埼玉で公演中の舞台劇『海辺のカフカ』(村上春樹 原作)を観劇してきた | 作家・土居豊の批評 その他の文章

埼玉で公演中の舞台劇『海辺のカフカ』(村上春樹 原作)を観劇してきた

埼玉で公演中の舞台劇『海辺のカフカ』(村上春樹 原作)を観劇してきた。

※公式HP
http://butai-kafka.com






この蜷川幸雄作品は、村上春樹の小説の舞台化として出色の出来栄えであり、ロンドン公演、ニューヨーク公演が絶賛されたのも記憶に新しいところだ。


(産経2015.6.7)蜷川幸雄がロンドン席巻 集大成のハムレット、海辺のカフカ 「息のんだ」絶賛
http://www.sankei.com/entertainments/news/150607/ent1506070013-n1.html


(産経2015.7.24)宮沢りえさんらNYデビュー 村上春樹の「海辺のカフカ」上演
http://www.sankei.com/world/news/150724/wor1507240035-n1.html



決して演劇を見慣れているわけではないので、これが村上春樹の原作による芝居でなければ、とても批評など書けない。
だが、あの名作小説『海辺のカフカ』の舞台化となれば、話は別だ。
演劇版の全体の構成は、現代の夢幻能だと思われる。原作小説の構成は元々ギリシャ悲劇が下敷きだが、蜷川版は、それを能のイメージで再構成したのだといえよう。劇伴音楽が鹿威しのような音をモチーフにしているのも、能を思わせる。
舞台パンフレットに掲載されていたロンドン公演のガーディアン紙の批評が、黒子の舞台スタッフを絶賛していた。その通り、この舞台は、巨大な箱型のアクリルケースの中に、各場面の舞台装置がはめこまれ、それらが黒子の人力で驚くほどスムーズ、かつスピーディに移動する。その動きと、芝居の流れが見事に一致していて、この芝居の中では、時間と空間は人の力で支配されているのだ、ということを実感させられる。
ところが、芝居の流れが人力で動くのに対して、物語の流れは人間の支配を超えて、自由奔放に展開していく。物語の時空は、人智の及ばない運命の領域だと痛感させられるのだ。
主人公のカフカ少年も、ヒロインの佐伯さんも、自分の人生をコントロールできないで、もがき続けている。そこに現れるナカタさんは、脳に損傷を受けて一度は黄泉の国へ行き、そこから「入口の石」を通って帰ってきた人物だ。彼の存在が物語をコントロールしているのだが、終盤の彼の唐突な死は、人知を超えた運命の手をまたしても感じさせるのだ。
カフカ少年の心の声、分身としての「カラス少年」は、芝居の中では、まるで死んだ「海辺のカフカ少年」の霊であるように演じられている。そうすることで、「田村カフカ」=「海辺のカフカ」、母子=恋人たち、である構図が明確に表されている。
舞台は見事としかいいようのない演出で進むが、物語の方は、ほとんど理解不可能な展開で、結末も異様な唐突さで、おそらく、観客の多くは呆然と置き去りにされた気がしただろう。
もちろん原作の小説を読んでいれば、物語の展開に戸惑うことはない。だが、いくつかの改変が、逆に小説の愛読者をとまどわせる。
小説ではギリシャ悲劇のオイディプスのように、主人公は父を殺し母と交わるのだが、それだけでなく、姉まで犯すことになっていた。
だが、演劇版では姉=さくらを犯さなかった。
四国の森の中で邂逅するのは実在の母=佐伯さんだが、原作に出てくる森のなかの少女をカットした。
なにより、ナカタさんが開けたままにした「入口の石」が放置されている。星野ちゃんが異次元の怪物と戦い、再び閉じるあの英雄的な闘いの場面を、なぜカットしてしまったのだろう?
小説中では、実際に成長して英雄となるのは星野ちゃんだが、芝居ではカットしないと、主人公たるカフカの存在感が失われるのだろう。
もう一つ、小説ではナカタさんと星野ちゃんの軽妙なやりとりをはじめ、随所にちりばめられたユーモアが、作品の重苦しさを救っていた。それが、この芝居では、ユーモアは最小限にカットされ、観客は終始、重苦しい物語に閉じ込められている。
役者の演技が、ときに笑いを呼んで観客にほっと一息つかせるのだが、これははじめから終わりまで本当に重い芝居だ。
もう一つ、気になったのは、土星のイルミネーションの舞台装置だ。あれは、『風の歌を聴け』表紙のイラストへのオマージュなのか?
ともあれ、舞台化された『海辺のカフカ』は、可能な限り、村上春樹の文学世界を実現することに成功している。いくつかある映画化作品のどれよりも、この舞台版「カフカ」は、春樹ワールドそのものを感じさせる出来栄えだった。
個人的な好みでいえば、小説に比して、舞台版ではエロスの表現が慎重に抑えられていたのが、物足りない。小説に封じ込められたエロスを、舞台だからこそ、存分に解放できるのではあるまいか?
その点で、カフカ少年が夢の中で姉=さくらを犯すシーンをカットしたのは、実にもったいないことだ。あれが描かれなければ、カフカ少年の内に秘められた暴力性、禍々しい予言の恐ろしさが、十分に伝わらないのではなかろうか。
ともあれ、世界中の読者が高く評価している小説『海辺のカフカ』は、舞台化の成功によって、さらに多くのファンを獲得しているといえよう。

