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http://www.papy.co.jp/act/books/1-156478/
グラフを多用するわたくしの書籍が、電子化に向いているのか。お読みになられた方は感想をお聴かせくださいませ。
本日と明日は、いつもとちょっと趣向を変えて「日本と日本人の問題」について書いてみたいと思います。
PHP研究所の対談本の企画で、室谷克実先生とお会いいたしました。テーマは、もちろん韓国です。4月に発売されるであろう同対談本は、三橋書籍史上、最も抱腹絶倒物になると思います(恐らく)。
本対談では、室谷先生の「日韓がタブーにする半島の歴史」http://www.amazon.co.jp/dp/4106103605/
の話が結構でてくるのですが、最も典型的だなあと感じた部分をご紹介します。
実は、これは朝鮮半島の歴史家も認めている事実ですが、かつての朝鮮半島に存在した「新羅」の第四代王は、日本列島からの放浪者(追放者?)でした。何しろ、高麗時代に書かれた正史である三国史記(三国志ではありません)に、
「脱解(新羅四代王)はそもそも多婆那(タバナ)国の生まれだ。その国は倭国の東北一千里にある」
と、書いてあるのです。
倭国(九州もしくは大和)の東北一千里(朝鮮半島の一里は四百メートルくらい)ですから、脱解の出身地は鳥取から新潟にかけたどこかになります。
日本列島から流れていった脱解は、「賢者である」として新羅二代王の娘を嫁にもらい、三代王(奥さんの兄弟)が没した後に、遺言に従って新羅第四代王になりました。彼は「昔(セキ)」という姓を名乗り、しばらく彼の子孫が新羅王になり続けます。新羅時代における名君「伐休(バリュ)王」も、脱解の子孫(孫)になります。
また、三国史記の異説を取り上げた三国遺事にも、全く同じことが書いてあります。(脱解が日本列島からの渡り人であること)
ちなみに、先に朝鮮半島(南北共に)の史家たちも、上記の事実を認めていると書きましたが、例により「日本列島に存在した韓民族の植民地」から流れてきたのが、新羅四代王であると主張しているわけです。まあ、この辺の誇大妄想的な半島人のファンタジーはいつものことですが、この種の妄想をしなければ彼らのプライドが保てないほどに、明確に「三国史記」(及び「三国遺事」)に、新羅第四代王は、日本列島からやってきたと書いてあるのです。
ところが、この事実について、日本国内の日本人の朝鮮史家たちが、黙殺を続けているのです。
何しろ、新羅は唐と結び、半島初の統一王朝になりました。その王家に日本列島からの渡り人の血が混じっているというのは、半島人には我慢がならない事実でしょう。
だからこそ、「日本列島にあった韓民族の植民地からやってきた」とか、妄想ファンタジーを半島の『歴史家』たちは主張しているわけです。とはいえ、半島の歴史家たちが何を言おうが、彼らの勝手です。(単に、世界中から笑いものにされるだけの話なので)
しかし、日本人の歴史家たちまでもが沈黙を続けるのは、理解できません。戦後、皇国史観排除の影響で、この手の「事実」さえも、歴史家たちは普通に語ることがなくなってしまったわけです。
韓国人は、
「日本の天皇家は朝鮮半島から行ったんだ!」
などと、根拠もなしに妄想ファンタジー全開で叫んでいますが、実際には朝鮮半島の王朝が、日本列島からの渡り人の子孫だったのです。何しろ、正史「三国史記」にそのように書いてあります。
と言うか、この種の事実があるからこそ、朝鮮半島の歴史家たちが、事実を裏返して「日本の天皇家は韓民族」などと、コンプレックス丸出しのことを叫び続けているのだと思います。
歴史とは、事実の積み重ねです。事実が上記の通りでありながら、日本人の歴史家たちは「事実から目を逸らし」、絶対的価値観に基づいて歴史を語っているわけです。まさしく、戦後の日本人の問題が、露骨に表れていると思います。
「新羅の王家は、日本列島からの流れ者の子孫」
などという事実は、彼らの絶対的価値(日本は朝鮮半島や中国に劣るという、自虐史観)からは、受け入れられないわけです。
ちなみに、先ほどから脱解について「日本列島出身」と書いているのは、当時は日本国が存在せず、倭国も統一王朝ではなかったためです。
さて、日本の歴史家たちが上記の事実をスルーするのも問題ですが、更なる問題があります。
朝鮮半島の歴史において、日本で基本資料に位置づけられている「三国史記 列伝」の四巻において、新羅の話が出てくるのですが、「なぜか」とんでもない注釈がつけられているのです。
「新羅第一代赫居世(ヒョッコセ)から第十六代訖解尼師今までの間、第四代の脱解尼師の昔氏を除いて朴氏が王位につき、金氏王系は第十七代味鄒尼師今からである」(尼師今とは、新羅王という意味です)
お~いっ!!!
十六代の訖解は昔氏で、朴氏ではありません。すなわち、脱解の子孫です。しかも、第四代の脱解から訖解までは、ほとんど昔氏の王が立ちました。さらに、味鄒は十七代ではなく、十三代の新羅王です。
内容も滅茶苦茶ですが、それ以前に日本列島からの渡り人(脱解)の子孫が新羅王になっているのが「我慢できない!」という、お馴染みの対日コンプレックスをひしひしと感じます。ちなみに、この注釈をつけたのは、昨年お亡くなりになった↓この方です。
『鄭早苗さん死去 大谷大教授
http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010020401000990.html
鄭 早苗さん(チョン・チョミョ=大谷大教授、韓国・朝鮮古代史)4日午前3時5分、肺がんのため大阪府茨木市の病院で死去、65歳。大阪市出身。』
明日に続きます。
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積極財政による日本経済復活を目指して活動をしているボランティアグループです。
Klugにて「三橋貴明の『経済記事にはもうだまされない』」
連載中
「三橋貴明の<ウラ読み>経済レポート」
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