テレビであったことって、本当なの?
ってご質問を受けました。
はい。
本当の事なんです。
みなさんが見ていただいた
あのテレビの中で起こったことは、嘘ではありませんし
スタッフの誰かが演技でやっていたことでもなんでもありません。
少なくとも、あのお家で起こったことは、すべて、本当の出来事です。
事前に打ち合わせも何もしていないし、全てが、あの撮影日に起こった出来事です。
お家の女性に霊体が憑依したことも、小窓に写った白い人影もすべて、事実です。
それでは、「憑依」という事柄について、考えてみましょう。
霊体が、生きている人の身体を使って、通常では考えられない言動を、引き起こすことがあります。
異質の霊体が、人の身体を使って、意思表示をします。
様々な現象があります。
合わせている手を上下に激しく動かしたり
泣き叫んだり、
おしゃべりをしたり、
ぶるんぶるんと首を振ったり、
ペンを持って言いたいことを書き示したり
刀を振るうような仕草をしたり
切腹をする仕草や
首を絞められるようにして七転八倒苦しんだり
狐のような仕草をしたり、
蛇のように身体をくねくねさせたり、
爪を立てて、畳を掻きむしったり
四つん這いになって遠吠えにように唸ったり
「わしはアマテラスなるぞ〜」などと言って出てくる正体不明のモノまでおりましたが
そんな現象を総称しまして、宗教の世界では「霊動」と言います。
霊動(れいどう)という呼称は、戦後に流行しました世界救世教から生まれたものです。
古くは「神憑り(かみがかり)」とも「憑き物(つきもの)とも「憑依(ひょうい)」とも言いまして、
その歴史は太古に及びます。
古事記の書段に「神が神功皇后に乗り移り、神のみことのりをお告げになった」とあります。
察するに、恐らくは神霊が皇后に神憑りして、皇后の身体を借りて、言葉を告げたのだと思われます。
また、「憑き物」と言えば、狐憑き、蛇憑き、鬼など、様々な表現で伝わっています。
恐山の「イタコ」が行う口寄せという手法も、自身に霊体を憑依させて、死者の思いを語らせる訳です。
西洋でも「悪魔憑き」という現象があって、映画「エクソシスト」で有名になりました。
どの様子も、常識を超えるようなもので、泣きわめいたり、首を掻きむしって苦しむその姿は、まさに「奇異」であります。
現代医学では「ヒステリック症候群」という病名もあって、心療内科の分野になりますが、通常は投薬治療を施すものです。
しかし、このような「憑依現象」の症状に苦しむ人は、世の中にごまんとおられて、私も、審神者の勤めに就いた頃から、たくさんの方々の「霊動」を目の当たりにし、それを納めてまいりました。
一般的には日常的に霊動が度々起こり、ひどい症状になると、どうしても病院にかかりまして、それなりの治療を行いますが、
しかし、霊動が身の上に起こる当の本人は、自分が「病気」とは、思えないのです。
なぜならば、自分の身の上に起こっている、ひとつひとつのことを、すべて、理解しているからなんです。
いわゆる、乗っ取られているのは自分の身体だけで、心まで乗っ取られていないからなんです。
頭はしっかりしていて冷静なのに、身体が、自分の意思とは関係なく動いたり、悲しくもないのに、わーっと泣きわめくのです。
まるでそれは、第三の意識体に、自分の身体だけが乗っ取られている・・・
そんな風にしか、考えられないのです。
そんな症状が現れた初期では、理性で抑えられますが、
霊動を発症する回数が続くと、挙句には、自分の理性では、制御できなくなります。
これまで、正神之会の各祈祷所でも、たくさんの方の、様々な霊動を目の当たりにしてきました。
その都度、ご相談者のお身体を乗っ取っている霊体に話しかけたり、祝詞やお経を手向けたり、数々の神術を執り行いながら、霊体の心を清めて、ご成仏へと導いてまいりました。
それこそ、霊動に直面した当初は、私自身、大変な衝撃でありました。
ご神事を始めて、その直後に、ご相談者に激しい霊動が起こるのです。
しかも、たびたび・・・。
最初は私もなす術なく、背中にびっしょりと汗をかきながら、右往左往するばかりで、時間ばかりがかかって、大変な苦労をいたしました。
憑依は明らかにあります。
憑依や霊魂の研究は、全世界で行われていて、科学や医学では説明できない事実も、数多く報告されています。
興味があったら、是非調べて見てください。
連日のように引き起こる霊動現象は、最初はその対応に苦慮いたしましたが、数多くこなしていく中で、次第に、その霊体の姿や様子などが、自然と把握できるようになりました。
そうすると、次第にその霊動を、冷静に理解できるようになりました。
以前の私は、ご相談者の霊動が引き起こる中で、なんとか、憑依しているその霊体の素性を明かそうと、あの手この手と、口頭で質問をしておりました。
お前は誰だ?
