さぬきシクロ

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2月12日、香川県善通寺で行なわれたシクロクロスの大会に家族で出場してきました。
レース出場は昨年10月以来、約3ヶ月ぶりです。自分の実力を久しぶりに試すレースなので、楽しみであり不安でもある大会。

会場に到着して受付し、1周試走。前回とほとんどコースは変わっていない様子で、1周約2km。上りも下りもそれほどテクニカルではないのですが、脚を休める下りがないコース。あと、自転車を担いで超えないといけないシケインや階段は、何度やっても苦手です。

今回は例年と比較して参加者が多く、長男・次男・三男が参加したC3クラスと私が出場したCM2(40歳以上のおじさん)クラスは2つに分かれてのレースでした。

朝1番のC3Aのレースに次男と三男が出走。エントリー33人で5周回。
次男は1周目後半でトップに立ち、その後2位との差を少しずつ広げながら独走で優勝。三男はオレンジマンを追いかけ続けましたが届かず21位。

次のC3Bに長男、1分遅れてスタートするCM2Bに私が出場。C3B32人、CM2B19人のエントリーで、ともに5周回。

長男は始めはトップを走っていたそうですが、RYOさんとエースに離され3位でゴール。今回は2月3日に大学が決まり、練習再開から10日目のレースと言うことで、今後本気を出すそうです。練習再開直後にこれまで使っていたフレームが壊れてしまい、今大会の出場が危ぶまれましたが、上野サイクル・RYOさんの計らいによって無事出場できました。ありがとうございました。

私はスタート直後のスピードが今一つ乗らなかったために順位不明のままのレースに。普段のレースでは家内が順位を教えてくれるのですが、この日は1分前にスタートしたC3Bの選手が間に入っていたため、数えられなかったそうです。
多分5~6位くらいで走っていたと思いますが、抜きつ抜かれつのしんどいレース。しかも抜く人抜かれる人がコロコロ変わり、近くに4~5人いる様子。
観察をしながら走ってわかってきたのは、まわりの選手(みんなシクロ車で、私はMTB)には平坦なアスファルトと担ぎでは勝てない。コントロールライン後の階段横の登りは私の方がちょっと早く、その後の下りながらのカーブでは明らかに勝っているということ。
残り1週でHiroship3さんとノロマっちさん(多分)から、近くに2位・3位がいるというようなありがたい情報が。これで気合が入ったと思います。前半の登りとその後の下りのうちにちょっと強引な抜き方もしつつまわりの選手の前に出てアタック。アスファルトまでにできるだけ離して逃げ切る作戦に。結果的に作戦が決まって、その後抜かれずにゴール。
結果は2位でした。リザルトを見ると、5位の選手まで10秒程度しか差がない接戦でした。

レース展開は終わりが良かったのでまずまずでしたが、1年前と比較すると明らかに遅くなっています。年齢には勝てませんが、できる限りの努力はしてみます。

最後に四男は小学校高学年のレースに出場。6人エントリーでダントツの最下位でした。途中アリ地獄にはまったような状態で脱出不能になり、つばっちに助けてもらいました。つばっちありがとう。

レース後は恒例のうどんを食べ、応援をして1日楽しみました。
主催者・関係者の方々、ありがとうございました。
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秋の富士見 動画編集

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9月18日に行なわれた秋の富士見のレース、自分はスポーツで59位とダメな結果。一緒に参加した次男・三男もいまひとつでしたが、エリートでいつも応援している健ちゃんこと小野寺健選手の優勝を生で見ることができ、感動しました。トラブルが続いて苦しい時期もあったけど、最近は結果が付いてくるようになり、さらに上を目指して頑張って欲しいものです。

今回は気分を良くして、久しぶりに音楽つきの動画編集をしてみました。




youtubeにアップして気付いたのですが、以前投稿したけど著作権の問題でカットされていた「ニュージーランド ロトルアの世界選手権」の音楽が復活しているようですね。

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石鎚登山

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8月6日は広島県で生まれ育った私にとって、今でも特別な日です。
東北も月日が経てば立派に復興し、さらに逞しく誇りある地域になっていることでしょう。

この日勉強会から遅く帰ってきた後、妻や子供たちと翌日の相談。
長男は受験モード(のはず)で、次男は部活(中学部の試合の応援・手伝い)のため、私と妻、三男、四男で西日本最高峰の石鎚山に登ることにしました。で、「どうせ登るなら自分の脚の力だけで、車を使わずに自転車と徒歩で登ってみないか?」 という突然の思いつきに三男が乗ってきてくれました。





8月7日朝。寝たのが遅かったので、ゆっくりと7時に起床。ごはんをしっかりと食べて8時過ぎに家を出発。まずは黒森峠を目指します。先が長いのでゆっくりとしたペースで登り、峠で休憩。
$いんちょのひとりごと-黒森


この後、旧面河村役場あたりまでは一気に下ります。気持ちよく走れるのですが、せっかく標高1000mあたりまで登ったのに、また500m近く下るのはもったいない感じでした。



