トールキンの指輪物語を再読 | 作家・土居豊の批評 その他の文章

トールキンの指輪物語を再読

トールキンの指輪物語を再読

 

年末、BSでホビットの映画3部作を一気観した勢いで、トールキンの指輪物語を再読している。映画版を繰り返し観たせいで、そっちの印象が勝ってたが、トールキンの指輪は、実に周到に描き込まれている。あらゆる挿話が先々、物語の帰結に影響していくのがすごい。キャラの描き分けも実に見事。
指輪物語では、映画版と違って、旅の仲間の9人をエルロンドがほぼ決めているが、ホビットたちだけは自発的に参加する。そのことが後に物語の中で重要になってくる。
また、旅の仲間は、フロド以外は完全に自由意志に任されているのがポイントだ。去るも残るも自身次第。だからこそ運命に立ち向かえた。
映画版ではやたらギラギラしてたボロミアが、意外に思慮深い偉大な人物として描かれてる。映画のボロミアはちょっとやりすぎだが、原作の彼なら、弟ファラミアより勝っている。むしろアラゴルンの方がボロミアにお高くとまって嫌味にみえるのが面白い。アラゴルンも物語の中で成長していく。
指輪物語を読んでいると、映画版では最初はグズだったサムが、初めから第三者の冷静な視点で主役たちを批評する役割で、さすが英国文学の傑作だなあ、と感心する。サムのリアリスティックな視点があるから、冒険譚の非常識さが際立ち、だからこそ冒険がますます偉大な所業にみえる。

最後に、トールキンの指輪物語、訳に文句はないが、アラゴルンが馳夫さんなのはやっぱり笑ってしまう。新訳出ないかな。