先祖か?
生霊か?
死霊か?
狐か?
どういった素性のものだ?
そんな質問事項を繰り返しぶつけて、霊動としてご相談者の身の上から現れた霊体から、なぜご相談者に憑依したかを、引っ張り出そうとしておりました。
しかし、それは、とても危険な行為でした。
こんな手法で無理を重ねると、ご相談者の霊動に、ますます拍車がかかり、なかなかおさまらなくなるのです。
これではいけません。
まだ、目に見えない霊体の姿をきちんと見極められなかった頃、審神者の術がまだ不十分だった頃、ただ闇雲に突き進んでいて、失敗も多くありました。
今は、そんな反省に立って、冷静に的確に対処しております
それと、もう一点、大事な事があります。
霊動という現象には、憑依霊が人の身体を乗っ取る
という他に
まったく違う側面もあります。
その「違う側面」とは、ご相談者の「心の迷い」です。
ご相談者の抱える環境や心理状態が引き金となり、ご相談者自身の「心の叫び」が、霊動に近い形で発症することがあります。
ご本人が、現実に突き詰められた難問に向き合うことができず「霊の憑依」という結論に、無理に結びつけるのです。
かつて、正神之会祈祷所に30歳代の女性と、明らかに身内の方ではないと思えるような、初老の男性と、お二人でお見えになりました。
お話を聞くと、その女性に、ある日突然、謎の霊体が憑依するようになり、
昼夜問わず、霊動があり、日常生活を送れなくなってしまった、と言うのです。
女性は、資格を得るのが大変厳しい職種の、ある専門学校に通っておりました。
女性は
「進級がかかった大変で大事な時に、どうしてこんなことになってしまったのだろう・・・、このままでは進学ができず、休学せざるを得なくなります。」
と、訴えかけていました。
そう訴えかけて来られる様子から、女性は、厳しい学校の勉強についていけなくて、かなり切羽詰まっている状態であることを察知したのです。
私は、その女性にこうアドバイスをしました。
慌てないで、自分の体調を見ながらゆっくり取り組んでいただくように
しかしどうも、そんな話は通じないようで、教官が期待しているから・・・とか、学校の友人が心配しているから・・・とか
挙句には、自分のような"デキル子"が、なぜ霊に頼られて苦しい目にあうのか、なぜ霊は自分の勉強を邪魔するのか、
などと、激しい口調で仕切りに訴えかけてくるのです。
私は、女性の言動に少々違和感を感じつつ、実際に、憑依しているという状況を作り出すことにしました。
神事が始まってわずか数分で、目を閉じた女性が、何やら話し始めました。
神事を中断して聞いていると
「自分は戦国武将です。
◯◯神社の境内にあるお墓にいました。
この人(ご相談者の女性のこと)が、お参りに来た時に取り憑いた。
私の名前は"おくだたみお"です。
私の他に、たくさんの仲間がいて、みんな、この人に取り憑いています。
助けてください。
供養してください。」
私は、これはおかしい・・・と思いました。
心霊の世界でも、「常識」と言うものがありまして、
たとえ、神社の境内に居た霊体であったとしても、まったく「無縁」の者には憑依できないし、ましてや、この女性に取り憑いたところで、救ってもらおうなどと、あるわけがないと・・・。
その女性には、残念ながら「仏縁」がありません。
「仏縁」とは、神仏を敬い、日頃から信仰に身を置く人のことで、仏縁にある人は、あるいは、無縁の霊が供養を望んで頼ってくることもあり得ます。
しかし、この女性には、まったく「信仰」の経験もありませんし、目に見えない霊体に、慈悲の念を持つような性分にはありません。
それと「おくだたみお」・・・って?
