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 日本列島は、ユーラシアプレート、北アメリカプレート、太平洋プレート、そしてフィリピン海プレートと、四つの大陸プレートが交じり合う真上に位置しています。結果、我が国は過去何千年も、大震災に直面し、その度に「以前よりは安全」な国土を作り上げることを続けてきました。
 過去の日本人の努力なしでは、日本列島に1億人を越える人々が暮らすことは到底不可能だったでしょう。


 日本列島に済む人々を苦しめるのは、何も震災に限りません。何しろ、日本列島は台風の通り道にあるのです。しかも、国土が山がちで、可住面積が極端に少なく、雨が降ると河川全域で一気に水位が上昇してしまいます。
 だからといって、河川全域に巨大堤防を造るのは、なかなか難しいため、上流のダムである程度流水量を調整する必要があるわけです。

 さらに、周囲を海に囲まれているため、長大な海岸の街は、常に海からの脅威を受け続けています。加えて、火山も沢山あります。


 この自然災害が多発する日本国が、他に類を見ない長さの歴史を誇り、経済成長を遂げ、人口が1億人を超えているわけです。とはいえ、日本は別に「奇跡の国」でも何でもなく、過去の日本人が自然災害に対抗するために、ひたすら努力を積み重ねてきた結果であるわけです。

 自然災害への対処を続けなければ、日本列島では生きていけない。我が国の国民が勤勉で、生産資産や供給能力の蓄積が物凄いことになっているのも、ある意味で当然です(おかげでデフレが深刻化していますが)。日本列島では、常に自然災害への対処を続けていかなければ、生きていくことはできないのです。


 ところが、1948年の福井地震以降、95年の阪神大震災まで、日本人は「甚大な震災」というものを経験しませんでした。しかも、戦後の冷戦構造に守られ、戦争で死ぬこともなかったのです。
 結果、多くの日本人が「自分たちがどこに住んでいるのか?」を忘れ去っていたように思えるわけです。


死者ゼロの岩手・普代村を守ったのは… 2人の「ヒーロー」
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110425/iwt11042522590003-n1.htm
 過去の津波で多数の犠牲者を出した岩手県普代村は東日本大震災では死者ゼロ、行方不明者1人にとどまった。被害を食い止めたのは高さ15・5メートルもの水門と防潮堤。昭和40~50年代、当時の村長が反対の声を押し切り、建設にこぎつけたものだ。ただ、今回は水門脇ゲートの自動開閉装置が故障し、1人の消防士が水門へ向かい、手動でゲートを閉めた。危機を見越した過去の政治的英断、そして地震直後の献身的な行動が村を守った。(梶原紀尚)
 もう少し低かったら…
 久慈消防署普代分署の副分署長を務める立臼勝さん(50)は「水門の高さがもう少し低かったら、村にはすごい被害が出ただろう。もちろん私の命もなかった」と振り返る。
 3月11日の地震直後、自動開閉装置の故障を知った立臼さんは、村を流れる普代川の河口から約600メートル上流にある水門に向かって消防車を走らせた。故障したゲートを閉めるには水門上部の機械室で手動スイッチを使うしかないからだ。津波の危機感はあったが、「まさか、あれほど大きな津波がくるとは思っていなかった」。
 機械室に駆け上がって手動スイッチに切り替えると鉄製ゲートが動き、ほっと一息ついた。消防車に乗って避難しようとしたとき、背後から「バキ、バキッ」と異様な音がするのに気付いた。普代川を逆流してきた津波が黒い塊になって防潮林をなぎ倒し、水門に押し寄せてくる音だった。アクセルを踏み込み、かろうじて難を逃れた。
 津波は高さ20メートルを超えていた。水門に激突して乗り越えたが勢いはそがれた。水門から普代川上流にさかのぼってほどなく止まり、近くの小学校や集落には浸水被害はなかった。
 立臼さんは「高い水門をつくってくれた和村さんのおかげ」と話した。(後略)』


 災害防止の公共投資とは、何でしょうか。もちろん、現在の日本国民の生命や財産を守るための「設備」になります。
 とはいえ、公共投資で建造された「災害防止設備」は、将来の日本国民をも守るのです。いわば、公共投資とは将来の日本国民のための贈り物ということになります。


 普代村の多くの人たちは、過去の日本国民(和村氏など)からの贈り物により、難を逃れることができたわけです。


 最近、三陸の被害を受けた町や村について、
「高台に移し、海岸には住まないようにするべきだ」
 などと、いかにも学者っぽい、適当な机上の空論を述べる人たちが増えています。


 別に、被災者の皆さんが高台に街を移しても構いませんが、それはあくまで「現地の人たち」が決定する話です。何の被害も受けていない第三者が、「○○するべきだ」などと賢しげに忠告するなど、まさに大きなお世話でしょう。


 しかも、別に高台に街を移さずとも「公共投資(防波堤)」で多くの人たちの命が救われるということは、普代村の事例が証明してくれているのです。


「街をどうするかは、現地の人たちで決めてください。政府は全面的に支援します。いずれにせよ、今回の規模の津波でも『誰も死なない』ように、防波堤を強化します


 これこそが、現在の政府が採るべき態度であり、政策だと思うわけです。


 そもそも、高台に街を移すなどと適当なことをいう人は、「三陸以外の海岸の街はどうでもいい」と思っているのでしょうか? それとも、三陸以外の日本の長大な海岸線に暮らす住人々をも、全員高台に移すとでもいうのでしょうか? 共産革命でも実施し、毛沢東クラスの独裁者にでもならなければ不可能ですね。


 なぜ、普通に「全国の防波堤を公共事業で強化します」という発想にならないのか、不思議極まりないです。現在のわたくしたちが日本列島で快適に暮らせるのは、過去の日本人の公共投資のおかげであるということを、日本国民一人一人は思い出すべきです。自分たちは過去からの贈り物(公共事業)のおかげで快適に暮らしておきながら、将来への贈り物を拒否するわけにはいかないでしょう。


 改めて考えても、1948年から95年までの日本は「幸運な時代」でした。しかし、もはや幸運な時代は過ぎ去ったのです。


 わたくしたちは、自分たちが今、どこに住んでいるかを改めて思い出し、「安全」という商品を得るための努力(投資)を始めなければなりません。それは、過去何千年もこの日本列島において、わたくしたちのご先祖様が淡々と実施してきた、復興と成長のプロセスなのです。 


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