花見酒の結果は何もなくなるのではない~イマイチすっきりしなかった方のために
花の季節なので花見のネタを。
花見酒という落語があります。
花見酒は2人で互いに酒を買いつつお金が行ったり来たりして・・・という話でおもしろいのですが、オチがわかったようなわからないようなもやもやした気分になる人が多いようです。そこを一緒に考えてみましょう。
私なりの言葉でストーリーからご紹介します。
「春4月のある日、向島の桜が満開と聞いた幼馴染のAとBが花見に出かけようとしたが、2人ともカネがない。
そこで2人は酒屋で三升の酒を借り、それを花見の現場で売って花見の軍資金にしようとした。
一杯が十銭。
酒飲みの心は酒飲みが知る。
行けば売れると考えた2人だが、商売を始めようと考えた矢先、さんざん酒樽を担いで酒の香りをかいだBはもうダメ。
どうしても飲みたい、と「Aよ、一杯売ってくれ」と言い出す。
そして、十銭払って飲む。それを見ていたAも飲みたくなり、また十銭払うと一気飲み。
こうして交互に飲んでいるうちに酒は空っぽ。
そうこうするうちに客が来て「酒を売ってくれ」。
AとBが樽を見てみると、空っぽ。
A「売り切れだよ」。
客は帰っていく。
よし、儲かったかな、と財布を空にしてみると、出てきたのは十銭銀貨一枚。
品物は確かに三升売ったのに、なぜ売り上げがたった十銭?
それは、お互いの間を十銭が行ったり来たりしているうちに酒がなくなってしまったから。」
売り上げが立って、酒が消え、でも現金は十銭。これはどういうことなのか?
実は、簿記の考え方をすればなぜこの現状なのかがすっきり分かります。
出発点は、商売の財布とプライベートの財布は別ということです。
お互い買った酒は、実は売り物なんですよ。これをプライベートで飲んでしまうことを自家消費といいます。自家消費してしまうと、商品はなくなります。また、自家消費の対価を商売の財布に払わなかった場合、プライベートの財布に対し商売の財布は売掛金を計上します(貸しがある状態)。なぜなら、本当は売れるものを飲んでしまったからです。プライベートの自分に対して売った。プライベートの自分は買った、と考えます。
さて、自家消費のための資金はどうしたかというと、実は商売の財布から自分の財布に借りてきて払ったというように考えます。
つまり、AとBは自分の商売の財布からプライベートの財布にお金を貸しつつ酒を買いまくったわけです。
その結果どうなったかというと、AとBの商売の財布には売掛債権(貸し)が残ります。
また、プライベートの財布には酒代分について買掛債務(借り)が残ることになります。
要するに、2人のところには酒も金も残らないというように見えますが、実はそれだけではなく、商売の財布には債権が残り、プライベートの財布には債務が残るのです。
もともと商売の財布には酒があったのですが、酒の在庫はゼロに変化したんです。そして、酒の代わりに商売の財布には売上が立って債権が入ってきたということです。そして、商売の財布の財産の総額は変化していません。
(プライベートの財布は酒を飲んだ分、マイナス。食事をして金を支払ったケースと同じ。そして、マイナス分が債務。)
花見酒の結果は何もなくなるのではないということがお分かりいただけましたか?
2人は花見酒をやってその分、債務を背負ったのです。なぜかオチではそこには触れませんが。
最初に2人は酒屋で酒を借りましたね。商売の財布で借りた酒ですが、彼らは飲むことでそれをプライベートの財布で背負ったわけです。
(商売の財布の債務の当然残っている。)
*念のため補足しますと、売上が十銭というのは嘘ですね。現金残高が十銭であり売上は別です。
経済学の先生の授業は感覚ではわかるのですが、ここは説明がありましたか?
追記:当初、商売の財布を2つに分けて説明したのですが、よく見ると落語の話では共同経営のようなので、そのように説明を修正しました。