明らかに、女性の現実世界のストレスが、心の迷いになって、厳しい学校の勉強についていけない理由を、霊の憑依のせいにしているのです。
それと、同伴なさった初老の男性・・・。
親戚の者だとおっしゃっておりましたが、無言で見守っているその様子を見ると
親類などではないことも、察知できました。
どうも、この初老の男性も、この女性の霊動をエスカレートさせることに一役買っているように思いました。
私は、この女性とご家族が、目の前の現実世界に向きあって、きちんと取り組まないと心の迷いは晴れない、
と思いましたが、この一件は、私の力の及ぶ範囲ではないので、ある方法で、先祖の供養を1ヶ月間だけ行っていただくようにお願いして、帰っていただきました。
するとその数時間後、同伴していた初老の男性から電話がありまして
一体何事かと思いきや
「さっきあなたが言ったことね、僕も分かってたんだよ。
先祖が成仏できなくてね、ブタになってるんだよ。
これまでね、僕が女性に現れてた霊をたくさん祓ったんだけどね、まだ強いのが残っていてね、困ってるんだよ。
なんとかならんのかね。」
私は、突然のことでびっくりしたものの、あー、やっぱりあの怪しさはこれだったんだと、納得したわけですが。
素性をお尋ねしたところ、やはり身内の方ではないようで、詳しくはブログを見てくれとおっしゃっておりましたが、もちろん、見るつもりもなく。
その男性も女性の身の上に現れたのは、憑依霊の霊動だと信じ思い込んで、すっかり振り回されているわけです。
自分の手に負えないので、どこで調べたのか、私のところへ連れていらっしゃったのです。
初老の男性は、女性の霊動が、武士の霊の憑依だとどっぷりと信じ切っていますので、女性の霊動にももますます拍車がかかって、更に深刻な問題に陥っているのです。
女性に必要なのは現実問題の整理と「心のケア」なのですが、このように、できないことを霊的なもののせいにすると、現実逃避に陥って、現実と非現実の間に囚われて、解決が難しくなるのです。
人の心とは複雑で奥の深いものですから、案に、目の前に起こっている現象だけに目と心を奪われると、ますます抜けられない負の連鎖に陥ってしまうのです。
そうすると、抜け道のない、深いトンネルに迷いかねませんから、
こう言った霊的なテーマは、心のテーマと深く結びついていきますので、周りの者も、十分な注意が必要なんです。
もし、この女性が、初老の男性に相談する前に、当所へいらっしゃっていれば、もう少し違った対応ができていたのではないかと悔やまれます。
また、この初老の男性が、霊的な問題に固執することなく、現実的なアドバイスを冷静にする方だったら良かったのですが、残念です。
このように心の課題(現実的な問題)と、霊的な課題(非現実的課題)を判別し、それに沿った適切な判断と対応で、ご相談者の抱える因縁を解消していく勤めを成す者が「審神者」と言う者の勤めです。
一方、霊動を引き起こす憑依霊は、憑依をする理由が必ずあるのです。
意味なく、まったく無縁の者に憑依をすることはありません。
しかし、例外はあるもので、その人が「霊媒体質」であった場合は、その限りではありません。
この「霊媒体質」の方は、根気よく神事に努め続けないと、改善は難しいものです。
テレビで、女性に実際に憑依した霊体は、明らかに「悪意」を持った霊体でした。
私は、女性の娘に気を取られていて、ディレクターから呼び止められるまでは、気づきませんでした。
娘の除霊を、心配そうに見ていたお母さんでしたが、
お母さんに憑依していた霊体が、私の施した神術で、祓われる(浄霊)様子を見ていて
「やばい」と、思ったようです。
ですから私は「邪魔をするなよ、必ず清めてやるぞ」と言う言葉を向けたのです。
かつてはこう言った現象は、「狐憑き」とも言われて、忌み嫌われましたが
実は、その昔はあちらこちらで、数多く目にする機会が多かったのです。
しかし現代にあっては、狐憑きの現象は「心の病」と捉えられるようになりました。
亡くなった私の母が、まさに、その通りでした。
誰もいない空間に向かい、怒ったり泣いたりする母の様子を家族が見たときに、恐れと悲しみと不安の以外にはありませんでした。
病院で治るなら治ってほしい・・・と、一縷の望みをかけるのは、仕方のないことです。
しかし、私の母は、病院では治りませんでした。
結局、幾度も入退院を繰り返しながら、とうとう旅立ちました。
現代の医学は、直せない病気はないかのように豪語しますが、現実はそうではありません。
心の病を手当てする薬は、未だ万能ではありません。
霊動に、きちんと向きあって、これを納める為には、
現実と霊的分野の両面を知る手立てが必要です。
そして、何よりも大事なのは、憑依霊の正体を見極めることです。
霊動となって訴える「憑依霊の思い」を、客観的に知ることで、
憑依霊を浄めて差し上げる事が出来るのです。
憑依霊の正体を見極めることも、重要な浄霊の手立てです。
私は、一度ご相談者の身の上に現れた憑依霊は、必ず浄めて解脱させます。
これだけは、絶対に中途半端に終わらせてはいけません。
また、憑依霊を、力任せに封じたり、調伏などの手法を用いてはいけません。
調伏などは、どうしても仕方ない場合を除いては、案に使ってはなりません。
簡単に滅多やたらに「九字を切る」ような祈祷師や霊能者などには、十分気をつけねばなりません。
また憑依霊には、数々の霊体があります。
死霊、動物霊、精霊、祟神、禍津神、生霊など、実に様々です。
これらの正体と素性を見極めて、正しい浄めの神事を行わねばなりません。
そして、現実問題と霊的問題の境目を、しっかりと見極めて、
いたずらに、片方に偏らないようにします。
時には、医師の診断を受けて現代医学の治療を受けて
そして、合わせて、霊的な因縁の浄め祓いの手段を講じるのです。