「家に火をつけ撃ち殺した」元関東軍 船生さんの証言 | 千葉市議会議員 かばさわ洋平  GET BACK TO DEMOCRACY 

「家に火をつけ撃ち殺した」元関東軍 船生さんの証言



戦争体験者の証言が3/30の赤旗日曜版で紹介されてました。

日本はいま戦争を体験したことがない政治家が勇ましいことばかり言って、戦争できる国に変えようとされてます。今こそ体験者の被害的側面だけでなく、加害的側面にも目を向けないといけないと感じます。戦争に本当の勝者なんてないのです。


「家に火をつけ撃ち殺した」私が犯した残虐極まりない罪 
元関東軍 船生退助さんの証言





42年春、熱河省の白馬関に駐屯していた私の中隊に、無住地帯をつくる作戦命令が下りました。私は機関銃分隊長でした。毎日のように河北省の山岳地帯に入って、谷間に残る家を焼き払い、山野に隠された鍋釜を破壊。生まれ育った土地を奪い、路頭に迷わせ、無住地帯から立ち退きに遅れた人たちを手当たり次第に射殺しました。

深い秋の、ある晴天の午後でした。私たちは白馬関から約10キロのところで、跡形もなく破壊された元集落に小さな家を見つけました。兵隊3人を連れて中に入ると、重病らしいおじいさんと、4歳と6歳くらいの男の子がいました。おじいさんは布団から這い出て、両手を顔の前で合わせました。しかし、私は「火をつけろ!」と兵隊に命令しました。

大声で泣きながら「助けて」と叫ぶ子どもたちを、私たちは兵隊に命じて5メートルと離れてない距離から撃ち殺させた。おじいさんは私が撃ち、焼け落ちる梁の火玉の中で死にました。あの時の子どもとおじいさんのもがき苦しむ顔は今でも目に浮かびます。

私はほかにも、農民を「八路軍の密通者」として火あぶりなどで拷問したり・・・。残虐極まりない罪を犯しました。