takam16の本の棚
です。バーチャルですが......
直木賞受賞予想なるものを、こちらの勝手でやっており、
主催者側としてはまことに迷惑な話なのであろうが、
まあ彼らがシロウトのうだうだ話の相手などするわけでもないだろうし、
どの出版社でもあれこれ本のことを星1つだの星2つだのと評価された
ところで、それもすべては織り込み済み。よって我がブログもたとえ
選考委員のメンバー達がご覧になったところで鼻で軽くあしらわれている
ことは容易に想像ができる。ブログとは無責任なものなのだ。
ただし、過去に出した統計や確率についてはとことん調べたつもりだ。
その辺りについてはわかってもらいたい。
さて、次回の134回直木賞の候補作対象は
2005年6月 ~ 2005年11月
までに発売・発表された作品ということになっている。
ジャンルは大衆文学、あるいはエンターテインメントというやつだ。
そしてこの賞の位置づけはあくまでも新人作家に与えられる賞
であり、これに関しては選考委員の選評などに耳にタコができる
ほど書き連ねている。
そしてこの賞を手に入れた方には生涯「作家」として食っていくこと
のできるチャンスが与えられるといって過言はないだろう。
夢の印税生活が現実になる第一歩である。しかしここからがまた大変だ。
連載を重ね、出版点数を増やし、さらに世間に自身の認知度を広める
ために一歩一歩努力を重ねなければ、出版の世界は非情なゆえに
売れなければすぐにでも抹殺されてしまいかねない。
候補作対象期間が過ぎれば、以下の過程を経て1月の中旬には
直木賞、そして芥川賞の受賞作が発表される予定である。
①関係者350人によるアンケート調査
↓
②文藝春秋社の社員数十名が下読み&議論し、評価し、候補作決定
↓
③海千山千の選考委員による2時間の議論・話し合いで受賞作決定
(「文学賞メッタ斬り」より参照)
③については、直木賞の選考委員はあらかじめ決められており、現段階で
9名が最終選考の役目を担う。その9名は
一人称を主語とする小説の選出はしばらくお断りだという宮城谷昌光
「シモ」の描写には人一倍厳しい 渡辺淳一
時代小説の衰退に心から嘆き悲しんでいる 平岩弓枝
時代モノにはとことんうるさい津本陽
男を助け女をくじく、林真理子
直木賞の選評記事がいつも長すぎる井上ひさし
その他
阿刀田高
五木寛之
北方謙三
(敬称略)
である。②において、候補作品がだいたい5~7作品選出されたのち、
彼らのもとへそれらの作品が届けられ、選考会当日までに各々の作品
の中で受賞にふさわしいものを選択し、
選考会当日に、受賞させたい作品に○をつける。
この○は1つとは限らない。ふさわしいと思えば2つでも3つでも
よいだろうし、どれもふさわしくないと思えば○を付けなくてもよい。
そして9名のうち、過半数以上、つまり○が5名以上付けば無事、受賞する
に値する作品というのが一般的な方法のようだ。もちろん多少の議論は
交わされるであろうし、大反対する選考委員もいるだろう。
○の数が過半数に満たない場合は、○の少ない作品を除外したうえで
再び投票、そして白熱した議論が展開されるらしい。
時期によって受賞作が2つあったり、あるいは該当作品なしとなるのは
○の数の多少に関係する。
あと14日で次期直木賞の候補対象は締め切られる(11月30日まで)。
よって、気は早いのだが、候補作として①そして②を通過する可能性の
ある作家と作品を以下に示す。
ただし、これはあくまでもtakam16が過去に選出された作品の傾向
より列挙するものであり、真の候補作の決定とはまったく別物であること
をご理解いただきたい。
印の目安
○ ... 候補作濃厚
▲ ... 可能性あり
△ ... 一考の余地あり
× ... 可能性低い
無印 ... 気になる程度
注 ... 同一作者のもう一方の作品に選出の可能性があり
実は、当初は伊坂幸太郎氏は賞の主催社である文藝春秋社の「死神の精度」で選出されると
豪語していたのであるが、当作品は昨年、日本推理作家協会賞を受賞しており、その作品が
別の形で商業出版されていることがわかった。そのため対象から除外される可能性があり、
「魔王」に○をつけた。
また、最近脚光を浴びつつある荻原浩氏であるが、10月に光文社から「あの日にドライブ」
という作品を出している。ところがこの光文社、直木賞にはまったく縁がないため、20作品の中に
入れることはできなかった。
近年、時代小説の衰退を危惧している選考委員がいる。そのため、時代小説を積極的に選ぶ
傾向が出ることになろう。そのためには
諸田玲子氏
畠中恵氏
城野隆氏
は貴重な逸材だ。
このように、最終選考委員の選評や発言というものは次回以降の選考過程を左右する
ことが多々ある。そして、彼ら選考委員のご機嫌を悪くさせた、つまりは辛口
だらけの選評にさらされた作家を①や②の過程で選出させるというのは、けっこう勇気の
いることかもしれない。そしてそれにあてはまる作家が2人ほど見つかった。
東野圭吾氏と宇江佐真理氏である。
前者は、著者の執筆における欠点を洗いざらい選評に書かれ、
後者は江戸期の時代考証の欠陥を指摘された。
東野圭吾氏については「容疑者Xの献身」を20作品の1つに一応挙げてはいるが、
候補作としての期待はしづらい。そして宇江佐氏は20作品にはあえて挙げなかった。
小説の発行点数がすさまじいため、20に絞ること自体に無理があるかもしれないが、
選出傾向というものがあるため、なんとか以上に収まった。
今後も変更や修正がありうるかもしれないが、上記に挙げた作品と作家には
少し気を配っておいて損はない。
書店や図書館などでお目にかかる機会があればさわりだけでもぜひ味わって
いただきたい。
当ブログの管理人は、元は書店の業界に身を置いた経験のあるものである。
しかしながらこちらのブログの読者様はけっして書籍に精通された方ばかりではない。
また中学生・高校生読者様も比較的多く、他ジャンルの読者様も訪れてくださる。
一方、書籍に精通された方であるなら独自の読書観というものを確立されているはずだ。
そういう方々には今記事がけっして満足のいくものでないのかもしれない。
書籍の売れゆきは年々ひどくなるばかりである。
特に小説・物語のジャンルの落ち込みは顕著である。
よって、普段読書に慣れ親しんでいない方々がいかに本に接するかを第一に考えている。
そして最も説得力があり、最も親しみやすい、訴求効果の高いものはなにかといえば、
その近道のひとつが「直木賞作品」「直木賞作家」であると自分は思っている。
作品の内容や作家に触れることで、さらなる興味、趣味に発展していく
ことを大いに望んでいる。
このブログはそのための通過点であると思っていただければ、
管理人にとっては非常に幸せなことである。
このブログを適度に利用して、より専門的なブログを探すきっかけをつかむ
ことを願うばかりである。
(....今後も直木賞推理はつづきます....)
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