また登りに入ってきた頃、道路の電光掲示板に「石鎚スカイライン 自転車多し 注意」という掲示。

$いんちょのひとりごと-電光

石鎚スカイラインに入った頃には大分疲れが出てきたため、かなりスピードが落ちてしまいましたが、10月に行われる石鎚山ヒルクライムにもエントリーしているので、コースの確認をしながら走りました。

結局標高約1500Mの土小屋に着いたのは午後1時半頃でした。
家内と四男は午後1時頃、先に車で土小屋に到着しており、すでに頂上を目指して登っています。私と三男はそれを追いかけて歩き、徒歩区間の半分を過ぎたあたりで追いつきました。
$いんちょのひとりごと-登山道

最後1kmの急な登りでは脚がだるくなりましたが、まあ問題なく頂上に到達。
$いんちょのひとりごと-頂上

ここで今回一番のお目当てであった長男へのプレゼントをゲット。
$いんちょのひとりごと-お守り


神頼みのご利益など信じておらず、すべては本人の努力次第だと思いますが、家族が応援する気持ちの象徴として買って来ました。

頂上で売られている飲み物は500mlのペットボトルが450円で売られていました。もし登る方がおられましたら、飲み物は十分持って行きましょう。

私も歳なので、下りは膝に負担がかからないように注意して下り、無事4人そろって土小屋に到着しました。この時点で午後6時近く。土小屋からの帰りはみんな車で帰りました。

あと何年こんな冒険ができるか分かりませんが、ワクワク楽しい1日でした。

この後2日間、仕事中は気が張っているため何の支障もないのですが、夜は体がだるく10時には寝ていました。自転車区間よりも登山の方が堪えていたようです。
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開幕戦 in 八幡浜

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4月24日、八幡浜でマウンテンバイクのJapan seriesが開幕しました。

私もこの歳になって初めて選手登録をし、スポーツクラスを走りました。
登録して走るからには周りの人に失礼な走りはできないので、落とした体重を維持し、小野カンで登りと根性を鍛え、冬の間にはプロテクター(昔使っていたもの)を着けて長男と次男に下りの指導も受けました。

ついに大会当日。
歳をとるとともにベストな体調で大会に臨める事が少なくなりましたが、今回はほぼベスト。
朝会場入りして1周試走しましたが、前日の雨もほとんど影響なくコースコンディションも良好。
去年55人だったスポーツクラスに98人がエントリーていたのには驚きましたが、それも上等。
スタートはちょうど真ん中くらいの位置。今月はじめの「続八幡浜ミーティング」での反省から、スタート後は全開で隙があれば迷わず前に出ようと心に決めていました。スタート前に東日本大震災の犠牲者の方に全員で黙祷。

スタート。

幸いスタート直後に起こった落車にも巻き込まれず、快調に進み15番くらいでシングルトラックへ。
この位置では入口の渋滞もちょっとでした。下りではコースに慣れていない選手で詰まることもありましたが、登りに入るとこの位置では自分より遅い選手はわずかで、いい位置で走れていると感じました。
1周目を終わる時点で26位。だいたいこのあたりで落車で遅れてしまった自分より明らかに速い選手は周囲にいなくなったようで、抜きつ抜かれつで進み、結局26位でゴール。

沢山の応援のおかげで集中力が途切れることなく最後まで走れました。去年や続八幡浜ミーティングのような大きなミスはなく、桜坂の後の根っこと細かいコーナーが続く区間でクリートが外れて数秒ロスした以外はほぼ予定どおり走れたので、実力は出し切れたと思います。

今回スタート直後の落車で遅れた選手に抜かれながら思ったのですが、速い選手はコーナーからの立ち上がりや登りの後の加速が速く、まだまだ自分はレース全体で追い込めていないと感じました。やはり基本が大切で、練習でもレースでもいかに気を抜かず追い込めるかを追求することですね。
登りも去年よりは大分速くなったつもりですが、スポーツ上位の選手と比べるとまだ遅く、自分に合ったペダリングやギア選択に検討の余地がありそうです。
このあたりに気をつけて練習すれば、仕事に支障をきたさない範囲でももう少し速くなれそうです。


今回次男は部活の総体と重なってしまい、出走できず。
長男は90人エントリーのエキスパートで完走し37位。
三男は6人エントリーのビギナーで優勝。
エリートの応援も含め、1日中楽しめました。

大会関係者の皆さん、ありがとうございました。
参加された皆さんもお疲れ様でした。

続八幡浜ミーティング

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毎年4月の第1日曜日に開催されていたマウンテンバイクのローカルレース「八幡浜ミーティング」。今年は中止が発表されましたが、有志が立ち上がり「続八幡浜ミーティング」が行なわれました。

有志の皆さんのおかげで、しっかり「マウンテンバイクの大会」になりました。参加者も90人近かったようです。

開会式、初級・レディースの応援の後、中級に私と三男が出走。
3kmちょっとのコースを4周のレースで、32人出走。
去年は3位。自分は確実に去年より速くなっているはずでしたが、自分よりも大きく伸びた人がいて、今年は4位。
悔しい
しっかり追い込んで走れたとは思いますが、しょーもないミスが2つ。あと、スタート直後が弱すぎ。
4/24 本番の八幡浜Jでは、みんなもっと真剣に攻めてくるはずなので、気合を入れなおします。
三男は13位。少しずつ速くなっているようですが、まだまだです。ちょっと体調も悪かったようですし。三男の4/24の目標は一般優勝です。

