「私たちのように国にだまされてはいけない」蟻の兵隊の稲葉積さん | 千葉市議会議員 かばさわ洋平  GET BACK TO DEMOCRACY 

「私たちのように国にだまされてはいけない」蟻の兵隊の稲葉積さん


「いま、再び軍国主義の復活の兆しを感じます。憲法9条改悪に執念を燃やす安倍首相は、歴史認識どころか、戦争そのものを認識できていないのではないか。戦争は人類最大の罪悪です。どんな大義もありません。若者に言いたい。私たちのように国にだまされてはいけない」

日本降伏後の中国で戦わされた「蟻の兵隊」の稲葉積さんの証言が8/25付けの赤旗日曜版に掲載されてました。


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「過去の戦争を反省できない政治家の言動を見ていて、いま戦争の真実を語らなければと・・」元日本軍将校の稲葉績さん(89歳)は最近になって、これまで語らなかった自らの特異な戦争体験を語りはじめました。中国への侵略、そして日本降伏後4年近くも戦争をさせられた悲惨な体験です。


死んでも死にきれないのです。あの体験を語れるのは、私も含めて、もう一人しか、二人しかいません。戦争の真実と、私たちの無念を次の世代に引き継いでもらうことが望みであり、希望です。

私は20歳で招集され、中国の戦場に送られました。戦争が終わったのは2年後です。帰国の日を待ち望みました。しかし、私に下された命令は思いもよらぬものでした。「部隊の3分の1を中国に残す。2年後には再び日本軍が戻ってくる。残ってその基礎をつくるのだ。おまえはいちばん若い将校だから残れ」頭の中が真っ白になりました。なぜ、こんな命令が。

当時、中国の情勢は複雑でした。政府国民党と中国共産党が内戦状態にありました。戦争中は、互いに手を結んで日本とたたかったものの、終戦で内戦が再開しました。兵力がほしかった国民党は、日本軍に対し、3分の1の兵を残さなければ、ほかの兵隊も復員させないと強迫しました。戦犯として処刑されるのを逃れるため日本軍の幹部は、国民党と取引したのです。

2600人の日本兵が山西省の国民党軍に編入され、共産党軍とたたかいました。3年8ヶ月の戦闘で560人が死亡しました。残留日本兵の存在はポツダム宣言が定めた「日本軍の武装解除」に違反します。絶対に知られてはならない機密でした。私たち中国山西省残留日本軍のことは、映画「蟻の兵隊」(2006年)で描かれ、初めて世間に知られるようになりました。


国民党が敗れ、私は共産党軍に捕まり、太原(たいげん)にある戦犯管理所に送られました。そこでは、朝から晩まで正座して、自分が戦争中に犯した罪を思いだし、文書にすることを求められました。

戦争は人を鬼にします。

私は進軍する農村を襲撃し、家畜や食料を奪い尽くし、逃げた住民が戻っても二度と住めないように住居を破壊しました。日本軍の三光作戦(※)で殺された人骨の山を見た時も何も感じませんでした。

※三光作戦・・・・日本軍が行った作戦の中国の呼び名。「光」には「すっかり無くす」という意味がある。三光とは、殺し、焼き、略奪しつくすこと。

日本からきたばかりの初年兵の訓練を見学したことがあります。掘った穴の前に並べられた中国人捕虜を銃剣で刺し殺す訓練です。さらに遺体の首を、わらを切るときに使う”押し切り”で切り落とし、城門に並べてみせしめしました。こうして、人を殺しても何も感じない兵士がつくられていったのです。

軍隊生活での上官への絶対服従や暴力制裁の中で、失った人間性を取り戻すのは簡単ではありません。私は最初のうち、反抗しました。全部白状した後に処刑されると思ったからです。何の罪もない中国の農民の立場に立って考えられるようになるまで、太原の管理所で4年近い月日がかかりました。自分がしたことを認識すればするほど恐ろしく、苦しみに苦しみ抜きました。

帰国できたの終戦から11年後の1956年です。しかし、国は私たちを歓迎しませんでした。「現地除隊した逃亡兵」という扱いです。私たちは軍人恩給も支給されません。何度も国に「軍の命令で残った」と訴えましたが認められません。民主党政権時代に国会請願にいったとき、こう言われました。「この問題を認めたら国際的に大問題になる。一度決めたことは変えられない」

いま、再び軍国主義の復活の兆しを感じます。憲法9条改悪に執念を燃やす安倍首相は、歴史認識どころか、戦争そのものを認識できていないのではないか。戦争は人類最大の罪悪です。どんな大義もありません。若者に言いたい。私たちのように国にだまされてはいけない。




蟻の兵隊
http://arinoheitai.com/

 今も体内に残る無数の砲弾の破片。それは“戦後も戦った日本兵”という苦い記憶を 奥村 和一 ( おくむら・ わいち ) (80)に突き付ける。
  かつて奥村が所属した部隊は、第2次世界大戦後も中国に残留し、中国の内戦を戦った。しかし、長い抑留生活を経て帰国した彼らを待っていたのは逃亡兵の扱いだった。世界の戦争史上類を見ないこの“売軍行為”を、日本政府は兵士たちが志願して勝手に戦争をつづけたと見なし黙殺したのだ。
  「自分たちは、なぜ残留させられたのか?」真実を明らかにするために中国に向かった奥村に、心の中に閉じ込めてきたもう一つの記憶がよみがえる。終戦間近の昭和20年、奥村は“初年兵教育”の名の下に罪のない中国人を刺殺するよう命じられていた。やがて奥村の執念が戦後60年を過ぎて驚くべき残留の真相と戦争の実態を暴いていく。
  これは、自身戦争の被害者でもあり加害者でもある奥村が、“日本軍山西省残留問題”の真相を解明しようと孤軍奮闘する姿を追った世界初のドキュメンタリーである。