省から、もう戦争はごめんだという心の底からの決意に他なりません。憲法の制定過程には紆余曲折がありますが、この9条を受け取った国民は「これでもう殺しあうことはない」と心底から安堵したのです。

9条はすべての「戦力、武力行使、武力による威嚇」を「永久放棄」し、そのためにすべての戦力の不保持と交戦権の否認を決めています。どう読んでも「丸腰でいこう」という高貴な決意です。9条制定当時から「丸腰ではどうも」という懸念の声はありました。

しかし、当時の、自民党の先輩たちによる政府は「みなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に正しいことぐらい強いものはありません」と説いていました(文部省『あたらしい憲法のはなし』1947年)。

中略


安倍首相は9条を壊すのに「積極的平和主義」なるものを持ち出しています。平和学では、戦争のないことを消極的平和と呼び、戦争の原因になる貧困や差別や搾取などの構造的暴力をなくした状態を「積極的平和(positive Peace)」と呼んできました。ところが言葉は同じでも安倍さんの「積極的平和主義」はまるで違います。

安倍流「積極的平和主義」は、対外的には首相の米議会演説でもそうだったように「proactive contribution to peace」と発信していますので、訳せば「平和のために先手を打って貢献すること」と言ったほどの意味ですが、これは湾岸戦争あたりから盛んに言われた「一国平和主義」批判のなかから登場した軍事的「国際貢献」の発想です。

ここには構造的平和という発想がありません。国際紛争は何らかの構造的理由で起こるのですから、それをひたすら軍事力で解決しようとしても真の解決にはなりません。憲法前文の言うように、「全世界の国民が恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する」という構造的平和をつくりだすことこそが、「積極的」な紛争解決の道なのです。