1996年、関西でのあるイベントのことである。
広大な空き地に、
特設劇場や展示テントや販売所などを、
ボランティアたちが中心になって、
会場設営をしていた。
そこの特設会場で、
私の脚本作が上演されることになっていた。
演出は別の方だったこともあり、
手持ちぶたさだった私は会場内を見学していた。
すると・・・
「あぶなーい!」
叫ぶ声が聞こえた。
声の方を見ると、
柱が向かってきた!
はりきりすぎてがんばりすぎちゃったボランティアくんが運ぶ柱が
私の口元に当たった。
痛いと言うより、
ドーンと言う衝撃を感じた。
泣き顔で謝ってくるボランティアくん。
口を抑えながら「大丈夫、大丈夫」と応えたが、
抑えていた手には血がいっぱいついていた。
柱から前歯が私を守ってくれた。
だが、前歯は大打撃を食らって、
ぐらぐらになった。
大事にしたくなかったので、
プロデューサーなどには黙っていた。
2日間の公演は無事終わり、
前歯たちも持ち堪えた。
翌日、帰京して、
歯医者に行ったら、
「入れ歯ですね」
さようなら、ありがとう、前歯たち。
数年後、虫歯治療に行ったら、
入れ歯でなく差し歯を薦められ、
差し歯になった前歯たちが
この度、寿命を迎え、
明日から入れ歯になる。
これが
現在「歯抜けじじい」である理由である。
広大な空き地に、
特設劇場や展示テントや販売所などを、
ボランティアたちが中心になって、
会場設営をしていた。
そこの特設会場で、
私の脚本作が上演されることになっていた。
演出は別の方だったこともあり、
手持ちぶたさだった私は会場内を見学していた。
すると・・・
「あぶなーい!」
叫ぶ声が聞こえた。
声の方を見ると、
柱が向かってきた!
はりきりすぎてがんばりすぎちゃったボランティアくんが運ぶ柱が
私の口元に当たった。
痛いと言うより、
ドーンと言う衝撃を感じた。
泣き顔で謝ってくるボランティアくん。
口を抑えながら「大丈夫、大丈夫」と応えたが、
抑えていた手には血がいっぱいついていた。
柱から前歯が私を守ってくれた。
だが、前歯は大打撃を食らって、
ぐらぐらになった。
大事にしたくなかったので、
プロデューサーなどには黙っていた。
2日間の公演は無事終わり、
前歯たちも持ち堪えた。
翌日、帰京して、
歯医者に行ったら、
「入れ歯ですね」
さようなら、ありがとう、前歯たち。
数年後、虫歯治療に行ったら、
入れ歯でなく差し歯を薦められ、
差し歯になった前歯たちが
この度、寿命を迎え、
明日から入れ歯になる。
これが
現在「歯抜けじじい」である理由である。