文脈の中での理解の危うさ―場所が変わってもできるでしょうか | 宝塚発達心理ラボ <臨床心理士たちの研究会> 情報提供・発達支援・アセスメント・教材研究・不登校・ひきこもり支援

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宝塚発達心理ラボは、地元の臨床心理士たちによる有志の研究会です。日々の学びを地域に還元したいと願っています。学習会・イベントの開催・情報の提供など行っております。

学校では常に視覚支援がいるのに,
家では言葉だけで動ける子どもは結構います。

「ごはんよ。」と言えばすぐに食卓に来てくれるし,
「出かけるよ。」と言えば
自分から玄関で靴を履いて
待っていてくれたりします。

でも学校ではなかなか同じことはできません。

なぜ家と学校でこんなに違うのでしょう。
どちらが本当のその子の実力でしょう。


家でならばできるのには理由があります。

長年共に暮らしている親の表情や、
場の雰囲気,
活動の前後の状況なども含めて理解して,
子どもたちは自分の行動を判断しているからなのです。

その証拠に,
全く新しい環境で同じ指示をしたとしたら,
きっとできなくなってしまうでしょう。

 
家ではできるのに,
家以外の場所では
ことばだけの指示では難しいレベルのお子さんは,

音声からイメージを作ることができていたわけではなく,目の前の物を参照しながら
動きのきっかけとしていたということ,

つまり,ことばを合図のように使っていたのかもしれません。

目の前の物を参照できる力はあるお子さんには,
まわりの大人は一人でできそうだと完全に手を放さずに,
まだサポートがいるレベルである
ということを忘れず
さりげない支援を続けていきたいものです。