「創作とは」-自分に正直になることの難しさ- | 長崎県佐世保市と佐々町のピアノ・作曲教室『ピアノ寺子屋』講師の音楽と仏教の話

長崎県佐世保市と佐々町のピアノ・作曲教室『ピアノ寺子屋』講師の音楽と仏教の話

佐世保市世知原、吉井~佐々町にて、楽譜を使わないピアノ演奏、作詞作曲、ピアノ弾き語りを教えながら僧侶としても活動中!J-WAVE、NACK5(FM埼玉)、BAY-FM、FM横浜などでの楽曲オンエアやグランプリ獲得で活動中のピアノ弾き語りシンガーソングライター、
タカノブスタンダードのブログです。

この数日、数年ぶりに詩を書き始めた。


この歳(永遠の16歳)になって言うのも恥ずかしいが、手ごたえを感じている。


書いたものを見ると、何十年も越えられずにいた壁を越えたような気がするからだ。

(※単なる「気のせい」の可能性もあるけど・・A=´、`=)ゞ)


正確には、壁を越えたというよりも、より自分自身の内面に向かっているというか、

より人間の本質を描けるようになってきたのかもしれない。


つまり、「(メロディを埋めるための)埋め合わせのコトバ」や「お飾りのコトバ」ではなく、

「読んで思わずハッとさせられるようなコトバ」だ。


ずっと、そんな詩を書きたかったが、そんな簡単なもんじゃなかった。


特に自分は曲先で、あとから苦労して詞を乗せるタイプであり、

歌詞だけを先に書く、あるいはただ単に詩を書くというのは拷問に近い困難を伴う。


だけど、ずっと「言葉だけで通用する」作品を書きたいと思っていたのだ。

もちろん、それがメロディを伴ってもいい。


首都圏での暮らしに疲れ、帰省して2年半が過ぎたが、

基本的に、ついつい効率ばかりを優先したり、目先の欲を満たすことにとらわれがちな毎日。

自分というものはそうそう変わるものじゃないわけで、それは田舎暮らしでも変わらない。


基本的に相変わらず悶々として、

どうもパッとしない生き物なのだ。


だがしかし、


創作の良いところは、ひとたび自分で“オッ!!”と唸らされるような作品が出来れば、

それまでのパッとしない毎日が壮大な前フリであったかのように、意味あるものだったんだ!と全肯定できるところにある。


つまり、


自分というフィルターを通して、

ひとたび素晴らしいメロディなりコトバなりが吐き出されると、


“これまでの鬱屈した日々は、この瞬間のためにあったんだ。ムダじゃなかったんだ”となるのだ。


だからこそ、何かしらの作品を創るということは、素晴らしいのです。




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