ところで、彩の国さいたま芸術劇場での観劇は、なかなかに刺激的な体験だった。最寄駅の埼京線与野本町駅から、劇場まで、まっすぐな道路が続き、歩くうちに、徐々に非現実への気分が高まってくる。劇場の外側は美しい作りで、芝生に座ってくつろいでいると、はるかにさいたま新都心?のビル群が望める。都心と程よい距離があるので、お芝居の物語世界に入り込む心の準備を、ゆっくりと出来るのがよい。
劇場の中はとてもシンプルだが、ホールとしてはとても音響がよく、小規模なコンサートや、演劇にもってこいだといえる。
非現実的な物語を描く村上春樹作品の舞台を上演するのに、とてもふさわしい劇場だった。

※写真は、彩の国さいたま芸術劇場からみた景色、劇場内など












さらに余談だが、
「海辺のカフカ」主演の宮沢りえは、かつて、映画『トニー滝谷』でも、村上春樹作品のヒロインを演じている。映画では、一人二役で、春樹ワールドの不思議な女性を巧みに演じていた。宮沢りえのもつ清楚で純粋な雰囲気が、春樹ワールドの女性像にぴたりとはまった印象だった。今回の「カフカ」をみても、やはり宮沢りえは村上春樹作品にとても似合っていると思う。


※ところで、今日(10月5日)の文化放送「大竹まことのゴールデンラジオ」で、大竹まことさんも、演劇「海辺のカフカ」を観劇して、とても感心したそうです。特に、冒頭のアクリルケースの中に横たわる佐伯さん=宮沢りえの美しさ、ナカタさんが会話する猫の着ぐるみの完成度、星野ちゃんの演技、そしてナカタさんと佐伯さんが一瞬すれ違って視線を交わすシーン、を挙げていました。さすが大竹さん、目の付け所が玄人ですね。
@1134golden: 【オープニング】
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http://www.joqr.co.jp/golden/


※筆者の近著
『いま、村上春樹を読むこと』(関西学院大学出版会)
著者:土居 豊 著
定価:本体1,500円+税
【内容】
『アフターダーク』以降の小説を、短編集を中心に熟読し考える試み。昨今の「読まずに批判する」風潮に一石を投じる。「村上春樹現象」ともいうべき、最近の村上春樹をめぐる言説について論じる。

http://www.kgup.jp/book/b183389.html


土居豊 著『沿線文学の聖地巡礼 川端康成から涼宮ハルヒまで』(関西学院大学出版会2013年10月刊)
http://www.kgup.jp/book/b146062.html


土居豊 著『ハルキとハルヒ 村上春樹と涼宮ハルヒを解読する』(大学教育出版 2012年4月刊)
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※土居豊のAmazon著者ページ
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