桜は疲れていた | 12枚の羽根の歌

12枚の羽根の歌

生きることは踊ること!

カムイ・アーツで「舞」を学んで以来、日々の生活の一部になっている。

竜の舞では統合(身体レベルでは伸筋と屈筋の統合)、
蛇の舞では方向性とノビ(ストレッチともまた違う)、
エイの舞では軽やかな「ヒレ」を体験し、
ライトサーフィンでは土踏まずから伝わってくるさざ波が全身に伝わり……

ふだんの自分の体では想像もつかなかったような動きが起こる。


やっぱりカムイ・アーツで数ヶ月前から扱い始めた「魔法陣」では、さまざまなエレメントや対象、概念の「中に入る(受け容れる)」ことが起こる。

とっても興味深いので、これも日常的にやっている。
すると、これまである程度の準備段階や誘導がないと入れなかったような超越的な次元に、あっという間に入れてしまう。
驚きです。

カムイ・アーツではまず身体を整えて、それから感覚を研ぎ澄ませていくのですが、
人間は三次元に生きていて、身体を持っているのだから、高次元にアクセスするにしても、身体を通すのが一番早いし確実なのだな、としみじみ感じます。
いやむしろ、身体がほんとうにきちんと整っていると、それだけで「すごい」ようにできているのだなぁと。



さて、
昨夜も、寝る前にひとしきりいろいろやってました。
それでふと、「桜」の魔法陣に入ってみよう、と思ったのです。

雨と風で散り始めてる桜。
私は今年は、改まった「お花見」はしていなくて、なんだかこのまま桜の季節が通り過ぎて行ってしまうのは心残りだな、と感じたから。


それで実際に入ってみて、かなり驚きました。


これまでさまざまな魔法陣に入ってみているけれど、「桜」で入った時に、これまで他の要素に感じたことのない殺伐さを感じたからです。

何かおかしいな。

散っている桜の花びらでやっても、
咲いている花でやっても、
散って地面に落ちている花びらでやっても、その感覚は変わらない。


これが、日本の春を代表する花の姿なの???


何かが足りない。何かおかしい。


そう感じて、いつも最後にやることにしてる、「羽衣の舞」のヒーリング・ヴォイスバージョンを、「桜」に捧げることにしました。



初めてすぐに伝わってきたことは、桜は、とても疲れている、ということでした。
なんと表現したらいいのかわからないけれど、自然界のものに本来備わっている生き生きした感じ、それ自体の固有の力に満ちた感覚が、全く伝わってこなかったのです。

しばらく舞いながら歌うにつれて、桜たちがどんどん周りに集まって押し寄せてきた。
疲れきって動くこともできなかったのが、癒しを求め始めた、という感じ。飢えている感じ。

そのうち、舞に伴う歌がどんどん豊かになるにつれて、桜たちにも命が甦り始めた。
生き生きとした色が戻り始めた。

そしてとうとう、桜本来の生命力、美しく可能性に満ちた個性が、復活したのです。

エクスタシー。

そのままいつまでも舞っていたいところを、最終的におさめて、なんだか不思議と満ち足りた気持ちで眠りにつきました。




朝。
すっきり充実した感覚で目が醒めた。昨夜は眠りについたのがかなり遅かったはずなのに、子どもたちよりも早く起きてしまった。爽やかな目醒め。


そして、周囲のことが、いつもよりもずっと気にならない。周りで誰が何してても、それに影響を受けず、自分の中が充実してる。
いつもなら面倒な家事もほいほいこなせてしまうし、やけに元気。


まるで、疲れを癒された桜たちが、お礼に、強力な味方になって守護してくれているような感じです。


桜たちはなぜ疲れてしまっていたのだろう? というと、
「人間の念」という答えが返ってきます。


桜の季節、人は花見だ花見だと心を騒がせますが、
少しでも人より良い場所を選ぶことに熱中して、結局桜の下で飲み食いして終わったり、
夢中でシャッターを切っていい「画像」を撮ろうとした挙句、写真を撮ったら満足して去ってしまったり。
政治的なイメージで利用されたり。


桜は、対象物や道具として扱われるのではなく、感応してもらうのが、いちばん嬉しいのだそうです。
桜だけではないですね。きっとすべてのものがそうですね。


その存在を、美しさを、心と身体で感じること。



そういえば、神社の神様も、人が「頼みごと」ばかりするので疲れてしまっている、と聞いたことがあります。
嫌になった神様が逃げ出してしまい、「空っぽ」の神社もあるとか。


私たちは何を捧げられるんだろう。

この心と身体が、本来、捧げ物になるはずなのだと感じます。美しい状態であれば。


そうして良い関係を築いた相手は、必ず味方になってくれるし、力を与えてもくれる。


カムイで学んだ「舞」は、そんなことを教えてくれています。
どう出会うか。どう受け容れるか。どう捧げるか。
どうあるか。
かけがえのない学びで、生きていくことの質が大きく変わりました。


今日は夕方から春の嵐が来襲するそうですね。少し残っている桜の花も、完全に散ってしまいそうですね。
でも大丈夫。桜たちは元気です。自然界のダイナミックな動きの中で、咲く時も散る時も葉の時も、いつも美しく豊かな桜であり続けます。

ああ、幸せ。