タイ旅行記その9 | 幸福論~全ての才能はオルタナティヴへ向かう~

幸福論~全ての才能はオルタナティヴへ向かう~

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まだ暗いうちから目が覚めた。ちらほら集落が見える。バンコクに近づいているのだ。
どうせまた従業員が大声で起こしに来るのだろうから、さっさと起きてしまおう。起きてるアピールのついでに喫煙所へ行くとしよう。

最後尾の車両に行くと、誰も居なかった。てっきり従業員達がダラダラしてると思ったのに、以外と彼等は働きもんなのである。
働いてはいるけどココはタイランド。いちばん後ろの貫通扉が空きっぱなしになっている。さすがに初めて見る光景だ。日本でやったら大問題になるんだろうなぁ。
折角なので扉のキワに立った。吐き出した煙が一瞬で空気に溶けて、見えなくなる。足下の枕木は凄い勢いで遠ざかっていく。その時だ。彼方にある山の稜線が不意に現れたかと思うと、空がみるみる色を変えていく。日本では見た事も無い色。刻一刻とその表情を変えて、やがて朝日は顔を出した。
とてつもなくドラマチックな夜明けに、俺は身震いせずには居られなかった。

9日目


列車はボロボロの水上家屋ばかりが立ち並ぶ迷路みたいな通りの脇を抜けて、やがてバンコクに着いた。ゆっくりとホームに降り立つと、やはりチェンマイとは違う湿気をふくんだような風の匂いに、帰ってきたなぁと苦笑い。さあ歩き出そう。今日の目標は空港近くの安宿。とりあえず朝飯だと駅前のカフェに入る。こういうお店ではwifiが無料で使えるのだ。大体白人さんが大量に居るからすぐわかる。急ぎのメールを何件か送って、トイレを借りた。タイのトイレは水洗なのだ。ただ、バケツに水を汲んで自分で流す。便器が浅くて、靴のまま便器本体にまたがるから大体ドロドロである。1/3位の確率で何故か流してない便器に当たる。何故流さないのか。このカフェはさすが白人様御用達、ホンナム(タイ語でトイレ)もキレイだ。
手を洗おうと蛇口をひねるとちゃんと水は出たのだが、排水口から地下までパイプは伸びておらず、足下へバシャバシャと落ちる。足下がビシャビシャじゃないか。

やっぱり甘ったるいコーヒーを流し込んで、序盤に行けなかったカオサンを目指した。

こちとら最終日だ。散々迷ったり騙されたり間違ったりしてきた。バンコクっ子な俺達は、もう迷わなかった。スムーズにバスを乗り継ぎ、カオサン通りへ向かう。一目でわかるバックパッカーの街。レゲエのお兄ちゃんに生活用品を安売りしている濁った目のおじさん、明らかに二日酔いのおねえちゃん、日本人らしき人まで居る。トタンを張り合わせて作ったような小屋に、「stay 120B」と書いてある。120バーツ?360円。。。一ヶ月ゴロゴロしても一万円くらいか。それは凄い。値段も凄いけど中も凄い。窓なんて無い物置みたいな所に二段ベッドだけが連なっている。カビ臭そう。。。
ドミトリーだったのか、安過ぎると思った。

しかしこれといって用事も無いし、なんか怪しげな男が俺達を見て舌なめずりしているので、さっさとカオサンを後にした。あれは長期滞在者の街だ。

高架鉄道に乗って空港最寄りの街へ行った。ラートクラバンというその街は、住宅街だった。こんな所に宿は有るだろうか。でも行かねばならぬ。だって明日の朝は早いんだもん。
駅前一等地は空き地だった。タクシーが明らかにサボっている。同じ駅で降りたおじさんについていくと、やがて集落へと続く道に出た。雑貨、食料品、ランドリー。生活の匂いがする。やがて大きなホテルみたいなのを見つけたので、入り口にある管理事務所みたいなとこに入っていった。
おじいさんと娘さんが店番をしている。一泊いくら?と英語で聞くも相手は英語を解さず。こんなとこフツー観光客は来ないもんね。タイ語の辞書と紙とペンと身振りと手振りとありったけの笑顔で小一時間の商談を終えた。なんかウイークリーみたいな部屋を一泊500バーツで貸してくれるようだ。ムリ言っちゃったかな。でもおじいさんも娘さんも笑っている。明日の飛行機の時間を伝えると、タイ語で「起こしてあげるよ。一時間前でいいね」と言った。わかんないけど、多分そう言った。

