手本を真似できないのは | 書法家 武田双鳳の「そうほう録」

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「書で人生を豊かにする」をテーマに、日々のオモシロさを探求する書法家・武田双鳳の日記

 

 

書道における手本とは、歴史に耐えてきた「古典」。楷書の場合は「九成宮醴泉銘」などを指したりします。

 

乙巳の変(大化の改新)のちょっと前、632年に書かれた九成宮醴泉銘。それを現代人が真似してみようーと書いてみるのですが、なぜでしょう。根本的に異なる字になってしまうケースが後を絶ちません。

 

もちろん、人間はコピー機ではありませんから、手本通りに書けないことは致し方ないことです。しかし、手本を真似て書いた本人にも信じられないほどに、別物になってしまったりするのです。

 

おそらく、古代人との書く前提(姿勢や呼吸など)の乖離が大きいののでしょう。だとすれば、現代における書道においては、前提として身体感覚を味わう時間が必要ですが、このブログで何度も書いていることなので、ここでは割愛します。

 

古典(美しい書き方の標準体)と乖離する、もう一つの大きな原因としては、「脳内文字」(手本を書く前にイメージされる文字)の混乱が、挙げられるでしょう。

 

長時間の活字閲覧による脳内文字の活字化(非運動化)、受験や仕事等における早書きによる乱雑化(クセ字化)、人工物に囲まれることによる不自然化などによって、脳内文字が乱れているのかもしれません。

 

もっとも、(古典に近い)「美しい文字」は、深層的な脳内文字には残っています。だからこそ、活字やクセ字による(表面的な)脳内文字の混乱は、気持ち悪く感じるものなんでしょう。

 

 

 

潜在的な美しい脳内文字を、いかに引き出していくか。試行錯誤を楽しみながら、みんなで筆と仲良くなっていこうと思います。

 

 

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