次に行なわれたキッズBの四男、スピードを出すのに必死で、登りの手前でシフトチェンジするのを忘れてしまい失速。10人中6位。下りはかなり安定してきていました。やっぱり四男はシフトチェンジが当面の課題です。

最後の上級は6周回で、長男・次男が出走。
長男は最終周までトップ3人のパックで走り3位。次男は少し遅れて4位でした。
一緒に練習に行ってもあまり追い込まず、私のすぐ前を走っている長男がここまで走れた(ラップタイムで私と1分以上の差)のは驚きでした。
次男はケガのためマウンテンの練習を再開してまだ数日。3週間でまだまだ上げられるはずです。
長男・次男とも今年はエキスパート・クラスに上がり、1時間半追い込んで走れるかが課題ですが、自分のレース後の応援も楽しみです。


続八幡浜ミーティング、自分のレース結果は悔しかったけど、楽しい一日でした。
運営をしていただいた皆さん、本当にありがとうございました。




私にとって、今年のマウンテンバイク・レース本番は4月24日。これから本番まで、できることをしっかりとして臨みたいと思います。

被災地に行って

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仙台までの道のりですが、米原ジャンクションから北陸道・新潟から磐越道で福島へ、そこから東北道を北上しました。松山から約1200kmでした。

高速のガソリンスタンドは滋賀県の多賀サービスエリアですでに給油規制が始まり、1台につき20リットルまで。北陸道までは給油できましたが、磐越道・東北道のガソリンスタンドは在庫が無く閉まっていました。ガソリン・水・食料は念のため余裕を持って携行して行ったので、被災地でガソリンを調達し現地の方に迷惑をかけてしまうことは無かったです。また、念のため現地で無駄なガソリンを使わなくて良いようにマウンテンバイクも持って行きましたが、宮城県警の車両で移動できたのでチャリは使わずに済みました。

磐越道の途中から東北道にかけて緊急自動車(私のような警察で緊急自動車の登録をした車を含む)以外は通行止めでしたが、その区間も3月20日の時点では路面に多少のうねりや一部の車線規制はあるものの、十分安全に走行できる状況でした。ある機関へのボランティアの申し出に対し、「移動の安全性が確保できてないのでもう少し先になって」と回答をされたのには疑問が残ります。

仙台市に入ると、ガソリン・灯油の不足はもっと深刻でした。ガソリンスタンドが閉まっている夜中も続く長蛇の列。灯油を求めて人も長い列を作っています。
帰り道、対向車線を沢山のタンクローリーが被災地に向かって走っていたのと、仙台港が復旧しタンカーが止まれるようになったというニュースも聞いたので、今後ガソリンや灯油の不足も徐々に改善すると思います。ただ、隅々までいきわたるには相当の時間がかかりそうです。
ガスは止まっていて、仙台市で復旧に1ヶ月はかかるのではないかと言われていました。


3月20日に仕事をしたのは仙台から車で北に1時間半走って行った石巻市で、ここはガスはもちろん、電気・水道も止まっていました。



仕事の内容は石巻市と利府町でのご遺体の検案でした。検案が行われないと、ご遺体の遺族への引き渡しや埋葬ができません。
詳しい仕事の内容をここに書くのは控えさせていただきますが、仕事をしている間、ご遺体と対面する家族の声が聞こえていました。外にはご遺体の特徴と遺留品を書き出した張り紙があり、それを大勢の人が深刻な表情で隅々まで見ておられました。
報道で犠牲になった方の数を聞くだけでは麻痺してしまいがちですが、亡くなられた方一人ひとりに、亡くなられる直前までそれぞれに大切な生活・人生があったことを思い知らされました。

警察の方のお話では、太平洋沿岸は道路が寸断されているため到達することができず、ご遺体が残されているのがわかっていても収容できない場所が沢山残されているということでした。
法医学の先生は、すべての検案が終わるのは半年くらい先ではないかと話しておられました。



帰り道、沢山のトラックやタンクローリー・緊急車両とすれ違い、任務を終えて私たちと同じ方向に向かって帰る緊急車両も多くいました。数十台の隊列を組んで走る回転灯を付けた消防車・救急車・警察車両の光景は壮観で、頼もしさを感じました。
緊急時の警察や消防、自衛隊などの結束力と比べて、全国の医師の統率をとるシステムの不備を実感し、改善する必要があると感じました。


たった1日半の私の仕事が役に立ったのか、私の自己満足程度なのかはわかりませんが、少なくとも自分にとってはかけがえの無い経験をさせていただきました。
宮城県医師会、宮城県警と検案スタッフ、留守宅を守ってくれた母と子供たち、帰れなくなったときの対策を考えてくれたクリニック職員、仙台に行くことを思いつくきっかけとなり移動時の運転を助けてくれた家内に感謝しています。

亡くなられた方々のご冥福と、被災地の復興を心からお祈り致します。