おなかが空いたのでお昼ごはんを食べようと宿を出た。さすがタイ、こんな街にも屋台が出ている。しかし営業は夜だけだそうで、代わりに食堂を教えてくれた。食堂と言ってもほとんど民家だ。おばちゃんに入っても良いの?と聞くとニカッと笑って奥を指した。
何にも注文してないのに米麺の汁そばが出てきた。20バーツ。バンコクよりさらに安い、日本円で60円だ。しかも美味い。コシのある麺にあっさりしたスープとパクチーの香り。ナンプラーと唐辛子入りの酢を入れると更に力強さが加わって、最高のごちそうになった。

そばを食べていると小学生くらいの女の子が帰ってきた。俺達を見て笑ってから、ゴロンと床に寝そべりテレビをつけた。そうか、家だもんなぁココ。なんか悪い気がしてきたからさっさと食べてしまおうとすると、女の子はくるっと振り返ってこっちをみて、恥ずかしそうに笑う。俺達も笑うと満足そうにまたテレビを見る。しばらくするとまた振り返って笑う。そんな単純作業を飽きもせずに延々と執り行っているのである。ロボかおまえは。

ごちそうさま、アロイアロイと店を後にして、えびせんとビアチャーンを買った。周りの人達がみんな俺達を珍しそうに見ている。やはりこの辺は観光客など来ないのだろう。えびせんをパリパリやりながら飲むチャーンが、俺にとってのタイの代表的な味になった。風が心地いい。
くるっと散歩して、夕方前に宿に戻った。

シャワーを浴びて先程の屋台へ。多分バンコクで食べる最後のごはんだ。ここも汁そばのみ。ここらへんのソウルフードなんだろうか。そばを食べていると子供が集まってきた。甲高い早口のタイ語でわあわあ言ってるのだけどサッパリわかんないしやたら楽しそうなので、試しに「アロイ」と言ってみると「ギャーーーーー」と叫びながら腹をかかえて笑っている。何がそんなに面白いのだ。

とにかくこの街の子はよく笑う。幸せなんだろうなぁ。幸せって何だろうな。こんな庶民の暮らしのまっただ中で異国の怪しい男がビール飲みながらそばを食っている。場違いにも程が有るというもんだが、俺は最後にココへ来て本当に良かったと思った。俺達の日常が日本で延々と続く暮らしで有るように、彼等にも同じ「日常」があって、俺はそれを見に来たんだ、と深く納得した。
どんな国に生まれようが、何色の人間に生まれようが、裕福だろうが貧しかろうが、そこには「日常」が有るだけなのだ。その「日常」を深く楽しむ事が出来るという事が、本当の幸せなんじゃないだろうか。知ってた。でも、確認したかった。その確認は、日本では出来なかった。

帰りに閉店寸前のお店でビアチャンを沢山買った。えびせんも買った。部屋で飲んでいると寂しくなってきて、門の所に居る警備員のおじさんの所に行った。
飲む?と聞くとおじさんは「マイペンライ」と答えた。「大丈夫」って意味。俺がいちばん好きなタイ語。
どこから来たのか、何しにきたのか、タイはどうだ、チャーンはうまいか、タイフードはどうだ、日本はどんな所だ、どんな仕事をしている、またタイに来るか。
もうこの旅の中で数えきれない程聞かれた質問。最後のテストだ。こう答えた。
「どこから来たのか」『日本』
「何しにきたのか」『旅行』
「タイはどうだ」『大好き。ごはんと人が好き』
「チャーンはうまいか」『うまいよ』
「タイフードはどうだ」『海老と野菜が沢山入ってるから好きだよ』
「日本はどんな所だ」『わかんない。遊びに来てよ』
「どんな仕事をしている」『シェフとミュージシャン』
「日本は遠いか」『ううん、すぐそこ。飛行機で一日だよ』
「日本は楽しいか」『楽しいさ、きっと楽しい』
「またタイに来るか。」『また来るよ。その時はまたここに泊まる』



日本の事なんて聞いて欲しくなかった。
ずっとここに居たかった。でも俺の日常は、日本にあるんだよな。
その時、頭上を轟音と共にANAの航空機が通っていった。俺は「あの飛行機、日本の飛行機だよ!」と轟音に負けない大声で叫んだ。おじさんは飛行機に向かって「×××××!」とタイ語で叫んだ後、俺の方を向いて顔全部使って笑った。
俺達観光客が押し寄せて、しだいに経済力をつけて、どんどん変わっていくタイを、おじさんはこの街でどんな想いで見ているんだろう。
やがて飛行機の轟音は消えて、シーンと静まった町の夜空を、俺とおじさんは頬杖ついて眺めるのだった。